スライムと湯治
「うひゃあっ!?」
「おっと……!?」
三十分ほど続いた手合わせは、舞台として最初に形成した結界が崩壊したところで終わりを迎えた。
不測の事態ながらも無難に着地をしたミコトとベネッタは肩で息をしながら草原に倒れ込む。体力の限りスポーツをした時と同様、満ち足りた表情だ。
しばらくすると、白く大きな影がのしのしと歩いてきた。グウィバーである。
「よくもまあ、励んだものよな」
「ご、ごめんなさい。熱くなり過ぎました……」
「……皆まで言わないでくれ。私がけしかけた分、耳が痛い」
グウィバーは倒れていたミコトを尻尾で巻き上げ、ベネッタは後ろ襟を咥える。こうして歩く様はまるで母猫のようだ。
そんな状況で、ミコトはふと思い出す。
「そういえば、以前もこんな風にはしゃぎましたよね」
「そんな日もあったね。懐かしい」
幼い頃、どこかで遊び倒した記憶は誰にでもあるだろう。そんな郷愁に駆られるような空気だ。
「また来るよ」
「はい、いつでも待っています」
ベネッタの声に屈託のない表情で反応したところ、家に到着した。
こちらの様子はウッドデッキから眺めていたのだろう。アルヴィンとコーティが柵にもたれかかって声をかけてくる。
「おかえりなさい、二人とも。随分とはしゃぎましたね。こんなこともあろうかと、お風呂を薬湯にしておきました。疲れた体を癒してくると良いでしょう」
「恐れ入ります、師匠」
「ありがとうございます!」
グウィバーによって下ろされると、ベネッタがまず頭を下げ、ミコトもそれに続いた。
まずは着替えを取ってくるためにもミコトは二階の自室へ向かう。まだまだ体に疲れが残っているため、階段を登ることすら億劫になってくるのだがここは我慢だ。
下着や替えの衣服を用意し、ついでに空き部屋にも顔を出す。
そこは育雛室として結界を用意した場所であり、未だゲリとフレキが様子を見ているはずだ。
「二人とも、様子はどう?」
覗いてみると、寝そべっていた二頭は目を開ける。
「まだその時じゃない」
「遅々として進まない」
「やっぱりそうだよね。お風呂から上がったら私もこっちに来るよ」
尻尾を振って応答する二頭とは別れ、次は厨房に向かう。本日の料理の残飯が桶にまとめてあるのでそれを手に風呂場に向かった。
脱衣場ではすでにベネッタが脱いでいるところだ。
まあ、彼女が帰郷すれば大体風呂を共にしてきたので今更どきりとしたりはしない。風呂場の戸を開け、しゃがみ込む。
薬湯の香りに満ちた湯気の中、床をうぞうぞと蠢くものがいる。残飯の桶を風呂場の床に置くと、床一面に広がっていたそれは寄り集まり、桶に被さってきた。
「そのスライムも慣れたものだ。脳があるわけでもないのに、私たちのことを認識しているんだろうか?」
「どうなんでしょう? とりあえず餌に集まってくる鯉みたいですよね」
ベネッタが口にするとおり、これはスライムだ。
石造りの風呂場の隅々まで這い回り、垢とカビを捕食してくれるだけでなく、残飯も処理してくれる。
トイレの他、家の周囲に集まった竜の糞も放っておけば処理に困るのだが、家の内外で飼えば人知れず分解処理してくれるありがたい存在である。
スライムが桶に集まったところで脱衣所に置き、ミコトも服を脱いで風呂場に入る。
「あいたたた……」
お互い、細かい擦り傷を作ってしまったために掛け湯が辛いところだ。
けれども痛いのはここまでである。
アルヴィンが用意してくれたこの薬湯自体、治癒を促進してくれるものであり、もう一つとっておきがある。その鍵がベネッタの技能だ。
二人して浴槽に浸かったところでベネッタが手を差し伸べてくれるので、ミコトはそこに手を預ける。
「――願い奉る。我らが肉体に、どうか祝福を」
ベネッタが呟くと、戦闘時と同様に淡い光が二人を包む。
彼女の技能〈祝福〉は何も身体強化のみの力ではない。癒しの力も内包する、肉体の総合的な強化だ。
「あぁ~、染み渡りますぅー……」
傷は治りかけが痒いように治癒は痒みを生じるものだが、湯に傷を浸した痛みがいい具合にバランスを取っていた。微炭酸に身を沈めているようにピリピリした感覚を味わっているうちに薬湯の効果も相まって傷が塞がっていく。
そして、この薬湯の蒸気自体も意味がある。
魔力を含む霊水や薬草が元になっているのだが、それが蒸気と混じり合って吸収しやすくなっているのだ。
傷の回復も体内魔力の充足も一気に捗るので、疲労感は解けるように消えていく。
「先代。この湯治を考えた人は天才すぎますね」
「ああ、本当に。食に、湯治に、房中術。平時における三大回復術なだけあるよ」
治癒とは万能の御業ではない。
他者の魔力で傷を補えば血液の拒絶反応のように傷が開くこともある。己の血肉なり、魔力なりというリソースを大きく消耗する代わりに傷を癒す行為だ。
一方、食や湯治、房中術は自己治癒能力を補助するものなので体に無理がかからない。
「ふやけるまで浸かっちゃいましょう」
「それがいいね」
肌が綺麗だの、胸が成長しただの、洗いっこだのという風呂での定番も忘れ、二人は口元まで湯船に浸かって時を過ごすのだった。
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