氷の城門をくぐると、どうしてか『屋敷』の玄関前へワープみたいに移動できた。探索時間設定は三日だったし、帰りもきっとそのくらいはかかるだろうって覚悟していたのに。

 燎司さんと亞主十さんは、『凍れる女帝』の男性従者三人に事情を説明してくれて、わたしの魂が巫女に転生してしまった件も彼らに受けれてもらえた。従者たちがほかの『ツワモノ』たちにもさりげなく伝えてくれたおかげで、わたしは夕飯の席でも大して緊張しないで済んだ。

 燎司さんと亞主十さんだけじゃなくて、『灰殻鬼譚ハイカラキタン』実装キャラクター全員と会えるなんて、幸せすぎる!

 絡繰からくり人形の体でも、人間と同じように飲食はできるのか疑問だったけど。ごはんを一口噛んだら、お米の食感やおいしさもちゃんとわかった。『導鬼ミチビキの巫女』ってすごい。

 お腹いっぱいになって、黒い空を白い満月がくりぬいた頃、わたしは『屋敷』の中を散歩してみた。ゲームでは、ログイン画面くらいでしか屋敷の雰囲気はつかめなかったけど、歩いてみるとかなり広い武家屋敷みたいな建物なんだとわかった。女帝の城は縦に長かったけど、ここはひたすら横に長い感じ。外の風景と同じで、やっぱりここの配色も全部白黒モノクロだった。

 従者の一人から巫女の部屋の位置も教えてもらったし、巾着きんちゃく袋から出した見取り図の紙を確かめながら進めば、迷わないはず。巫女は、従者たちには『姫様』って呼ばれて敬語で会話される設定だったから、ちょっと照れくさかったけど。

 松の木や池のある庭のほうへ出ると、縁側に誰かが座っているのが見えた。

「燎司さん」

「――あぁ、萌生めいか」

 刀をさやに収めて、口にくわえていた懐紙かいしを外してから、燎司さんは微笑んだ。

「武器のお手入れ中に、すみません。お隣、座ってもいいですか?」

「かまわんぞ」

 隣っていっても、間にもう一人は入れるくらいのスペースを空けて、わたしは腰を下ろした。

 女帝の城の中でも、燎司さんとはただでさえ近い距離感だったし。これ以上近づいたら、胸が熱くなりすぎてどうにかなっちゃいそう。

 人形の体型だと、縁側にちょこんと足を出して座っても、つま先が地面に付かない。なんとなくぶらぶら前後に揺らしてみると、膝の球体関節がきしきしと鳴った。

 あとで燎司さんの部屋にも寄るつもりだったけど、たまたま会えてよかった。どうしても、伝えておきたいことがある。

 足の上で、ぎゅっと手を組んだ。

「燎司さん、明日『屋敷』をたれるんですよね?」

「ああ、朝一番にな」

 帰ってきた時、従者から正式に宣告されたんだろう。現世アラワヨへの復活を。

 燎司さんがそうなるのもゲーム通りだから、心の底からうれしいけど。

「実は……そのことで、お願いがあるんですけど」

「何だ」

 涼しい夜風に、土や木の匂いがまじっている。澄んだ空気を吸い込むと、緊張もちょっとずつ解けていきそうだった。

 うつむいていた顔を、燎司さんに向ける。褐色の瞳と、視線が交わった。


「わたし――燎司さんとご一緒に、現世へ行きたいです」


 夕飯の席でも考えていた。このまま、ここで巫女として『兵』たちと一緒に暮らしていこうか――なんて。彼らとのおしゃべりも、自分が死んだことを忘れられるくらい楽しかったから。

 けど、ゲームでは、巫女は復活キャラクターと現世へ同行する道もある。女帝との最終決戦でも、運よく生き残ってしまったし。

 燎司さんとお別れしてしまうのが、名残惜しくなった。

 彼の両目が、意外そうにまたたいて。その表情は、ほんのちょっと眉を下げた微笑みに変わった。

「復活したところで、俺は人殺しの罪人つみびとだぞ。それでもいいのか?」

「はい」

 殺人は犯罪。燎司さんの生きていた世界でも、きっと法律でそう決められているんだろう。

 けど、彼が炤一郎しょういちろうさんを手にかけてしまったのは、灯璃あかりさんを守るためだ。裁判があるなら、情状酌量の余地ってものも考慮されそうだけど、どうなのかな。

「わたし、女帝との戦闘前にも、あなたを守って死ねるならそれでいいって思ってました。けど……今は違います」

 落ち着いてひとつずつ、言葉を紡いでいく。

「わたしなんかでも、誰かの助けになれる、誰かの役に立てるって、やっと気がついたんです。燎司さんと亞主十さんとご一緒に戦ったおかげで」

「萌生……」

「もちろん、あなたが絶対だめだって仰るなら、無理は言いません。あなたにはあなたの人生がありますし」

 ただ、それでも。


「それでも、認めていただけるなら――わたしは、燎司さんのおそばで生きたいんです」


 もともと、彼に恋愛感情なんて持っていないし、これは愛の告白でもないけど。真剣な想いが、ゆるやかな夜風に乗って、彼の耳に届いてくれたらいい。

 彼が現世で罪を償うなら、自分にできることは何でもしたい。現実世界リアルでも、前科持ちの人への風当たりはきついけど、わたしが他人からどうこう言われたってかまわない。

 燎司さんが懸命に生きてきたあかしも想いも、絶対何ひとつ無駄なんかじゃないから。

 何秒かの間のあと、彼の目がやわらかく細められた。

「……本気なんだな」

「はい」

 燎司さんが、夜空の月をふと見上げる。どこか安心したような、穏やかな眼差しだった。

「俺は相当身勝手だから、戻ったら灯璃に長々と説教されるだろうな」

「そうかもしれませんね」

 その光景が簡単に想像できて、わたしもついくすっと笑ってしまう。


「行くか、一緒に」


 吹っ切れたような微笑みが向けられて、わたしも満面の笑みで返事をしてうなずく。

 この異世界の景色が白黒じゃなかったら、あの月もきっときれいな色をしてるんだろうな。

 尊敬する人とのひとときも、『灰ノカラ』にいる最後の夜も、まったりと過ぎていった。


  ▼


 そして、出発の朝が来た。

 早い時間帯には霧も出るみたいで、外の景色が見えづらくなっていた。空気もヒヤッとするけど、『凍れる女帝』の城の中に比べたら、全然どうってことはない。

 燎司りょうじさんは、仲間の人たちとあいさつするんだろうし、わたしは先に玄関前で待ったほうがいいかな。

 女帝の従者三人におじぎとお礼をして、てくてくと外へ出る。

 従者に扉を閉めてもらって、ひとりきりになると、急に体中が真っ白な光に包まれた。あの五角盾を使うときみたいに。

「えっ、な、何っ?」

 まぶしくて目をつぶる。大して時間もかからないで、すぅっと光がやんだ気配がしてまぶたを開けた。

「ちょ、えぇッ!?」


 ――元の姿に戻ってるー!?


 顔には眼鏡がかかっているし、髪型も『導鬼ミチビキの巫女』のじゃなくてストレートの長い黒髪だし、襟に赤いリボンを結んだ紺色のセーラー服も着ている。

 どう見ても、現実世界で死んだ時の恰好かっこうそのものだった。

「なんで? なんで? いま戻る必要ある? 巫女に転生したのに!?」

 あわあわとひとり言を垂れ流すことしかできない。

 この見た目、燎司さんもびっくりしちゃうだろうし、どうやって説明しよう……!

 もしかして、女帝を倒して燎司さんと現世へ行くことが決まったから、巫女としての役目が終わって人間に戻った?

 交通事故に遭ったけど、制服は汚れていないみたい。死んだ直後のままなら、血まみれになっていてもふしぎじゃないのに。手鏡か何か持ってたっけ?

 あたふたしながら、プリーツスカートのポケットを手探りする。と、指先が金属っぽい感触に当たった。

「ん?」

 それを取り出したわたしの目は、潤みそうになった。

「これ……」


 どうして、忘れていたんだろう。

 妹が――萌奈もながわたしの誕生日にくれた、ハンドメイドのチャームだった。


 五百円玉より一回りくらい大きい、金色の五角形パーツ。そこに真っ黒いレジン液が流し込まれていて、赤とだいだいのレジン液で描かれた炎が、下から燃え盛っている。その上には、細かい金色の星がいくつも散らばっていた。

 お母さんは、わたしが小学校中学年になった辺りから、わたしの誕生日を祝わなくなった。誕生日ケーキを家族で食べることも、何年もなかった。わたしは生まれてきちゃいけない子だから、祝われなくても当然だ――自分でもそう思い込んでいた。

 それでも、お父さんと萌奈はわたしに気を遣って、お母さんにバレないようにこっそりプレゼントをくれていた。そのひとつが、このチャーム。


「せっかくだから燎司さんっぽい色にしたくて、作ってみたんだ。誕生日おめでとう、萌生めい


 わたしが『灰殻鬼譚ハイカラキタン』で燎司さんに大ハマりしていたからと、萌奈はアクセサリーショップで道具やパーツをそろえて、こつこつと作ってくれていたらしい。

「ほんとにありがとう……萌奈も、おめでとう」

 うれし泣きしながら、わたしも萌奈にプレゼントを渡した。中学時代、本人はバドミントン部に入っていたから、スポーツ用のリストバンドを。

 同じ日に生まれたわたしたちがそっくりなのは、顔と見た目だけで、性格も食べ物の好みも全然違ったけど。

 萌奈がいたから、わたしは生きていられた。つらいことも耐えられた。このチャームも、もらってからずっとお守り代わりにして、毎日持ち歩いていた。

 じわりゆらりと、視界が歪む。喉の奥が詰まった感じがして、苦しくなって、わたしは座り込んだ。

 両手で握りしめたチャームを、ぎゅっと胸に抱き寄せる。


「ありがとう……萌奈が守ってくれてたんだね……!」


 巫女の設定にはなかったはずの、光の盾を生み出す能力。あれは、萌奈がわたしに与えてくれたのかも。

 ぽたぽたと、スカートに涙が落ちて染み込んでいく。

「わたし、燎司さんの『盾』になれたよ、萌奈……っ」

 萌奈とお父さんにも見て欲しかった。この異世界での出来事を、最初から最後まで。それから、現世で燎司さんと生きていく日々を。二人とも、ここでバッタリ再会できたらもっとよかったのに。


「――萌生?」


 男の人の声に呼びかけられて、我に返る。

 蘇芳すおう色の長着ながぎまとって、足袋たび雪駄せったを履いた燎司さんが、驚いたようにわたしを見下ろしていた。さや入りの刀は腰の帯には差さないで、片手に持っている。彼の復活カードに描かれていた通りの服装だ。

 わたしは、あわてて目元を手でこすりながら立って、体ごと彼に振り向いた。

「す、すみません、どこの何者だれかと思いますよね! どうしてかいきなり元の姿に戻っちゃっ、て……?」

 言葉の途中で、ぽん、と肩に大きなてのひらが置かれる。

 女子高生の体に戻っても、やっぱり燎司さんの背は頭二つ分くらい高かった。

「謝る必要なんてないだろう。どんな姿でも、萌生は萌生だ」

 優しい笑顔と声に、わたしの胸はきゅうっと締めつけられた。

 今度はちゃんと、自分の心臓が跳ねるのもわかる。

 ヤバい。無理。しんどい。やっぱり、かっこよすぎる……!

 彼の指が、頬や目尻に残った涙を、さりげなく拭ってくれた。

「何かあったのか?」

「……わたしが光の盾を使えた理由、わかった気がしたんです」

 チャームを見せて簡単に説明すると、燎司さんは納得して目を細める。

「なるほど。妹が、おまえを『灰ノ殻ここ』へ導いてくれたのかもな」

「萌奈にはずっと助けられてばっかりで……わたしも、ちょっとは成長できてたらいいんですけど」

「できるさ。今までも、これからも」

 優しい眼差しで言ってもらえると、もっと信じてみたくなる。

 長い間、全然持てなかった自信が、ちょっとずつ自分の中に芽生えていきそう。

「さて、行くか」

「はいっ」

 歩き出す燎司さんのあとに、ちょっと離れてわたしも続く。彼の頼もしい背中を、見つめていたくて。

 敷地を囲む長い塀、その真ん中に構える門をくぐれば、現世へ行けるらしい。いつもは探索のための出入口だけど、復活する『ツワモノ』たちはみんなそうして去っていったんだって、女帝の従者たちが説明してくれた。

 門の前まで来ると、後ろから高い声が飛んできた。


「おーい! 燎司、萌生ちゃーん!」


 亞主十あすとさんが、玄関前からぶんぶんと手を振ってくれていて。

 わたしたちも顔を見合わせて笑って、手を振り返した。

「亞主十さん、ありがとうございましたー!」

「元気でなー! って、萌生ちゃん、背ぇ伸びてかわいくなってねえ!?」

「元に戻ったんですー」

「マジかよ、おめでとう! 燎司も、萌生ちゃんを泣かすなよなっ」

「おまえじゃあるまいし」

「なんか言ったか!?」

 今度は、笑いすぎて泣きそうになってしまったけど。

 こんなに明るい旅立ちなら、未来さきに何が待ち受けていても、きっと受け止められる。

 亞主十さんが『屋敷』に入って、また二人で門に向き直ると、燎司さんが小さく苦笑をこぼした。

「復活する時間が俺の死後と同じなら、壮絶な血みどろの修羅場だ。おまえにはきついものを見せちまうかもしれん」

「だいじょうぶです。燎司さんとご一緒なら」

 つらいことも、目を逸らさないで乗り越えてみせる。

 チャームを握る指に、力を込めた。


 ――わたし、もっと強くなるから。見守ってね、萌奈。


 ひとりでにゆっくりと開いていく門の先、白い光の中へ、わたしたちは踏み出した。

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