逆鱗 Ⅲ
アルヴィンは柔らかな表情のまま卵を受け取り、赤子のように抱きかかえる。
「うんうん。思い出します。あれは二十年前と十八年前。竜や狼では世話をしきれないので、僕は赤子の君たちをこうして――」
「アルヴィン。空気、読め」
縁者の妖精は割と容赦のない勢いで彼の頭を殴る。これまたかくりと頭が傾くだけで表情が変わらない点も凄い。
けれど、忠告は伝わっているようだ。彼はすべきことを思い出してくれる。
「おいでよ、おいで、妖精たち。君たちの知り得るものを僕に教えておくれ」
彼が呟くと、周囲に蛍のような穏やかな光が浮かび上がる。
〈妖精の耳〉とは、万物に宿る精と語らう能力だそうだ。
木のみならず、水や土にも精霊が宿っていると言われるこの世界においてはある意味、千里眼にも等しい能力だろう。
彼には戦闘能力はないそうだが、竜と穏やかに心を交わし、この能力も使って影からこの竜の大地を支え続けたそうだ。それで数十年と役目を担ったというのだから、実力は本物である。
アルヴィンはふむふむとひとしきり頷き、情報収集は終わったようだ。
「まつろわぬ民、ですか。いやはや、これはまたなんとも」
少しばかり悩ましそうに息を吐いた彼はミコトの肩にとんと手を置く。
まつろわぬ民――難しい言い回しなのは彼が精霊から耳にした言葉を総合的に翻訳したものだからだろう。要するに何にも従わない無法者だ。
この世界では協力していかねば生きていけない。だが人口は少ないため、集落は限られている。人に知られない集落があるとすればそれは大抵、やましいことに手を染めている集団だ。
一般人にとっても厄介者であり、殺したとしても喜ばれるばかりなのでアルヴィンとしては自制を促しにくくなったらしい。
「大丈夫です、師匠。関係者や頭目は押さえ、里長たちの手に委ねます。彼らも身の潔白は証明したいでしょうから」
「そうだね。火竜の息吹、過ぎれば自らを巻くと言う。苛烈な暴力は良からぬことを引き起こしかねない。鬼のお山のような殺伐空間は僕としても息苦しいしね」
鬼のお山とは、この竜の大地と似た場所だ。
動物たちも竜に転生するばかりではない。他の幻想種、鬼に転生することもある。
だが、あちらはこうして〈至種〉の鬼を殺される事態を避けるために狭間の領域にある人間とは一切の交流を断った。彼らの縄張りに入れば容赦なく皆殺しにするほどの徹底ぶりらしい。
泣いた赤鬼のような過去があったのに人間に裏切られたからとは聞くが、それ以上はミコトも知らなかった。
意図はわからないでもない。だが、それで防げる悪意と失われてしまった善意。果たしてどちらが多いのだろうか。
「はい。竜と心を交わして私たちと同様に至竜を育ててくれる人もいます。私が見てきたものは悲劇より、喜びが勝っていますから拒絶しようとは思いません」
例えば竜騎衆だ。
渡りとして力を高めるため、竜の相棒を求めたのが始まりだった。
生死を共にして竜を育て上げた暁には彼らの望みを共に果たしてやり、泣いて見送るのだ。屈強な戦士が、男泣きで別れていくことさえある。
そんな関係を何度か見た覚えのあるミコトとしては全ての人を嫌う気にはなれない。
良い人間もいれば悪い人間もいる。そういうものだ。
自分はその悪い人間を討伐に向かうとして、卵のお守りは師匠に頼める。
残るは捕らえた下手人の移送のみ。ミコトはベネッタを見つめた。
「先代、折角来てくれたのにゆっくりさせてあげられなくてごめんなさい。そこの二人を狭間の里の長に突き出してもらってもいいですか?」
「ああ、構わない。日中ゆっくりさせてもらったし、薬の対価のために働くよ」
「ありがとうございます!」
二人の先達に深々と礼をする。
ゲリ、フレキはすでに準備完了と傍に寄り添っていた。そして、彼ら以外もいる。
殺された竜を食らった後、この場に残る竜がいた。
彼らの体色は黒や紫。人間に強い恨みを抱く子たちだ。
そう、何も動物が抱く願いは人との仲睦まじいものばかりではない。真逆のものだって存在する。むしろ願いとしてはより強烈なくらいだ。
ただし、彼らの願いをそのまま叶えてしまえば表層世界との全面対立ともなりかねない。彼らを御するのもまた竜の大地を束ねる者として重要な役目だった。
「――っ」
興奮した瞳でこちらを見つめる黒竜を前に、ベネッタは小さく身を抱く。
彼女から役目を引き継いだのもこの竜に関する騒ぎが問題だったわけだが――今はそれに触れている時間がない。
彼らの恨みを解きほぐし、別の形で昇華させる。今回はそれまでの息抜きにもなることだろう。
「うん、いいよ。あなたたちの気持ちを今はまだ導ききれないけど、いつか来るその日のために今日は特別」
自分よりよほど大きな黒竜に、多頭のヒュドラ。触るだけで傷を与えてきそうな攻撃的見かけの竜が多い。
それらが獣心に任せた威圧を垂れ流しているのだが、ミコトは平然と前に立つ。
退けば彼らの願いは幻想種全体まで冒す呪いになってしまう。そうさせてはいけないのだ。
怖がっていては導けるわけがない。彼らと向き合い、呟いた。
「感情に任せて吼えていいよ。悪党は一人も逃がしちゃダメ」
猛る獣の咆哮を受けながら、ミコトは黒竜の背に乗って飛び立つのだった。
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