第13話 荷車の話
ベニテスは自分の見ている光景が信じられなかった。
倒された四人は自分が手塩に掛けて育て、ベニテス程ではないが王国ではそれなりに武勇が知られていた四人だったからだ。
只の兵士が相手なら絶対に負けない自信があり、ましてや一対四の戦いで全員が倒されてしまうなど想像だにしなかった。
これが『冠翼の槍』と呼ばれる王国最強の騎士のソル=スタイナーであるならベニテスもまだ納得がいくのだが、今ベニテスの前に立っているのは『冠翼の槍』ではなく只の少女だ。
ベニテスも長く王国兵として働いていたが、自分の部下を倒してしまう程の少女が存在しているなんて聞いた事もなかった。
エットレは急に自分の部隊に配属されたと言っていたので、もしかしたら最近になって王国に入った兵なのかもしれない。
何にせよ簡単な敵でない事だけは確かだ。一陣の風が色々考えていた頭を冷ましてくれる。
少女がこちらに向かって歩いて来るのを見て、ベニテスは無言でフランベルジェを抜く。
ガキーン!!
馬の腹を蹴りトゥユを右手側に据えて突進する。勢いのままフランベルジュを振り下ろすが戦斧によって弾かれる。
そのままトゥユの隣を駆け抜け、ある程度の距離を取ると再び馬をトゥユの方に向け突進してくる。
トゥユは騎馬相手の戦いは初めてで戸惑っていた。
相手の攻撃を受けた後、反撃をしようとしても既にそこには相手は居らず、最初から待ち構えて攻撃をしても、馬上相手の敵にはテレフォンパンチになってしまい楽々と躱される。
打開策を考えている内にも相手の攻撃は続き、何とか防いでいるだけで手一杯の状態だ。
──嫌らしい攻撃だね、こっちが攻撃しようとした時に居ないのは。
『それが騎馬兵の特徴の一つだから仕方あるまい。だが、このままではジリ貧だぞ』
──何とかお馬さんにはご退場願いたいんだけど……。
ベニテスが再びこちらに向かって突進して来た事で考えるのを止める。再び振り下ろされたフランベルジュを戦斧で受け止めると、これまでの疲労も積み重なり腕が痺れて来たのが分かる。
徐々に戦斧を構えるタイミングが遅くなってきた事でベニテスはトゥユが疲れ始めているのを察知し、一撃離脱の作戦からトゥユの周りを廻りながら攻撃をして来るようになる。
トゥユは馬の回転に合わせ態勢を変えなければいけないため、更に防戦一方になっていった。
フランベルジュの一撃を受け止める度にトゥユの腕の疲労は増していき、馬の回転にも徐々に付いて行くのが辛くなってきた。
トゥユが一撃を受け止め態勢を変えようとした時、足がもつれて倒れてしまう。
チャンスが来たと思ったベニテスは馬の手綱を引いて、前脚を上げさせトゥユを踏み潰そうとする。
ゴンッ!!
馬の蹄がトゥユの胸に降ろされる瞬間、何とか戦斧を盾にする。
馬の蹄と戦斧が激しくぶつかり、普通の武器なら壊れてしまうであろう馬の踏みつけも戦斧は傷一つなく防ぎ切った。
何とか馬の攻撃を防げたのだが、すぐに立ち上がる事はできなかった。
『トゥユ、避けろ!』
それでも攻撃の手を緩めないベニテスは馬を突進させたが、トゥユは声に従い既の所で地面を蹴り回避する事ができた。
舌打ちをしながら去って行くベニテスを睨みながらトゥユは再び立ち上がり、戦斧を構える。
だが、構えた瞬間、戦斧で防いだ胸の辺りに鈍い痛みが走る。思わず膝をつきそうになるが、何とか堪え大きく息を吐いた。
──アハハハッ、肋骨が何本か逝っちゃったみたい。息をするだけでも大変だよ。
『どうする? まだ続けるか? 逃げると言うのも手だとは思うが』
ウトゥスの優しさには涙が出るほど嬉しいのだが、ここで引くと言う選択肢はトゥユの中にはない。
ベニテスをここで殺しておかないと後々障害になる。確証はないが確信はあった。だから引く事はできないと。
鎧や戦斧は無事で体が傷つくなんて防具と武器の耐久力には頭が下がる。だが、そのおかげで生きてられる。
マールさんに今度会ったら飛び切り美味しいご飯をご馳走してあげようと心に誓う。
風がトゥユの頬を撫でるように通り過ぎるが、同時に胸を思いっきり殴られたような痛みを残していく。
鎧を着ているので実際には胸の痛みは風とは関係ないのだが、風が当たったからと思える程痛みが強くなっている。
──風なんて吹かないでよね。レディーの胸を触って行くなんて失礼しちゃうわ。
嫌らしい風に悪態をつきつつベニテスの凶刃を防ぐが胸の痛みが脳に伝わり脳が痺れる感じがする。
だが、脳が痺れたお陰かトゥユは一つの作戦を思いつく。
成功するかどうかの検証をする時間はない。トゥユは街道の脇に立っている木を背にしてベニテスを迎え撃つ構えを取る。
「はん! 木を盾にして戦うつもりか。そんな事をしても無駄だと言う事を教えてやるわ」
ベニテスは何度目かも分からない突撃を敢行する。
トゥユはベニテスがこちらに向かって来るのを確認し、木から一歩離れると一回転して戦斧を木に叩きつけた。
戦斧を文字通り斧として使用した一撃は木を切り倒すには十分な威力で、木が街道を横切るように倒れ始めると、ベニテスは急いで手綱を引き木に衝突する寸前で馬を止める事に成功する。
しかし、いきなり手綱を引かれた事と、木が目の前に倒れて来た事により馬は前脚を上げて立ち上がってしまった。
その瞬間を狙っていたトゥユは倒れた木を踏み台にして大きくジャンプし、ベニテスに向かって戦斧を振り下ろす。
馬が立ち上がった事で体勢を崩していたベニテスは何とか剣を自分の体の前に入れる事で直撃は防ぐ事ができたが、戦斧の勢いに押され地面に叩きつけられてしまった。
トゥユが馬の尻を戦斧で軽く叩くと、馬は驚いてどこかに走り去ってしまった。
「お馬さんは大丈夫だったかな。でも、これでやっと対等の条件だね」
振り返ったトゥユは仮面の中で愛らしい笑顔を浮かべるが、ベニテスはその笑顔を見る事ができず、無表情な仮面を見るだけだった。
「ふん、私が馬上でしか力が出せないと思っているなら大間違いだ。それを体で思い知らせてやる」
腰に付いた土を払いながらベニテスは立ち上がりフランベルジュを構える。
下卑た笑みを浮かべ地面を蹴りベニテスが突っ込んで来る。胸は痛み、腕は痺れ、足は重く自由に体が動かせない中、トゥユはギリギリで攻撃を躱す。
本来ならもっと楽に攻撃を躱せるはずだが泣き言を言っても仕方がない。気持ちを切り替え相手の隙を待つ。
──お馬さんに乗ってないだけで、攻撃の重みが全然違うよね。腕の痺れが薄れて来たよ。
『馬上だと体重を乗せて攻撃できるからな。だが、それ程余裕がある訳ではなかろう』
──そうなんだけど、このままだったら大丈夫かな。
楽観的に考えていたトゥユは横薙ぎに放たれた剣を素早く避けたのだが、一瞬遅く腹部を真横に斬られ血が滲み出ていた。
トゥユは確かにフランベルジュを受け止めていた。だが、両手持ちしていたフランベルジュから右手を離し、腰に帯剣していた剣を抜いてトゥユの腹部を薙いだのだ。
「おっと、言ってなかったか? 私は両刀使いなんだ。今後はそのつもりで対応してくれ」
憫笑を浮かべ左手で持っているフランベルジュを前に半身の態勢で構える。
フランベルジュはその波を打った形状から斬る事を目的とするのではなく肉を引き裂く事を目的とした剣で、当たらなくても確実に防御をさせ、右手で持った剣で止めを刺す事を狙っているようだ。
ベニテスはこの二刀を巧みに使う事で王国の中で武勇を上げて行った。
相手に攻撃を受けさせてから相手を斬る。一刀目を無碍に扱った者はその肉を引き裂く。この攻撃はなかなか止められる物ではなく数多の兵がベニテスの前に悲鳴を上げ、倒れて行ったのだ。
今まで何千、何万と振るってきた両刀を巧みに使い、トゥユを押し込んでいく。
──アハハハッ、一気に劣勢になっちゃった。
『笑ってる場合ではないぞ。これ以上傷を負ってしまうと命にも関わる』
ウトゥスの言っている事は分かるが、無傷で勝てる程甘い相手でない事も分かる。
腕の痺れが取れたのを感じたトゥユは戦斧を握る手に力を籠め思いっきり振ってみた。風を切り裂く低い音を発し振るわれた一撃はベニテスに易々と躱されたのだが、トゥユは仮面の中で口角を上げた。
ベニテスは表情には出さないが、内心焦っていた。それは今まで見ていた中でも一番剣速が早かったからだ。これ程の相手を舐めている事なんてないと思っていたが、何処か油断が有ったと思い再度気を引き締める。
ベニテスは距離を取るのは不利と判断し、離れてしまった距離を潰しに来る。
接近戦の中、何合も打ち合いを行うが、お互い決め手になる攻撃が繰り出せずにいた。だが、焦る事はない、焦らなくても体力的にはこちらの方が上とベニテスは考えていた。
ベニテスの考えを証明するようにトゥユの足捌きは段々と怪しくなってくる。それもそうだ、エットレの部下と戦い、その後ベニテスの部下とも戦い、体力など既に尽きてしまっていても不思議ではない。
ベニテスの攻撃をここまで受けられると言うのは化け物と表現してもおかしくない物であった。それが少女であるなら尚更である。
フランベルジュの一撃を受け止め、次に来るであろう剣への対応として体を動かそうとしてトゥユは足がもつれ、体勢を崩してしまう。
──貰った!
この瞬間を待って居たベニテスは右手に持った剣をトゥユの腹部に突き刺した。
「どうやら勝負ありだな。ここまでよく頑張った方だ」
腹部に突き刺した剣を抜いて止めを刺そうとするが、いくら引いても剣が抜ける事はなかった。それはトゥユが手を後ろに回し剣を掴んでいるからだった。
刺された腹部を見ていたトゥユが顔を上げると仮面越しに朗笑しているのが分かった。
ベニテスは掌で踊らされていたのだと分かり、距離を取ろうと右手の剣を手放し、後ろに飛びのいた所に戦斧が通過する。
腹部に刺さった剣を引き抜くとそれを森の中に投げ捨てる。刺さっていた箇所からは血が噴き出すが、服を破って止血する。
「これでやっと一本になったね。本当によく頑張った方だよ」
その『頑張った』はトゥユかベニテスどちらに向けての『頑張った』だったのだろうか。
ベニテスは自分に落ち着けと言い聞かせ心を落ち着かせる。
「はん! 剣を一本奪ったぐらいで勝った気になるとは……。ここからが本当の戦いだ!」
自分では動揺は抑えられたと思っているベニテスはトゥユに向かって地面を蹴って迫るが、その動きは何処かぎこちない。
対してトゥユは
ベニテスは両手でフランベルジュを持ち渾身の力を込てトゥユの頭に振り下ろす。トゥユはその振り下ろしに合わせ戦斧を振うと、フランベルジュが折れ、宙を高速で回転し地面に突き刺さる。トゥユはフランベルジュを破壊する事に成功したのだ。
激しい衝撃音の後、急に軽くなった自分の剣を見てベニテスは何かを言おうとするのだが、言葉が出てこない。
トゥユは震脚を行い一歩踏み出すと真後ろまで引いていた戦斧を横に一閃する。
戦斧の残像が遅れて現実に追いつく。
振り抜かれた戦斧は一切刃毀れをしておらず、中天に差し掛かった陽の光を浴びてダイヤのような輝きを放つ。その輝きをベニテスは宙を舞いがながら見つめていた。
宙を舞っていたベニテスの上半身が「ドスン!」と言う音と共に地面に落ち、何度か弾むとその血で地面を濡らした。
トゥユは死力を尽くした戦いに勝利した事に安堵し、地面に座り込む。
「やっと終わったよ。もう体がボロボロ」
『良くやったな。生きている事が何よりだ』
肋骨は何本か折れ、腹部に空いた穴と横一線に入った傷と止血をした箇所から滲む血を見つつ自分の状態を確かめる。
傷は思ったよりも酷く、早くちゃんとした手当をしないと大変な事になると思っていると、トゥユに話しかける声が聞こえた。そちらに視線を向けるとそこには荷車に積んである大きな箱の上に乗ったエットレの姿が有った。
その箱は鉄で作られており、ちょっとやそっとでは壊れそうもない、人が三人程入っても余裕がある程大きい箱だが、所々中から何かぶつかったのだろうか、こぶのような物ができ、形が歪んでいた。
「貴様のような奴が良くベニテスに勝てたものだ。だが、それもここまで。ここにあるのは何だと思う?」
エットレが嗤笑を浮かべ、足元にある箱が縛られている縄を切り裂いた。
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