#057:天啓で候(あるいは、鐘の鳴るころ/あの場所で)


 言葉も思考もどこかへ霧散していってしまいそうだった。


 眼前に迫りしモクは軽く目を閉じ、頬を紅潮させている。つられて私も瞼を下げると、重なった部分がより鮮明に知覚されるようであり。


 身体にすくった毒も澱も、すべて触れ合ったところから溶けて蒸散していくかのようで。


 ―ジョシュが思うように、為せることをするべきと思うの。どれが正しいかなんて誰にも分からないから、ジョシュが正しいと思う道を、正しいと思いながら進んで。


 耳からは天上からの託宣かのようなモクの囁く声が、流れるように入ってくる。


 正しいと思う道。正しいと決めた道。


 ふっ、と体が軽くなったように感じた。凝り固まっていた体も、いつの間にか無駄な力の抜けた自然な感覚を伝えてくるに変わっている。自然にいる。自分がただそこに在る。


 幾千の書物を経ても、たどり着けなかった境地。些末ながらも卑小ながらも、自分が決めた道を自分で歩む。ただそれだけの……それだけのことだったのだ。急に目の前が鮮やかになったかのような感覚に襲われた私は、それでも言うべきことを言うために口を開く。モクによって清めうるおされた、この唇を。


「……日本ジャポネスへ。共に姫様を送り届けてくれ、モク」


 外へ向かって開かれたような私の胸の奥から放たれた言葉は、何の迷いも掠れも震えもなく、外界へと拡散していくようであり。


「はいっ」


 鈴の音のようなモクの返事は、私の耳奥の三半規管をも揺さぶってくるようであり。


 微笑みを交わし合い、そして再び接近するふたつの唇。と、次の瞬間、悪戯っぽく笑ったモクは私の口に柔らかく息を吹き込んできたわけであり。


「……!!」


 急速に記憶が甦る。大河メッゾォスの流れに飲み込まれた私が蘇生する時に感じた、芳醇な花のような蜜のような香り。あれはモクの息吹であったのか。

 

 まさにそれは、呼吸を止めてしまった私の肉体を救い給うた息吹、そしていま魂をも救い給うた息吹……


 愛おしさと切なさが、軽くなった身体の中を貫いていくかのようであり。私は思わずモクの華奢なる背中に腕を回し抱き留める。くるしゅうございますっ、と小声で歌うように言ったモクの口許を見つめ、三度顔を近づけていく……


 その時であった。


 バァン、と浴室へ続く扉が勢いよく開かれたかと思うや、そこにおわしたのは余り見たことのない姫様の憤怒の形相であったわけで。


「……バスローブを持てと申した。聞こえなかったのか、モクよ」


 地の底から響くような声を発して仁王立つ姫様の細けき体からは、湯気であるとは到底納得出来ぬほどの、赤黒いオフラのようなものが立ち上っているのが確かに私には見えたわけであり。バスタオル一枚を巻き付けただけのあられもない姿からは、モクとはまた違った花のようなかぐわしき香りが拡散されてきており、思考がまたしても定まらなくなってきそうであり。


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