竜の送り人 Ⅰ
緑竜を追って徐々に高度を上げ、低層にかかった雲を突っ切る。
するとどうだ。眼下の自然は忽然と消え失せ、まばらに街明かりが見えてきた。
余人からすれば不可思議な現象だろうが大したことはない。簡単に言うと、人外が住む世界から人の世界に渡っただけだ。
渡ろうと思えばこんなにあっさり渡れてしまうのに環境は大きく違う。
大気にも超常の力が満ちているあちらと違い、物理法則のみが支配するこちらの空気は何とも薄くて力が抜けそうになる。
反面、良い点はなんといっても夜景だ。文明の利器が彩る夜は、自然とはまた違う。
言うなれば火だろうか。短い命を燃やして煌びやかさを演出しているようで、自然とは対極の刹那的な美しさが感じられた。
ミコトがうっとりと眺めていると、グウィバーもまたその大きな眼で世界を俯瞰する。
『どの辺りに出たのだ?』
「ちょっと待ってね、GPSで場所を拾うから」
狼の牙と竜の鱗が飾り羽のようにあしらわれている杖を置き、懐から携帯端末を取り出す。竜やらおまじないやらと超常的なものに囲まれていても、位置確認に通信手段、果ては財布代わりにもなるのでこちらでは必需品だ。
十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかないという人の言葉には深く同意する。それどころか術理を組む工程がない分、機械の方が時々便利ということまであるだろう。
画面をタッチしているうちに結果が出た。
「また日本みたい。東北地方だって」
伝えてみても、驚きは返ってこない。気温や湿度、地表の植生や地形からなんとなく当てをつけていたのだろう。まだ十八の娘であるミコトにすらある程度わかったのだ。齢数百年の竜ならなおさらである。
『自然崇拝が色濃く残る風土は我らと相性がいい。役目で訪れることも多き事よな』
「そうだね。人も多いし豊かだし、私が物を売りに来る時も都合がいいよ」
と、答えたはいいがグウィバーの視線はまだちらちらと向けられる。彼の興味の先は携帯端末だ。
「どうしたの?」
『いや、なに。ミコトは表の世界の道具も技術もよく使うものだと思うただけだ』
「お役目だからね。これも私なりの魔術の研鑽なんだよ?」
おまじないの素材バッグを叩くと共に携帯端末も掲げる。
古式ゆかしい魔術は不変のものと思われがちだが、そうでもない。例えば格闘技と同様に想定する敵が変われば技の型も変わるし、運用法もより効率化されていく。
人の技術も道具も進歩しているのだ。それを魔術と組み合わせない手はない。
加えて、理由はもう一つある。
「古いままだと時代に取り残されて、忘れられちゃう。人の信仰から生まれた幻想種にとってそれは致命的だよね。だからこそ、新しい時代の形を模索しているんだよ」
『ぬしの言葉と行動には考えさせられる』
神が人を作り、人が神を作った。そんな言葉の真偽はさておき、超常の生物と人間の関係性はまさにその通り。人外という存在は人の営みにおける規律作りや悪役として切っても切れない関係だった。
だがそれも近代までの話。現代は超常的なものが尽く否定されていく時代だ。
まあ、一人で戦車やミサイル、果ては軍艦や戦略兵器並みのことまで行える存在がいれば秩序維持も難しい。文明が発展するほどに超常的なものを廃そうとした考えはわかる。
人と人外のあり方も、こうして住む世界が分かたれるまで至って大きく変わった。
雑談をしているうちに緑竜は翼を傾け、徐々に高度を落としていく。
明かりもまばらな郊外にあるお屋敷が目的地らしい。
緑竜に続いてグウィバーも降り立ち――彼はあまりに大きすぎるので屋敷を取り囲む塀を跨いで立つこととなった。その背から下り、導くように前を歩く緑竜の後を追う。
民家は庭園に向けて縁側が大きく開けた昔ながらの造りだ。
緑竜が足でかりかりと掻く催促に応じて縁側のガラス戸を開ける。
そこでは一人の老婆が布団で寝ていた。
髪はもちろん根元から先まで真っ白。人の腕はここまで細くなるのかと驚くほど肉が落ちている。しわとシミだらけの皮膚を骨と血管の上に貼り付けた印象さえあった。
こんな場面によく遭遇するからわかる。ひゅー、ひゅーっと今にも止まりそうな呼吸音といい、独特の匂いといい、死期が近いのだろう。
老婆はこちらに気付いて目を向けてきた。
「……あんれまぁ。えらくめんこい神さんのお迎えだ」
逃げるでも、恐れるでもない。老婆は死を受け入れきった態度で口元を緩めた。
けれども一つ捉え違いがある。ミコトは彼女の横に正座し、訂正する。
「少し違います。私はただの仲立ちです。あなたと関係があるこの子の願いを手伝いしに来ました」
と、口にしたはいいが老婆は庭にいるグウィバーに目をやってから緑竜に視線を移し、困惑の顔を浮かべている。
無理もない。こちらの住人にとって竜はすでに架空の存在なのだ。普通は理解なんて及ばない。
そう。架空で、仮初の存在だ。
おまけに言えば頼ってくる竜は決まって“本物の竜”ではない。彼らは至竜――読んで字の如く、竜に至った者だ。
自分も緑竜に目を向ける。
老婆には見えていないだろうが、竜を包むあのぼんやりとした光が強まっていた。次第に緑竜の輪郭が崩れ落ちていく。
代わりに残ったのは一羽の白鳥だ。
容姿の変化だけは見て取れたはずだろう。老婆の目は少しばかり見開かれている。
これならば説明を加えれば理解してくれるかもしれない。
「私たちが送る竜は元動物。一途な願いを叶えるために竜になった子たちです。例えば鶴の恩返しや笠地蔵と言えばわかりやすいでしょうか。こういうことができる力を蓄えるまで、育ててあげているんです」
数多の竜を束ねて狩りに行く様なんて壮観の一言なのだが、今は置いておこう。
老婆の反応は先程までの困惑とは異なる。彼女は疑うこともなく耳を傾けてくれていた。
こうしてくれる相手ならばお役目的にも大変助かる。
代々受け継がれるお役目には、二つの仕事が要求されている。
一つはこうして望みを叶える手伝いをすること。
二つ目は想いを遂げた後の“見送り”だ。
それらを果たすためにも、ミコトは老婆に問いかける。
「おばあさん、この子があなたにお返しをしたいと思う何かがあったと思うんです。心当たりはありませんか?」
問わずとも、竜を見ていた時とは明らかに反応が異なっている。老婆は面映ゆそうに口元を緩めて中空を見上げた。
「……あぁ、白鳥なら何ぞあったねえ。じいさんが死んだ頃を思い出した」
老婆はつと視線を移す。
欄間には白黒からカラーまで、年代を感じさせる写真が何枚もかけられている。この家系のものなのだろう。老婆はそのうちの一枚に目を留めた。
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