♭061:開園かーい(あるいは、ミアモーレ/見誤もう/コンフリック)


 からりと晴れ上がった空の下、大した渋滞も無く、主任の柔らかな運転により、滑らかに我々を乗せたSUVは首都高湾岸線をぐいぐい進んでいくのであった。


 願わくば助手席に……なんて贅沢なことを考えてしまったけど、賽野さいの主任は私にも聡太にもぽんぽんと話題を振ってくれるので、話し声は絶えずに車内の空気は何だかいい感じのほんわかさだ。何か本当の家族みたい……みたいな、ちょっと胸にちっくり来てしまうことも考えなくもなかったが。


 いやいや。


 過去は過去。振り切って吹っ切って生きるって私は決めたじゃないの。いろいろ考えちゃあダメなんだって。


 ……「ダメ」?


 ふと頭に浮かんだ単語が、急速に大きさと重みを増して大脳の真中に居座り始めた。いやあかん。薄々感づいてはいるけれど、まだまだ「ダメ」という名の、のっぴきもならないし、突拍子もないことが起こるには早きに過ぎるだろうがぁぁぁぁ……


 何でだろう。こんなにも穏やかな空気感のさなかにあって、私の鼓動やら呼吸やらはごごんごんと早まっていくようであり。慌てて大きく息を吸いつつ、車窓を流れる太平洋の雄大な佇まいに意識をずらそうと試みる。お願い何も出て来ないでぇぇぇぇ……


 そんな不穏感を体に貼り付けつつ、切実なる想いも胸に秘めた私を置いて、何事もなく、クルマは目的地に着到していくのであった。

 

 青空と緑のコントラスト。開園5分前に着いたわけだけど、そこかしこに親子連れや若いカップルらが待っている。動物たちの絵が描かれたゲート代わりの二つの建屋を見て、早くもおおぅ……とのつぶやきを抑え切れない聡太。


野毛山動物園。着いて初めて知った。ここ無料なんだって。何とも粋なことをする……


 私の動物園の記憶と言えば、いつかのこどもの日だったか、パンダ見るんだ、と母親に手を引かれて上野のやつに行ったことくらいしかない。その日は確かただで入れたんだけど、それだけに人の数も尋常じゃあなく、当のパンダのいる所まで近づくことすら出来なかったっけ。見たい見たいとべそかいてた私に、母は帰りしな、おみやげ屋さんで結構リアルで精巧なぬいぐるみを買ってくれたんだった。あれ高かったろうな……生活大変だったのに、何か悪いことしちゃったな……と、ふと襲い掛かってきた郷愁に、またしても胸の底の方がちっくりと痛みみたいなものを感じる。


 「ノンノン」と名付けたあれ、すごい大切にしてたはずなのに、中学に入るくらいの頃にはもう忘れてタンスの上あたりに学校のプリントとか、あまり好みじゃなかったジャンパーとかと一緒にほっぽってたな……


 再会したのは、母の遺品整理の時だ。


 押し入れの中で、私が保育園や小学校くらいの時に母宛てに書いた手紙とか肩たたき券とか何描いたのか分からないクレヨンを擦りつけただけとしか思えない混沌とした絵とか、誕生日の写真とかがみっしり詰まったヨックモックの錆びた平たい缶の上に、ノンノンはそれらを守るかのように座ってたっけ。


 鼻と口腔を繋ぐとこ辺りがツンとしてきたので、私は開園時間が近づいて隣で興奮し始めた聡太を無理やり肩車すると、うおお行くぞおおお、と気合いを込めて早足でそこへ向かうのであった。


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