緊急事態の願い

 ミコトが一階に降りてみると、酷い惨状を目にした。


 やはり至竜が絡む案件だ。

 厨房と、そこに隣接させたドワーフ謹製の調合窯をまとめて薙ぎ倒して突っ込んできたらしいその竜は荒く息を吐いている。

 負傷をしているわけではない。察するに、不安や焦りから酷く動揺している様子だ。


「緊急事態ってわけだね。うん、わかったよ」


 以前、白鳥の竜がぼんやりとした光に包まれていた時よりも存在が不安定になっている事からもわかる。

 この竜は今、願いを叶えるために力を使い果たそうとしている。

 今までの経験から、何が起こりつつあるのかはおおよそ想像がついた。


 遅れて追ってきたベネッタはその答えを口にする。


「この竜の想い人に命の危機が迫っているパターンか」

「はい。猶予はあまりなさそうですね……」


 彼ら元動物の願いは様々だ。

 元白鳥のような恩返しもあれば、黒竜のように復讐を考えている者もいる。同じなのはそれぞれの願いを叶えるいつかのために力を蓄えていることだけ。


 けれどその願いが揺らぐ事態が起こればどうだろう。

 あの白鳥にしろ、老婆の余命に危機を感じたからこそ北国まで連れていくという最終目標を叶える前に行動に出たと言える。


 それと同じだ。

 想い人が火事に巻かれたから局地的な豪雨を降らせて命を救うなんて奇跡もある。

 ただし、大気中の魔素が薄い表層世界でそんなことをすれば消費魔力は膨大で、すぐに力尽きてしまう。無論、想い人の命を救いきれる保証もない。


 こういうパターンでは助ける猶予が少しでも生まれた程度の話だ。


「あなたの鱗をもらうよ。あとは任せて」


 家に突っ込んだ際に捲れかけた鱗の一枚を剥がさせてもらった瞬間、竜は力尽きたように光の粒子となって宙に消えた。

 ミコトはすぐに杖から狼の牙を千切り取るとリビングに置いていた素材袋のショルダーバッグと白羽の矢を手に取る。


 とりあえずこれで準備は完了だ。

 家の修理やその費用を思うと胃が痛みそうだが、今は考えないでおく。


 ひとまず考えなければいけないのは子竜のことだ。

 大事そうに抱いてくれているベネッタに目を向ける。


「あのう、先代。手助けを頼んだ昨日の今日で申し訳ないのですが……」


 本当に一体何事だろう。この土地の竜が増えているとはいえ、願いを叶えてやるのはせいぜい月に一、二回だ。連続することなんてなかったはずである。


 だが、泣き言ばかり言ってはいられない。

 子竜に目を向けた後、部屋の惨状にも目を向ける。

 この後始末を全て任せるのは心苦しいが、至竜の方は一刻を争うのだ。頼れるならば頼りたい。


「わかっている。私も仕事があるから師匠にこの子を任せた後、竜騎衆に事態を伝える。あとは帰りがけにドワーフの里に寄って修理を依頼しておこう。それでいいだろうか?」

「そこまでしていただけたら本当にありがたいです!」


 子竜の温度管理や素嚢乳のことを考えれば、世話はアルヴィンが適任だ。

 竜騎衆については竜の日向ぼっこに連れてきた時にこの惨状を目にしたらどうなるだろう。無人のままでは確実にいらぬ心配をかけてしまうので一言くらいは伝えておきたい。

 あと、家の応急修理くらいはしてくれないかなとささやかな期待込みだ。


 そんなやり取りをしている合間に家に空いた大穴からグウィバーが顔を覗かせた。


「ミコトよ、火急の要件であろう?」

「うん、でもグウィバーは先代の見送りを――」

「よい。またの機会もあろう」

「いらないさ。また来た時に送ってもらう」


 グウィバーとベネッタが答えるのはほぼ同時だ。この辺り、二人は通じ合っている。

 表層世界に渡る際はそれだけでも力を消耗する。願いを叶えるために力を溜めている至竜たちにはなかなか頼みにくいので、正直なところありがたい。


「それならお願いするね。先代のお気遣いにも感謝します」


 二人に感謝の声をかけた後、ミコトはすぐに行動を開始する。

 先日の白鳥の件とは違って案内がないため、まずは竜の想い人を探すところからだ。


 無論、闇雲に探すわけではない。そのための白羽の矢であり、あの竜の鱗と狼の牙だ。

 この矢は元来、生贄を求める神が対象の家に突き刺すという曰く付きである。何かの犠牲になろうとしている人物を探すには都合のいい要素を持つ。


 おまけに想い人本人を知る竜の鱗と、獲物を追いつめる狼の牙がある。

 付与の技能も合わせることで、これらを人探しのおまじないとして機能させるのが狙いだ。


「お願い。私たちが求めるその場まで導いて!」


 素材を手で包み、付与の技能でそれぞれの要素を組み合わせることで人探しのおまじないとして成立させる。


 成功だ。白羽の矢に淡い光が宿り、宙に浮く。

 それは手から離れて浮くと、射られたように空に向かっていた。

 もたもたすれば見失ってしまう。ミコトとゲリ、フレキの三名でグウィバーの背に乗ると即座に追いかけるのだった。

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