竜のおくりびと
蒼空チョコ
プロローグ
羊が産気づいたので、本日は寝ずの番が確定した。
破水から後産、新生児の体が乾くまでに漂う匂いは野生動物を興奮させてしまうので致し方ない。家畜と畜舎壊滅(・・・・)の恐れか、寝不足か。どちらがマシかと言えば後者だ。田舎どころか、辺境、魔境と呼ぶ方がしっくりくる地域はこれだから困る。
ミコトは新調したローブを羽織り、使い慣れた杖を手にして畜舎に向かった。
「気分を盛り下げてばかりじゃ、つまらないよね。前向きに! そう、お月見の先取りとでも思えばいいよね。うん、そうしとこう」
うむうむと頷き、丘状になった牧草地から空を見上げた。
くっきりと見える天の川は淡い雲か、はたまた宝石でも思わせる。
青い空に金色の星々だ。確か手持ちの宝石類にも近いものがあったはずとショルダーバッグから小瓶を探り、空にかざして色合わせをする。
「うん、これだね。ラピスラズリ。それに月も綺麗だなぁ」
ほうと感嘆の息を吐く。
負けず劣らず真珠の如き輝きで主張する月も捨てがたい。こちらは十日夜の月といったところか。これらを見ながら、月見の予行練習として団子を摘まむのも乙なものだろう。
「ねえ、二人とも。あれだけたくさん光っているんだよ。あの星屑、一つくらいは落ちてきそうだと思わない?」
ミコトは振り返る。
後についてきていたのは二頭の犬――ではなく成人男性並みかそれ以上の体格をした狼だ。視線が向いたことで二頭は歩調を早め、競って体を擦りつけてくる。
不意に二頭は顔をもたげた。
まさか本当に星屑でも落ちてきたのだろうか?
いや、違う。目に映ったのは両翼を大きく広げて下降してくる竜だ。
比喩でもなければ幻でもない。新緑の鱗を持ち、一対の翼を広げる獣。
竜とはどのような存在か。それは老若男女が知るところだろう。
自然や邪悪の化身。または宝の番人や試練の象徴などだ。
ただし、この竜は毛色が違う。身丈は人より少し大きい程度で、仰ぎ見れば視線を返してくる理性まで感じさせた。くりくりとしたこの目に邪悪さの欠片もあるものか。
目を凝らせば見える、うすぼんやりと竜を包む光。“その時”が来た合図だ。
どうやら羊のお産を見守る暇はなくなったようである。
「あらら、お役目が重なっちゃったか。ごめんね、二人とも。私は行かなきゃいけないから悪い子が空から飛んでこないように見張っておいてくれる?」
声をかけると、二頭は上目遣いに見上げてきた。労いとばかりにそれぞれをひと撫ですると、わふっと息を吐いて駆け出してくれる。
それを見送ると、竜に視線を戻した。
相も変わらずこちらに視線を合わせてくれている。これだけいじらしい分、何とも言い難い気持ちだ。一抹の寂しさを表情にしながら竜の顔に触れる。
ひんやりとした爬虫類とは違う。その鱗には熱を感じた。
「熱いね。あなたの意志の強さみたい。いってらっしゃい。私たちもすぐに追いかけて後押しをしてあげる。これは餞別ね」
先程の宝石のみならず、様々な素材を収めたショルダーバッグを開き、三つの小瓶と赤い紐の付いた袋を取り出す。
竜相手に金銭を送るわけではない。これはおまじないの素材だ。
天然磁石(ロードストーン)の欠片に液体を垂らし、砂鉄を振りかける。それを袋に収め、背伸びをして竜の首にかけた。
「あなたの旅路に、幸運がありますように」
竜の口先にこつんと額を当て、ささやかな祈りを捧げることでおまじないの工程は終了。効力は言葉にした通り、幸運を呼び寄せることだ。
大昔の人は磁石が物を引き寄せるところに願を掛けようとしたのだろう。
術理はつつがなく機能したらしい。ぼう、と僅かな光が宿る。
おまじないは、あくまでおまじない。偶然のような必然を呼ぶだけのものでしかないが、それでも意味はあることだろう。
やりとりを終えると竜はばさりと翼を打ち、飛び立った。
その姿を目で追っていると、背後で大きな影が動く。新たに現れたのもまた竜だ。
『見失わぬうちに追わねばな。背に乗るがいい』
「うん、そうだね。急ごう」
東洋竜の如きたてがみと鹿じみた角を持ち、身の丈二十メートルに達しそうな白い竜。それが伏せてくれるので、背に跳び乗る。
慣れたものだ。これから果たすべきお役目はこの白き竜、グウィバーと共に幾度となくこなしている。
ぐんと慣性を身に感じさせる勢いで地を駆け、力強く翼を打って夜空に舞い上がった。
程なく地表が見渡せる。
氷食尖峰や谷、湖や森、洞窟まで含む起伏激しい秘境だ。まさに竜が住むに相応しい地形だろう。それ故、一帯は竜の大地と呼ばれている。
この地の竜を育て、彼らの“望み”を叶える。そして、最後に“見送り”をする。それ故にこの役割を継ぐ者は、竜の送り人と呼ばれている。
超常の生き物は人間に存在を否定され、表側の世界から追い出された。
さりとて消え去ったわけではない。この世のどこかに実在するかもしれない――そんなささやかな信仰を体現するように隣り合う世界で生きている。
人の営みと夢から生まれた存在だからこそ、信じる者がいる限りは消えない。
これは離れかけた人と幻想の生き物を繋ぎ、共に生きる者の物語だ。
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