竜の素嚢乳を調合します Ⅰ
ミコトが事を終えて竜の大地に戻った頃にはとっくに夜のとばりが落ちていた。山賊討伐に加え、その護送までやっていたのだ。これも当然と言えば当然である。
里長に聞いた分だと、ベネッタはグウィバーと先に戻ったらしい。
師匠のアルヴィンたちも含めて先達を待たせるとは非常に心苦しくは思う。
……思ってはいるのだが、自宅から漏れる明かりと煙突から昇る煙を目にすると、ミコトは不謹慎にも頬が緩んでしまっていた。
「あぁ、これはきっと先代がご飯を作ってくれているよね!?」
一人暮らしの身としては家で誰かが待っていてくれるのは嬉しいものだ。料理を作ってくれるなんてなおさらである。
ね? と同意を求める目を向けてみるとゲリとフレキは尻尾を振った。
「汁物の匂いがする。焼き物の匂いもだ」
「こと料理に関しては先代に軍配が上がる。手間暇が違う」
ゲリとフレキは全く酷い言い草だ。普段、誰がご飯を用意していると思っているのだろう。
「私はその時々の安いものでざっくり作っちゃうの! ゲリフレキ用のメニューまで作るのは大変なんだよ?」
「「我らは悪食」」
「口が減らないなぁ、もう」
人と犬ではもちろん食べられるものが違う。だが、この二頭に関してはそうとも限らない。
そもそもの神話では、食事の必要がないオーディンは供される食物をゲリとフレキに与えていたそうだ。そこから考えるなら、確かに何でも食えそうではある。
けれども、体が必要とする栄養は決まっている。偏食が体に良くないのは人間だろうが幻想種だろうが変わりない。だから犬に見合った栄養を補うためにもミコトはドッグフードを与えているのだ。
普段からこなすべき仕事が多いので一石二鳥。――そう言ってみると度々文句を返されるのだが。
ともあれ、早く帰るに越したことはないとミコトは駆け出す。
「ただいま帰りました!」
「やあ、おかえり。ミコっちゃん」
師匠のアルヴィンは食卓で缶入りクッキーとお茶で一人まったりと休んでいる。きっと竜の卵を保護しておくことを言い訳にしたのだろう。
尤も、役に立っていないわけではない。
アルヴィンは調合に長じているだけあって、様々な薬草やハーブを幅広く取り揃えている。それどころか野菜や蜂蜜に至るまで自前で確保しているらしい。きっと今日の食卓でも影の立役者だ。
彼の声に続き、ベネッタとコーティの視線も向けられる。
「おかえり、三人とも。厨房を勝手に使わせてもらっている」
「いくらでもどうぞ。先代のご飯、楽しみです!」
ベネッタはエプロンをつけて料理を担当しており、コーティは皿を並べていた。
こうして食卓を共にするのは親戚の集まりのように年に何度もあることなので勝手知りたる様子だ。
「今日は何を作ってくれているんですか?」
「ゲリとフレキが肉に飢えていたそうだから、里でもらった肉をメインにあれこれとね」
まだ調理に勤しんでいるベネッタの邪魔にならないよう、ミコトは横から覗き込む。
三口ある竈のうち、二口は言葉通りの肉だ。
大ぶりなラムチョップが所狭しと香草焼きにされている。その他、くつくつと煮込まれるポトフはカブが半透明になるほどよく染みていた。
スパイスが効いた腸詰めと野菜の甘い香りのとおり、口に含めばきっと体にじわりと染み込む味わい深さだろう。
肉と野菜のうま味が溶けだした黄金色のスープをすくったベネッタは小皿で味見をすると調味料を手に取る。
「ミコトは疲れているだろう? こっちは私たちでやってしまうから座って待っていて欲しい」
「はぁい。ありがとうございます!」
こうして甘やかしてくれるのもベネッタくらいなものだ。返す声も猫撫で声みたくなってしまう。
厨房から離れられない彼女に代わり、手が空いているコーティはミコトの背を押して食卓へと促してくれた。
手持ち無沙汰な者同士、アルヴィンと視線が合う。
気になるのは彼に預けた卵の容態だ。
「師匠、卵は無事ですか?」
「うん、それを問われると思いました。自分の目で確かめてごらん」
このゆったりとした空気なので緊急の事態はないだろう。
アルヴィンが布を一部解いてくれるので、覗き込んで様子を確認する。
保護した時のまま変化なし――ではない。
白い卵には小さな丸い穴が空いていた。
「……! 嘴打(はしう)ちですか」
「竜は強かなものです。命の危機を察知して、早く生まれねばと思ったのかもしれませんね」
保護した時には傷がなかったので子竜の行動によるものなのは確実だ。
中には竜の鱗とたてがみらしき毛が見える。経験からするに、これから数時間から一日かけて生まれ落ちるはずだ。
さて、となると孵化後の準備が必要になる。
第一は気温と湿度を一定に保った育雛室。これについては結界に機能を付与すればいいだけなので問題ない。
第二に必要なのはご飯だ。
孵化直後は卵黄から吸収した栄養で大丈夫だが、翌日辺りからは餌を必要としてくる。
竜はあの鱗に包まれた見かけの通り、哺乳類ではない。だが、大きく強く成長する種族のために単なる肉をあげていればいいわけではないのだ。
「
それは鳩が食道にある素嚢から分泌するミルク様の液体と同等のものだ。
過酷な環境で生きる傾向がある上、子でも強い魔力を秘める竜は機会さえあれば狙われてしまう傾向がある。
だから生まれたばかりの子は早く成長させたいし、餌を取りに行く度に離れるという事態は避けたい。そういった適応淘汰から備わったのだろう。
それを人工的に再現するので、便宜上同じ名前で呼んでいるのだ。
元はといえば、その製法をアルヴィンから指南されたために敢えて促すまでもないことだろう。
「その通り。夕食までに済ませてしまいましょう。よいですか、ミコっちゃん?」
「もちろんです」
さほど時間がかかる作業ではない。
ミコトはすぐに頷きを返し、ベネッタたちに断りを入れる。
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