♭218:仙頭かーい(あるいは、絶望の、枕詞/とは何?)


「……」


 いやな沈黙。それはイコール図星ってことでもあり。主語をぼかしたアイラブユー……その裏を返せば、恭介さんはもう私には一辺の愛情も無いということであって。


 でも聡太のことは想っている。それだけは事実だ。であれば……私が折れれば、すべてが丸く収まるのかも。……いま感じている以上の惨めさを、この先長い人生、ひとりで背負い込むことができるのであれば。


「……」


 きつい。きっついよなあ……私はそんな、努めて軽く考えようとして、でもそんなもんじゃその重さを払いきれずに、ぐうと喉奥が勝手に鳴ってしまうのだけれど。それでも、聡太のことを思うのならば、受け入れるしか、無いのかも。私には「6年おき」の生命の「選別」があるわけだし、未来永劫確実に、聡太の成長を見守れるとは限らないから。


「若草クン、もうビジネスライクに割り切った方がいいんじゃないのかい……? カネならば、それこそ一生困らない額を渡せる。だから私と一緒に、この大会での優勝を目指した方が、人生を、総合で考えるのならば、賢い選択だと、思う」


 いつの間にか立ち直っていた主任が、その鼻から流れ落ちていた血をぬぐいながら、こちらに向けてそんな言葉を放ってくる。それもまた、温度の無い言葉ではあったけれど、それだけに、真実であるような気もした。カネ……カネは確かに重要だ。それがあれば、聡太に不自由な思いはさせないで済む。


 割り切るべきか。いやもう……割り切るべき、なんだろう。


「……」


 自分の顔が、泣き出す寸前の歪んだ表情になっていることは、随分前から自覚していた。それでも、どうすることも出来なかったけど。


 ふと、小さい頃、母親に連れていってもらった新宿の小田急百貨店で、迷子になりかけたことを思い出していた。広い店内フロア。さっきまで確かに側にいたはずのおかあさんの姿が無い。どこ? 服装を思い出そうとするも、何かはっきりしない。それに周りはカラフルな色で溢れていて、それらが探そうとしてる私を、意地悪に邪魔してくるような気がして。


 いつの間にか、しゃくりあげながら、おかあさんおかあさんとか細い声で呟くしかなかった私を、慌てた様子で遠くの方から駆けてきたおかあさんが包むように抱き締めてくれた。そこからは安心して大声で泣けた。


 そんな記憶……今の私も、そうなのだろうか。行き先の無い、独りの、迷い子なのだろうか。


 その時だった。


「わかくさァアアアッ!! 私は、君を、愛、しているうぎぃぃぃぃぃぁぁぁああああッ!!」


 そんな、絶叫からのさらなる絶叫みたいなのが、この場に鳴り渡った。


「……!!」


 くおんたむ、みたいな呻き声を垂らしながらも、中空でえびぞるといった、珍妙な姿勢をしながらも、そして、前歯で下唇を思い切り噛んで、白目90%近くまで剥いた、極めておへちゃな顔面を晒しながらも。


 私の元夫は、見せたこともないような強い眼力で、対峙する私を睨むかのように見つめてきているわけであって。


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