逆鱗 Ⅰ
竜の大地にはところどころに様々な竜の縄張りが存在する。
中にはこの土地を管理するミコトですら御しきれない竜も存在する上、起伏も激しいので基本的には飛んで移動するに限る。
だが、密猟者はその手を取ることはできない。空からこの地に侵入すればたちまち竜が見つけるので、縄張りを陸路で横断する必要がある。
知能が高い竜は連携することすらあるのだ。はっきり言って無謀極まるだろう。
竜の素材は特上の評価で取引されているとはいえ、正しく捉えるなら見合うものではない。それでも散発するのは下手人が道理を考えない層の人間だからだ。
狭間の里と協定を結んだり、交流をしたり。そういった相互理解の努力までけなされている気分だ。
「――見えた。あそこだね」
敵は剣士と斧使いだ。
至竜一頭を仕留め、一人が警戒に、一人が解体に徹している。間もなくこちらの姿も見つかることだろう。
迎撃の暇など、与えてやるものか。狙いを定めたミコトはグウィバーから身を乗り出す。
すると、肩に手を置かれた。
ベネッタが見つめてきている。
「言うまでもないだろうが、冷静に。解体している方は私が叩こう」
「ありがとうございます。それなら一つ気を付けてください。あの竜は卵を温めていました。もしかしたらそちらだけはまだ助けられるかもしれません」
こんな秘境にまでやってくる渡りだ。昼に見たダゴンを一撃で打ち倒す技能くらいは持っているだろう。無防備に降下する姿を晒すのは躊躇われる。
かと言ってこちらから遠距離攻撃を仕掛ければ卵が危険に晒されるだろう。迂闊な攻撃はできない。
けれど、その程度の制約なら気構えしていれば平然とこなせる。その程度の能力もなければ竜を束ねるなど到底無理な話だ。
ベネッタからこくりと頷きが返るのを確かめると、ミコトは勢いをつけて飛び降りる。
高度は三百メートル。
勢いをつけて飛び降りたので地面まで五秒も必要ないだろう。魔力を高めていれば勝手に間合いに侵入できるのでむしろ楽ですらある。
風切り音に魔力の高まりまである。警戒に当たっていた剣士がついに気付いた。
「っ!? 御子――」
「前方、三球。――潰せ」
ならばもう隠密は終わりだ。手を掲げ、結界を形成する。
剣士の顔面と両腕を包み込んで形成した結界を圧縮し、殺さない程度に潰す。関節や眼球が再起不能になろうが知ったことではない。竜の卵の安全が優先だ。
続けて弾性のある結界によって衝撃緩和して着地し、もう一人に杖を向ける。
「……っ!」
解体に集中していた斧使いもぞくりと身を震わせてこちらに目を向けた。
だが、遅い上に注意も散漫だ。
目の前のミコトに対して身構えはしたが、背後に着地するベネッタには気付きもしなかった。
ベネッタは男が振りかえるよりも早く膝裏を蹴り抜くと共に首根っこを掴み、残った手で男の利き手と思われる右肩に手刀を叩き込む。
何層にも渡る結界で固められた手を身体強化した状態で叩きつけたのだ。鎚を振り下ろしたのに等しいだろう。
「ぎゃ――っ!?」
そして、満足に呻く間さえ与えてやらない。
ベネッタは首根っこを掴んだまま男を地面に叩きつけて意識を刈り取った。
正反対の戦闘法をスマートにこなす姿はいつ見ても憧れるものだ。
「ミコト、この二人の拘束を」
「はい、ただいま」
一歩遅れてこちらも無力化を終えたところで声がかかった。
相手も魔術を使える以上は油断をしない。五体と胴体、首に輪っか状の結界で拘束と、いざという時の保険をかけた上で惨状を確認する。
至竜は解体されていた通り、すでに死んでいた。
眼球や爪、犬歯など特に魔力が溜まりやすく、奪いやすい部位はすでに切り取られている。ミコト自身もしている魔術への特性付与のみならず、その内包魔力の高さから触媒や増幅素材としても需要がある。
記憶が正しければ一部の里で開かれている闇市で貴金属同様に取引されるはずだ。
あとは割れた卵が一つ。
すでに竜の形まで成長した中身が、潰れた状態で落ちていた。恐らくは親が争った時に踏み潰してしまったのだろう。
本来なら数日中にも孵化していたかもしれないと思うと、より一層悔やまれる。
グウィバーが着地すると共にゲリ、フレキが飛び出して周囲の臭いを嗅ぎ始めた。
そんな中、ベネッタは潰れた小竜を持ち上げると歯噛みしてその死を悼む。
「……すまない」
ぽつりと呟いて涙を流す通り、彼女は心根が優しい。
今は悲しむより、お役目として次にすべきことを考えて静かに怒りの火を燻らせている自分よりよほど慈愛が強いだろう。
死んだ竜には番(つがい)がいた。おまけに、温めていた卵は三つあったはずである。
その事実はできるだけ告げない方向性が良いだろうと、ミコトは胸の内にしまう。
「うぉふっ!」
ゲリ、フレキが何かを嗅ぎつけたらしい。近くの藪をごそごそ掻き分け、こちらに吼えかけてきた。
彼らが藪から鼻先で転がし出してくるのはラグビーボール大の卵である。
「生き残りだね!? よかった……!」
ショルダーバッグから布を取り出すと卵の状態を確かめつつ布をかける。
竜の卵はダチョウの卵と同じく強度がある。幸いなことに騒ぎで弾き出されただけでヒビはないようだ。
これならば人工孵化させることもできるかもしれない。
「お願い。穏やかな熱と守りをここに」
杖から火竜と風竜の鱗を千切り取り、卵を包んだ布に添えて祈りを捧げる。
これでしばらくの間は適温を保持してくれることだろう。素材の能力を物体に移し替える〈付与〉の技能は戦闘だけでなくこういう時にも便利だ。
ひとまず残った卵についてはこれでいい。
まだ他に残っていないかとミコトはゲリ、フレキに目を向ける。
「ここに姿のない臭いがいくつか残っている」
「臭いが不自然に途切れている」
そうだろう。少なくともこの番(つがい)と卵をさらった者がいるはずだ。
二頭の声を聞くと、ベネッタも小竜を親の傍に寝かしてこちらに歩いてくる。
ああ、許せない。
彼ら至竜はあの白鳥のように願いを抱いた存在なのだ。
今に願いを叶えそうだった親竜が死に、新たに願いを抱いて生まれ落ちようとしていた命まで奪われた。
それだけではない。彼らの願いはこの幻想が満ちた世界全体を支えるものでもある。
踏みにじられていいわけがないのだ。
ミコトは指を咥え、大きく吹き鳴らす。これは竜を呼び集める合図だ。数分と経たず、音を耳にした竜が集まり、顔を覗かせる。
「ごめんね、みんな。私のミスで仲間を守り切れなかった……。せめてこの子たちの願いが無駄にならないよう、引き継いであげて」
集まった竜はその声を皮切りに、遺体に群がって貪り始めた。
幻想種がその身に宿す魔力はこうして喰らうことで受け継がれる。彼らにとっては火葬や土葬で自然に返すより、よほど救いのある弔い方だ。
残るは後始末のみ。悼む気持ちは一度しまう。
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