密猟の気配
お勤めは終了したものの、随分と手間取られてしまったものだ。竜の翼でも片道数時間はかかってしまう距離のため、帰る頃にはもう夕方である。
ゲリ、フレキもお疲れなのか、竜の上では二頭揃って背後と足の上で伏せていた。上空の風は冷たいので彼らの毛皮はミコトとしても非常に助かる。
そして草原に着くなり竜を解散させ、二頭と家に向かう。
あとはかなり待たせてしまったグウィバーに帰宅の挨拶をしなければいけない。彼が怒ることはないが、何かお返しくらいして然るべきだろう。そんなことを思いながら探してみると、すぐに見つかった。
意外なことに彼の傍には人影がある。
この竜の大地は人里から遠く離れた秘境にある。そんな場に出入りする人物はごく限られていた。
見間違えるわけがない姿に、ミコトは思わず駆け寄る。
「先代っ! いらしていたんですかっ!?」
「おっと……?」
グウィバーと語らっていた先代――ベネッタに飛びつく。
歳は二十。自分と違って彼女は発育がいいので自然と胸に飛び込む格好となり、豊満な胸に埋もれることとなった。
同性だというのにベネッタの傍だと花のように甘い香りを感じ、心まで安らぐのは何故だろうか。放せと言われても放さないという意味を込め、強く抱きしめる。
ベネッタはと言えば小さく息を吐くと、頭の上に手を置いてきた。
突き放しもせず何秒も待ってくれたので、ミコトは十分に堪能した後に自ら身を離す。ベネッタはそこで初めて会話を再開した。
「ミコト。急に跳びつかれては困る。危うく土産の蜂蜜酒(ミード)を落とすところだった」
「えへへ、ごめんなさい」
謝るにしては口元のにやけが止まらなかったのだが、ベネッタは許してくれるようだ。妹に向けるかのように、仕方のないやつと優しい表情をしている。
先代と呼んだとおり、彼女は自分の一つ前に竜の大地を束ねていた御子だ。その縁者はいつもお役目を手助けしてくれるグウィバーである。
同じ役目を負っていた上に年齢も近い。ミコトにとっては姉と言っても過言ではなく、唯一甘えることができる相手だった。
けれど彼女はとある事情によって一線を退いているため、この場に来るのは稀だ。もっと頻繁に来てくれればいいのにと毎度訴えても渋られるくらいなので、用件の方が気になってしまう。
「ところで、今日はどんな用事だったんですか?」
「少し早いが、いつもの薬をもらいに来た」
薬と耳にして、ミコトの表情は少し曇る。
それはベネッタが服用するためのものだ。彼女は麗しい見かけだというのに、体に小さな怪我を多くこさえている。
彼女が得意とするのは〈祝福〉――要するに特殊な身体強化と、結界術だ。
結界で固めた拳や足で敵を叩きのめす近接戦闘スタイルのため、身体に無理が祟ることが多い。薬はそのための処方なのだ。
よく見ればこさえた傷も疲労感も、以前に増しているように思える。
「無理はしていないですか?」
「していない……とは言えないが、身を滅ぼすつもりは毛頭ない。だからこそここに来ているわけだし、あとはもう一つ」
勘繰る視線に負けた様子で苦笑したベネッタは手にしている酒瓶を持ち上げる。
「一番の理由は良い蜂蜜酒が手に入ったからというのが適当だろうね」
ベネッタはそう言って、縄巻にされた陶器の酒瓶を持ち上げる。
ふふと意味深な表情でグウィバーを見つめる通り、これは彼への土産だ。
『好物ではあるが、それはやめよと言っておるのだ。まったく……』
「何を言う。親にはあれこれと振る舞いたくなるものだよ。たまに酔ったところでバチは当たらない」
ベネッタはそう言うと、グウィバーの口に酒瓶を傾ける。苦い顔をするものの、彼は向けられる酒には逆らえず口にしていた。
幻想種というものは人々の信仰より生まれる。それ故、吸血鬼のように道理では理解できない弱点を併せ持つことが多々ある。
グウィバー――ウェールズの白い竜として知られる彼も同様だ。
ウェールズの守護神とも言うべき赤い竜と、侵略者の象徴の白い竜は共に蜂蜜酒によって泥酔をした逸話がある。その再現のようなものだ。人類で言うところの遺伝子に刻まれているような習性になるのでこれには抗いにくいらしい。
ゲリとフレキがグルメなのもオーディンに捧げられる料理を代わりに食べていたという話があるからだろうか。
ともあれ、二十メートルもの体格のグウィバー用ということもあり、ベネッタが持つ酒瓶は一升瓶より二回りほど大きい。
おまけに背後にはまだ数本も転がっている。二人で数時間を共にしていた証拠だろう。いつもは理知的なグウィバーもどことなくゆらゆらとしていた。
和やかな限りだ。
自分たちでもこうしてふるまえるのだ。時代の存亡やお役目などというものは全て忘れていたくも思える。
「みんなでずっとこうやって笑いあっていたいですね」
素直な感想を呟くと、ベネッタからは心底驚きという顔を向けられた。
だが、誰だってそうだろう。悩み多き仕事か、親類縁者との愉快な日々かを問われれば後者を選ぶ。
尤も、そんなことはただの空想だとわかっているつもりだ。
ベネッタからの視線を苦笑で受け止めていたところ、ゲリとフレキが何やら動きを見せた。
彼らは服の裾をぐいぐいと引き、冗談話から現実に引き戻してくる。
「この土地から人間の気配がする」
「我らが土地を侵す愚か者の気配がする」
本当に台無しの出来事だ。折角、楽しいひと時だったというのに気分が悪くなる。
「今日は里から入山許可なんていなかったよね。渡りの密猟かな」
竜の大地は貴種や至種の竜がほとんどを占める秘境であるが、高レベルの原種も一部の地域に出没する。その素材を必要とする渡りがいれば、人柄と実績次第で許可を出す協定を狭間の里と結んでいるのだ。
申請もなしに入ってくる場合は弱い至竜を狙った密猟であることが多い。
放っておけるものでもないので、ミコトは杖を握り直して踵を返そうとする。
「そんなものがいたのか。私とグウィバーでは気取れなかったな。やはりミコトがお役目を継いで正解だった」
「……いえ、そんな!」
自嘲的なベネッタの呟きに我に返ったが、単なる感想のつもりだったのか表情で誤魔化してきた。追及の間もなく、彼女は口を開く。
「いいだろう、私も手を貸す。面倒事はさっさと鎮圧してしまおう」
「あっ、ありがとうございます……!」
深々と頭を下げると、ベネッタはどこに向かったものかと広大な竜の大地を見回していた。
方角については問題ないが、それ以前に“足”の問題もある。至竜を呼び戻すべきかどうか、まずグウィバーに語り掛けた。
「蜂蜜酒を飲んじゃっているけど、飛べる?」
「うむ。多少は飲んだが問題ない」
「じゃあお願いね」
言葉の証明のつもりなのか、グウィバーはばさりと翼を開いて歩み出る。確かに千鳥足を思わせる不安定さはないのでまだほろ酔いレベルだろうか。
最悪、墜落してもどうにかできるのでひとまずはそれでいいだろう。
頷き返して彼の背に飛び乗る。ゲリ、フレキも飛び乗り、ベネッタを待った。
「先代、急ぎましょう」
「あ、ああ……」
それこそ消防士と同じだ。六年のブランクがあるとはいえ、いざとなればすぐに動くことが身についているはずだろう。
けれども、ベネッタは何か訳ありげに反応が遅れていた。
「すまない、待たせた」
「いいえ、お構いなく。グウィバー、あっちの山の麓だよ!」
少しばかり疑問に思っているうちに彼女も飛び乗ってくる。まあ、気の緩みなどもあるのかもしれない。なにせ彼女にとっては久方ぶりの里帰りのようなものなのだ。気にすることでもないだろう。
グウィバーの羽ばたきに身を任せ、一同は飛び立つのだった。
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