♮306:光を、ですけど(あるいは、室戸/ミサキの/事情)

「……クリムトの『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ』も、これでもっかていう絢爛さに平面曲線が相まってのそこから抜け出すかのような人物像の手と肩の色づかいの違いとかたくさんの目に見つめられている感でがんがん来るんだけど、『Ⅱ』もまたぽつりの立ち位置とかが世界観を揺さぶってきて思わず上目遣いの同じ顔突き合わせつつの下半身が滂沱しちゃうよね件」


 DEPを、撃ち放つ。対象であるところの、「謎のマン」を指名しつつ。馬上から下に目を向けると、丸男がやけに神妙に厳かに、赤い半球状の「着手ボタン」を踏み押し込んでいるのが見えた。


 放つのは、もう、枯れに枯れた「淫獣DEP」であったものの、それはもう、誰に理解されずとも、良かった。


 他ならぬ僕の記憶、そして、わたしの記憶であったから。共有は、出来た。他ならぬ、自分自身の中で。


「……」


 そして、枯れてひりついていた喉から、零れ落ちたのは、自分でもよく認識できていないけれど、胸の奥から自然に押し出されて来た言葉だった。


「自分の全部を繋げて紡いだ足場にだけ、僕はあぶなっかしくも爪先を掛け、そして未知の高みに恐る恐る指先を伸ばして探りながら登っていく」


 僕が喋っているのだろうか、そこは曖昧だ。曖昧ながらも、声帯の震えだけは鼓膜の奥で感じられている。


「自分の中心に自分を。世界に中心は多分無いけど。それでも見据える『自分の世界』の中心を。そこに向かって何度も転げ落ちながらも、その度に補強しながら、のぼっていくために」


 辺りは静寂。透明に過ぎる水の中に、全身が漬かっているかのような。


「自分の中の『ダメ』を咀嚼し嚥下し嘔吐し排泄し、その五感を逸らしたくなるブツに焦点を絞り、ぐちゃぐちゃの汚泥のようなものの中から」


 くぐもりながら伝播していくその自分の言の葉たちが、スポットライトを浴びて輝く塵と共に浮き舞い上がっていくようで。


「自分にだけ光り輝いて見える何かを、掴み引きずり出してそれを胸の内にしまい掲げ。のぼる。自分だけの『足場』を。時には寄り添う人たちの、差し出すロープにつかまり縋りながら、でも一歩一歩、自分の足場を自分で踏みしめ、一ミリずつでもにじり上がっていく」


 僕の言葉は届くだろうか。届かなくても、いいのかも知れないけど。


「た、たたた達観……ここに来て。こ、こここれがあるのだね、キミには……そしてキミはとうとうどうやら私の思惑なんかからは外れに外れたものを構築したようだね……してしまったようだねこの場に……だ、『ダメ』とは……い、いいい一体なんなんだね? 『ダメ人間』とは一体なんなんだろう……私にはもうそこのところもよく分からなくなってきたのだよ……」


 正面で覆面ヅラを震わせている「謎のマン」は……素の声を上げたように思えた。


「自分の全てと向き合い、自分の全てを呑み込んで表も裏も無くした抜き身の自分……『世界』と交わって流動的に影響を受けつつも、自分の中で濾し固めて磨き上げていく。ダメをダメとしてダメらしく……人間ひと人間ひととして人間ひとらしく。ダメであるがゆえの人間ひと、ダメであることを認めそれをためらわず『世界』と共有して自分を形作っていく人間ひと。それが……それこそが『ダメ人間』」


 滅裂な言葉は、しかし僕の胸の内に突き刺さってはためいている言葉だった。


 スポットライトの光が、やけに眩しく、滲んでいるように感じる。


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