第15話 覗き見の話
トゥユは音も聞こえず、痛みも感じていなった。
音が何もない世界では全ての動きがゆっくり動いており、獣人が振るう腕の体毛の動きまで見る事ができた。
不思議な感覚だが、体を動かす事はできる。今まで避けるのだけでも苦労していた獣人の攻撃も今では余裕をもって躱すことができる。
トゥユはスポーツで言うゾーン体験のような物をしていた。
体と心が完全に一体化していて、自然に体が動き、考えなくとも勝手に体が動いて攻撃を避けているのだ。
──体が軽い。凄く気持ちも良いし体が軽いよ。
トゥユは自分の体験している感覚に非常に満足していると同時にこんな感覚もあるんだと驚いてもいる。
周りから見ればその動きは捉えようのない動きで、本能で動く事もある獣人でさえその動きを見切ることができない。
獣人の放った一発がその終わりを告げる。
大きく振りかぶった拳を振り下ろしたのだが、その拳は空しくも地面を叩きトゥユに当たる事はない。
トゥユは体を左足を軸に一回転し、避けると同時に遠心力を利用し獣人の首に向かって戦斧を横に薙いだ。
『そこまでだ!』
突然頭に響いた声にトゥユは咄嗟に腕を止める。戦斧は獣人の体毛を斬り、首の皮一枚を切り付けて止まった。
風に乗って流れていく体毛が地面に落ちた時、静寂を破る声が響いた。
「俺様の負けだ」
引きつった顔から絞り出された声はトゥユだけ聞こえる位の大きさだったが、トゥユにとってはその大きさで十分だった。
戦斧を下ろし、仮面を顔から外したトゥユは一気に戻ってきた感覚に立っている事ができず、その場に腰をおろす。
「あぁ、疲れた。ウトゥスが止めてくれなかったら殺しちゃう所だったよ」
空を見上げてウトゥスに感謝を述べるその顔はスポーツをした後のようにすっきりした顔をしており、太陽の光を受けて輝く汗は宝石のように光っている。
「ガハハハッ。この俺様が負けるとはな。しかも、負けたのにまだ生きているとは何とも興味深い」
獣人の方も地面に腰を下ろすとそれだけで大きな音が響き、自然にトゥユの視線もそちらへ向く。
「完敗だ。俺様が初めて負けた相手がこんな少女とはな。まあ、良い。約束通りお前の好きにすると良い」
「むう。好きにするんじゃなく、友達になってって言ったんだよ」
頬を膨らましたトゥユだが、すぐに機嫌を直し獣人に笑顔を向ける。
「俺様は友達と言う物がどう言う物なのか知らん。それがお前の側にずっと居ると言う事なら、この身果てるまでお前の力となる事を魂に誓おう」
トゥユが思っている友達とは違う気がするが、多分何を言っても一緒だろうと思い諦める。
「私はトゥユって言うんだけど、貴方はなんていう名前なの?」
「ん? 名前? そんなものは俺様にはない。なくても不便等しなかったからな」
獣人は魔の森では一人で生活しており、他の者と会うと言う事は相手は獲物と言う事になる。
例え同じ獣人に出会ったとしても素通りをするか戦いになるかで相手の名前を呼ぶと言う事はないのだ。
「それじゃあ呼びにくいよ。なら、私が名前を考えてあげる。……そうだなぁ。あなたの名前はティート! ティートに決めたわ」
「ティート……、ティートか。分かった俺様はこれからティートと名乗ろう。トゥユよ」
座ているティートに抱きつき喜んでいる所にソフィアが茂みから出てきてトゥユの所まで歩いて来る。
ソフィアは今のトゥユとティートの話を聞いていなかったので、少し距離を開けた所で立ち止まった。
「お、おい、もう大丈夫なんだよな? なんで獣人と仲良くしているのか全然分からないから説明してくれ」
ティートとじゃれ合っているトゥユに怯えながら問いかける。
トゥユがソフィアの近くに来て、事情を説明するがソフィアは信じられないと表情をしている。だが、トゥユの表情と獣人が暴れていない所を見ると人事ざるを得なかった。
どうしても見慣れない獣人を前にソフィアは茂みに居た時の事を思い出す。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ソフィアはトゥユに連れて来られた茂みの中で一歩も動けず震えていた。
この震えは一体何処から来るものだろうか。怒りか、恐怖か、それとも興奮か。
ソフィアは戦闘開始早々にトゥユに森の中にあるこの茂みに放り込まれた。
目を瞑っておいてと言う言葉通りに目を閉じていたら、腕を引っ張られてここまで連れてこられたのだ。
トゥユと一緒に戦おうと思った。ソフィアではエットレの部下の一人倒せればいい方だろうが、こんな所で隠れているよりは少しでも手伝いたいと思っていたのだ。
だが、それは行動に移される事はなかった。
過去ソフィアは戦況が悪いと言う事で撤退を進言したが、戦果が欲しいと言う事で敵陣に突っ込んで行った部隊が居た。
当然その部隊は全滅したのだが、そう言う周りの状況が見えない、自己中心的な人間を見るうち、何処か俯瞰的に自分を見る事ができるようになっていたのだ。
その判断からソフィアが加勢した所で意味がないだろう。いや、トゥユならソフィアを守りながら戦ってくれるだろう、だが、それはトゥユにとって重荷にしかならない。
だからソフィアは自重した。唇を噛み締め不甲斐なさで体が震えながら。
土煙の中、断続的に悲鳴が聞こえてくる。
ソフィアのいる場所からは、土煙の中何が起こっているのか全く分からなかったが、トゥユが相手を倒しているのだろう。そう信じたい。
徐々に土煙が晴れていき、中から現れたのはトゥユだった。その足元に体と離ればなれになった頭や、血に沈んでいる胴体を転ばせて。
前の戦いの時も思ったのだが、この少女は一体何者なのだろう? 普通の人間、それも少女が複数人を相手にして全滅させれる確率はどれぐらいあるだろうか?
ソフィアは小さい頃、話に聞いた英雄を見ているのではないかと思った。その英雄は大勢の帝国兵に囲まれながらもその全てを薙ぎ倒し、王国に勝利を齎したとされる英雄だ。
小さい頃はその存在を信じていたが、大きくなるにつれ、そんな事ができる人間など存在しないと分かってしまった。
だが、目の前に居る少女はどうだ? その話に聞いていた英雄そのものではないか。ソフィアは今、英雄の誕生に立ち会っているのだと思い再び体が震えだした。
ベニテスの兵がトゥユを囲んでいる。今は革命軍に寝返ってしまったが、王国に居た頃はベニテスとその腹心たちの戦果はよく耳にしていた。
戦況が不利な中でも、その勇猛さと連携で数多の敵を打ち破ってきた猛者たちだ。
トゥユは苦戦を強いられていた。ベニテスの指揮の元、四人が一つの意思を持ってトゥユを攻め立てている。
──ここは自分が加勢をして相手の連携を少しでも崩した方が良いのだろうか?
中腰の姿勢になったところでトゥユと目が合った。
いや、トゥユは仮面をしているので目が合ったと言うのは可笑しいのだが、ソフィアには目が合ったように思えた。
それは「動かないで」というトゥユの意思表示に思えた。自分の都合の良いように取っただけかもしれないが、確かにそう言われたように思える。
その合図からトゥユが兵士たちを倒すのにそれ程時間はかからなかった。
弓兵を倒してからは兵士たちの連携も徐々に崩れていったからだ。トゥユはそこから一人ずつ確実に倒す事で死体の数を増やしていった。
ベニテスは勇猛さでも有名だったが、もう一つ有名だったことがある。それは残忍さだ。
使っている武器からして、単に相手を殺す事だけではなく、いかに苦しめて殺すかを求めている人物だ。
しかもベニテスは二刀流で、受けに回ると一気に押されてしまうかもしれない。その予想通りトゥユは押され、腹部を剣が貫いていた。
「くそっ! ベニテスと一対一になった時に加勢しておけば良かった」
何故自分は動かなかったのだろう。そんな後悔がソフィアを襲っていた。
『自分を責めるものではない。それは何もできぬ我も同じこと。目を背けずよく見てみるが良い。まだ終わっておらんぞ』
何処からともなく声が聞こえた。いや、声が頭に響いた。
周囲を見渡してみても誰かがいる様子はない。不思議に思ったがすぐにトゥユに視線を戻すとトゥユが腹部に突き刺さった剣をこちらに投げてきた。
剣は隣にあった木に見事に突き刺さり、トゥユの腹部の血を木に滴らせていた。
今思えばトゥユは相手の剣を奪うためにわざとと攻撃を受けたのではないだろうか? それ程までにトゥユの動きは冷静だった。
フランベルジュ一本になったベニテスはトゥユの相手ではなかった。戦斧の特徴を生かした一撃でフランベルジュ共々ベニテスを真っ二つにしたのだ。
トゥユは勝利した。裏切り者に囲まれようが、素晴らしい連携攻撃をしようが、二刀で攻撃しようが、その全てを打倒し。
早くトゥユの側に行って傷の手当てを……と思った足はまたしても動く事はなかった。
何故ならエットレが箱の中から一匹の獣人を解き放ったからだ。圧倒的な恐怖だった。それ以外の言葉が思いつかない。
腰が抜け体の震えの止まらないソフィアはそれでもこの戦いを見たいと思い、目の前の草を掻き分け、トゥユの動きを注視していた。
──獣人は確か魔の森にしか存在しないはず。それが何故?
と思ったのだが、実際に目の前に居るのだから、どう否定しようとも仕方のない事だ。
いくらトゥユでも獣人など相手にできない。いや、相手にする事さえ考えてはいけないのだ。だから、トゥユが逃げ出したら自分も一緒に逃げなければならない。
腰が抜けてしまっている現状、動ける保証は何処にもなかったが、ただ殺されるよりは最後まで足掻いてやろう。そう思っていた。
トゥユはソフィアの予想に反して、獣人を相手にするつもりだった。
──馬鹿げている。
獣人を見て足が竦み動けなくなったなら可愛げもあるが、獣人を見て戦いを挑むなんて普通の神経ではない。
獣人の攻撃はすさまじく拳一つで地面にクレーターを作っている。
「そんな相手をどうすると言うのだ。早くこっちに来い! 私と一緒に逃げるんだ」
その言葉は発せられる事はなかった。
何故か、獣人は急にトゥユに話しかけている。何を話しているかはここからでは聞こえないが、まだ戦いを続けるようだ。
人の言葉も分からない、ただ暴れるだけの獣と思ったのだが、どうやら言葉は通じるようだ。だが、言葉は通じれど、意思まで通じるとは限らない。
案の定、獣人は嬉々としてトゥユに襲い掛かってきた。
──トゥユは先程までの戦いで体がボロボロなのだ。そんな相手に勝って嬉しいのか。
そう言いたい所だったが、そんなことを言ってしまうと矛先がこちらに向いてしまうのでグッと堪える。
トゥユが戦斧を盾にして拳を防いだのだが、勢いを殺すことができず、近くの木まで飛ばされてきた。
このままトゥユを抱えて逃げてしまいたい。そんなソフィアの願いは叶う事はなく、トゥユは反撃を開始する。
大きな獣人と、小さなトゥユ。どうしてそこまでして戦わなければいけないのだ。見ていたソフィアの目からは自然と涙が流れていた。
──もう無理だ。
何度この言葉を声に出そうとしただろうか。発せられなかった言葉は涙に変わりソフィアの頬を伝った。
トゥユの纏っている雰囲気が変わった。
痛みを堪えギリギリの所で躱していた攻撃を余裕で躱せるようになっている。いや、見た目ではそれ程変わらないのだが、そう思える程動きに余裕がある。
攻撃を避ける一連の流れで放たれた戦斧は獣人の首元にピタリと止まっていた。
腰を下ろし太陽を見上げるトゥユは何処か絵画の一シーンを思い出す位、凄く綺麗で神秘的だった。
一時は英雄かと思ったのだが、トゥユは英雄ではなかった。止まらない涙から溢れる感情はその姿を見るだけでも烏滸がましいと思える物だ。
それは一言で言ってしまえば「神」と言われる物を見るのと同じような物だった。
信者は一人。それが寂しいとは思えない。逆に神を独り占めできるのだ。こんな嬉しい事はない。
ソフィアの生はこの為に有った。人生全てを捧げ、彼女の為に尽くす。それがソフィアが生まれた理由、生きる理由。
そう考えたソフィアの周りには黒い靄が漂っていたのだが、それはいつの間にか消えていた。
抜けていた腰はいつの間にか平気になっておりソフィアはその場で立ち上がる。
流れていた涙は既に止まっておりソフィアはしっかりとトゥユを見据えその元に歩いていく。
たった一人の信者がその神の手足となり働くために。
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