#058:昇天で候(あるいは、こここ幸運星の/流星群やぁ)


 ヒィィ、申し訳ございませぇぇぇぇん、と俊敏なる獣もかくやと思わせるほどの凄まじき速度にて傍らにひれ伏すモクの姿を一瞥しただけで、今度は私の方へと視線を投げられる姫様。


 白いタオルと滑らかな褐色の御肌とのコントラストが目に眩しく、髪先から滴る雫と、その水滴を弾く流麗な御体の描く曲線に、ついぞ視線は吸い込まれてしまいそうになるが、ことはそう簡単では無かった。


「ジローネット、貴様は何をしていた」


 御尊顔に現れていた怒りの表情は徐々に収まってきてはいたものの、それが内なる怒りへと転化されていっているだけとは、この時点の私では分かりようもなかったわけであり。あらゆる感情の抜け落ちた御顔は、もはや人ならざる、こちらの恐怖心の根源を刺し貫くかのような、不敬を承知で申し上げるならば、えらい不気味さを醸し出していたわけであって。例えるのならば、不気味という名の谷の奥底より生まれ出でたモノの如き様相なのであって。


 しかし、私は勇気を奮って申さねばならなかった。いましがた、モクより授かった、この胸の奥に揺らめく、熾火のごたる熱き想いを、姫様にも御知りおきいただきたいのであるから。私は意を決し、口を開く。


「ハッ!! 姫様を狙う不届き者の侵入を遮るため、ここにて番をしておりました。不肖ながら、これより先の旅路においても、このジローネット、身を挺してあらゆる災厄より姫様を御守りする所存で……」


 きちりと正座の姿勢を取り、真摯なる表情でそう言い放った私であったが、その潔白なる言の葉はしかし、姫様の虚ろなる表情を呈した唇からの、とても人間の発した音声とは思えないほどの感情の欠片をも感じさせぬ「ソウジャネエダロ……」というような掠れた風の如き音で果敢なく掻き消されるのであった。そして、


 次の瞬間、姫様はその分厚いタオル越しでも分かるほどにくびれた御腰に御左拳を当てると、御右手の御人差し指を、私に突きつけながらおっしゃられたわけで。


「だ、だからっ!! モクとナニしてたのかって、聞いてんのっ!! だ、抱き合って口、くちをその、近づけてたじゃないのよっ!! あれなに!? 何だって聞いてんのよぉっ!!」


 我困惑也ア=ルエェ? 


 姫様の聞いたことも無き口調も勿論ではあったが、その御顔を真っ赤に紅潮させつつ、黒き大きなる瞳を潤ませつつこちらを詰問されてくる御姿に、私は本日何度目かになるか分からぬほどではあるが、心底の心底の何かを貫かれたかのようであり。


 何とも言えない弛緩した顔を呈しておったのだろう、伏したまま横目でこちらの様子を不安気に伺っていたモクが、ええ……というような腐った澱を含んだかのような溜め息をついたのは感知できた。いかん、動じるなジローネット。顧みて恥ずべきことなどしていないはず。ならば清浄なる心にて、申し上げねばならない。私は顔と姿勢を正し、ふるふると体を震わせる姫様と真っ向から対峙し、高らかに言い放つ。


「僕は、モクと、蘇生術の訓練をしていただけであります」


 瞬間、私の周囲から空気と熱とが奪われ去ったかのような、真空のような絶対零度のような空間が展開した。


「……ほう」


 相対する姫様は再び不気味谷の表情に戻ると、ゆらりと体を後方へと泳がせていく。そして、


「ならば、わらわからも教授いたそう」


 温度を持たない御言葉が終わるか終わらぬかの瞬間に、私の胸に強烈なる衝撃が撃ち込まれたことを知覚する。はやい……ッ!?


「!!」


 姫様の光速のストンピングが、私の胸部やや左を狙い、的確に撃ち貫かれたのであった。あまりの重さと鋭さに、私の上向いた口からは、えぽっくしゃ、なる呻き声が勝手に漏れ出てしまうのだが。


「これがッ!! 沈黙したる心の臓をッ!! 再び呼び覚ます蘇生術ッ!! 失われた意識をッ!! 止どまりし血の流れをッ!! こうやって、こうやってッ!! 何度も、こうして何度も、何度もッ!! 相手が目覚むるまで力の限りッ!! 撃ち放ち続けるのだッ!!」


 ヒィィ、姫様おやめくださいましぃ、との力無きモクの制止もその御耳にはもはや届いてられぬのだろうか、左胸を打擲する足裏は、一撃ごとに速度と威力を増していく。こ、これでは逆に召されてしまう……


 その時であった。


 遠のきかけた意識と視界の中で、姫様の御体を包んでいた白きタオルの胸元が激しき動作により緩み、適度に水を吸っていたそれが思わぬ速度と素っ気なさで床に落ちたのが確認できたわけであり。


「……」


 右おみ足を自らの御胸の辺りまで引き付け上げていた姿勢のままで、一瞬硬直する姫様。それを正座した姿勢のまま、少し下から見上げている私。


「っいやあああああああああああああああああっ!!」


 聞いたこともないような可憐な御絶叫と共に、私の頭頂部に振り下ろされた御踵が私の意識をすこり、と刈り取っていくのであ


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