竜の素嚢乳を調合します Ⅱ
「先代、コーティさん。すみませんが少しの間、上で作業をしてきます」
「ああ。それが終わる頃には食卓に並べておくよ」
「いってらっしゃい」
ベネッタは料理の仕上げがてらに頷き、コーティはひらひらと手を振って応答してくれる。
ちなみにゲリとフレキは厨房に立つベネッタの背後にぴったり付き、時折、前脚でタッチしてつまみ食いを催促していた。
調合に関しては何もできないとはいえ、薄情な保護者である。
ミコトは小さく息を吐き、アルヴィンと共に二階の調合室に向かった。
この部屋にはマンドレイクを始めとして様々な幻想種の素材を保存している。
魔女の家やホルマリン漬けの保管庫もかくやという品揃えで、薬草が各所に吊るされた他の部屋とは明らかに趣が異なっている。
ここではアルヴィンから調合の手解きをよく受けたものだ。
昔の記憶をなぞるように彼は教師然として一つ指を立て、問いかけてくる。
「さあ、ミコっちゃん。おさらいをしましょう。同じ調合の技能を使用する行為でも、おまじないと魔法薬の作成では大きな違いがあります。それは何ですか?」
幾度となく問われたことだ。
ミコトは記憶を探るまでもなく答える。
「おまじないはあくまで実感できる効能や見た通りのイメージに尾ひれがついたものです。魔法薬はそもそも特殊能力を持つ素材の機能を切り貼りして、さらに特殊な効能を発揮させるものですよね」
単純に言えば、おまじないの上位互換に当たる。
単なる素材の足し算に終わらないのは、これもまた幻想種と同じくおまじないや魔法薬に対する信仰が効能を高めているからなのだろう。
卵が先か、鶏が先かは知らないが魔術とは大抵がこういうものらしい。
この辺りは基礎に当たるので、アルヴィンはうむうむと当然の如く頷く。
「よくできました。では、ドラゴンズミルクはどのような効能を目指しますか?」
「通常の母乳と同じく高栄養で消化しやすく、魔力を多分に含んだものにします。もちろん、その魔力は竜にとって吸収しやすいものでないといけません」
「幻想種は肉体というより、魔力でその身を形作っていますからね。これもまた正解です」
強い幻想種ほど強い魔力を秘め、物質には依存しなくなってくるのだ。
その影響もあって幻想種というものは極論、魔力を有する獲物を食べていればほとんど栄養を摂取しなくとも体を維持できる。
ただし、成体には可能であっても幼獣に同じことをしろというのは無理な話だ。だからこそドラゴンズミルクが必要になる。
「では、ミコっちゃんはどのような材料でそれを作りますか?」
「ストックしてある竜の乾燥血液と市販の子犬用粉ミルクです。それらを竜の食道で作った水筒に詰め、素材の融合と容器の活性化を魔力で促します」
原種の竜を狩った際や穏やかな至竜の世話がてら採血などをして、このような事態には常々備えている。
ミコトは部屋の各所に置かれた素材を集め、作業机に並べていった。
するとアルヴィンは子犬用の粉ミルクを興味深げに見つめる。
「粉ミルク。なんと便利な時代になったものでしょうか」
彼はそれを拾い上げると、しげしげと見つめた。
「懐かしいものです。僕の時代は〈妖精の耳〉で情報収集はできても、ミコっちゃんほど素早く異常の察知と対応ができませんでした。結果、ドラゴンズミルクを作る機会は多かったのですが、どうにも失敗が多くて悩まされたものです」
喜色ばかりを浮かべる彼には珍しく、憂いて眉を寄せている。当時はそれだけ心を痛めたのだろう。
至竜を密猟で死なせてしまったミコトとしても、その気持ちには共感できる。
「竜がどのように世話をするのかあまり研究が進んでいなかったんですよね」
「単に観察するだけでは吐き戻しているものを与えている場合との差異を見つけられないですからね。見かけ通りの事をしているとしか思っていませんでした。まず肉を与えて失敗し、原因究明にも時間を要しました。その後も牛乳や山羊乳で用いても衰弱させてしまうという失敗の連鎖です」
動物の体表についた微生物、乳汁にも含まれてしまう病原体など未加熱の乳汁によって発生する食中毒も数多く存在する。
一体どこに失敗の原因があるかわからない状況でそんな要素も加わってくると試行錯誤には時間を要してしまうだろう。
ましてや大切な竜の子だ。気軽な実験なんてわけにもいかない。
アルヴィンは遠い過去を振り返る目でそんな過去を語った。
「いやはや。幻想種を科学的な視点で捉えるからわかることもあるのだから、おかしなものです」
科学はある意味、最も困る難敵だ。
表層世界では幻想種の存在を科学的に分析、否定されているというのに、幻想種を助ける技術もまたそこにあるのだから皮肉である。
けれどもそれこそ時代の流れというものだろう。
どんな技術でも、利用してより良い生活を望めるのなら否定する気などミコトにはない。
「師匠。それなんですけど今後試していきたいことがあります」
「うん? なんでしょうか」
竜の食道とそれらしい材料を用いて本物に近いものを生成する――その考えには行きついているところ、さらにもう一工夫だ。調合に長じたアルヴィンでも考えつかなかったらしく、首を傾げられる。
「これを見てください」
ミコトは彼の前に一つの冊子を持ち出した。
そこに記されているのは牛の新たな飼育法についてである。
「表層世界の牛の研究では、口移しや食糞みたいな方法で母から子に消化管内微生物が受け渡された方が健康に育つんだそうです。この考えは研究する価値がありそうだなと思いまして」
「ふむ。僕も聞き覚えがある。発酵食品を食べると健康にいいというようなものかな?」
「一部は似ていると思います」
ミコトはこくりと頷いて返す。
「私たちも幻想種も魔力を含む肉を食べてその力をものにできますよね。それは相手の魔力を分解して、自分の支配下に置き直しているからです。けれどその分解の働きは私たち自身の力のみではないと思うんです」
「ほう……?」
聞き慣れなそうではある。
けれども言われてみると即座に否定できるものではないらしく、アルヴィンは興味深げに耳を傾けてくる。
「私たちも幻想種も虫歯にはなりますし、風邪もひきますし、死ねばいつかは腐ります。魔力で強化、維持しているはずの体が影響を受けているんですよね。これはつまり、魔力を分解したりする微生物が体内にもいる証拠です。……その観測はできていないんですけど」
「なるほど。つまり竜が子育てをする時はその微生物も受け継がれているに違いないということですか」
こうしてドラゴンズミルクを作るようになった今でも、竜が自然界で子育てする時に比べればまだ成功率が及ばない。つまりは今の方法にも足りないものがある証拠だ。
その考えを提示してみると、アルヴィンは深く頷く。
「これがミコっちゃんの魔術の研鑽というわけですね」
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