肆
氷の城門をくぐると、どうしてか『屋敷』の玄関前へワープみたいに移動できた。探索時間設定は三日だったし、帰りもきっとそのくらいはかかるだろうって覚悟していたのに。
燎司さんと亞主十さんは、『凍れる女帝』の男性従者三人に事情を説明してくれて、わたしの魂が巫女に転生してしまった件も彼らに受け
燎司さんと亞主十さんだけじゃなくて、『
お腹いっぱいになって、黒い空を白い満月がくりぬいた頃、わたしは『屋敷』の中を散歩してみた。ゲームでは、ログイン画面くらいでしか屋敷の雰囲気はつかめなかったけど、歩いてみるとかなり広い武家屋敷みたいな建物なんだとわかった。女帝の城は縦に長かったけど、ここはひたすら横に長い感じ。外の風景と同じで、やっぱりここの配色も全部
従者の一人から巫女の部屋の位置も教えてもらったし、
松の木や池のある庭のほうへ出ると、縁側に誰かが座っているのが見えた。
「燎司さん」
「――あぁ、
刀を
「武器のお手入れ中に、すみません。お隣、座ってもいいですか?」
「かまわんぞ」
隣っていっても、間にもう一人は入れるくらいのスペースを空けて、わたしは腰を下ろした。
女帝の城の中でも、燎司さんとはただでさえ近い距離感だったし。これ以上近づいたら、胸が熱くなりすぎてどうにかなっちゃいそう。
人形の体型だと、縁側にちょこんと足を出して座っても、つま先が地面に付かない。なんとなくぶらぶら前後に揺らしてみると、膝の球体関節がきしきしと鳴った。
あとで燎司さんの部屋にも寄るつもりだったけど、たまたま会えてよかった。どうしても、伝えておきたいことがある。
足の上で、ぎゅっと手を組んだ。
「燎司さん、明日『屋敷』を
「ああ、朝一番にな」
帰ってきた時、従者から正式に宣告されたんだろう。
燎司さんがそうなるのもゲーム通りだから、心の底からうれしいけど。
「実は……そのことで、お願いがあるんですけど」
「何だ」
涼しい夜風に、土や木の匂いがまじっている。澄んだ空気を吸い込むと、緊張もちょっとずつ解けていきそうだった。
うつむいていた顔を、燎司さんに向ける。褐色の瞳と、視線が交わった。
「わたし――燎司さんとご一緒に、現世へ行きたいです」
夕飯の席でも考えていた。このまま、ここで巫女として『兵』たちと一緒に暮らしていこうか――なんて。彼らとのおしゃべりも、自分が死んだことを忘れられるくらい楽しかったから。
けど、ゲームでは、巫女は復活キャラクターと現世へ同行する道もある。女帝との最終決戦でも、運よく生き残ってしまったし。
燎司さんとお別れしてしまうのが、名残惜しくなった。
彼の両目が、意外そうにまたたいて。その表情は、ほんのちょっと眉を下げた微笑みに変わった。
「復活したところで、俺は人殺しの
「はい」
殺人は犯罪。燎司さんの生きていた世界でも、きっと法律でそう決められているんだろう。
けど、彼が
「わたし、女帝との戦闘前にも、あなたを守って死ねるならそれでいいって思ってました。けど……今は違います」
落ち着いてひとつずつ、言葉を紡いでいく。
「わたしなんかでも、誰かの助けになれる、誰かの役に立てるって、やっと気がついたんです。燎司さんと亞主十さんとご一緒に戦ったおかげで」
「萌生……」
「もちろん、あなたが絶対だめだって仰るなら、無理は言いません。あなたにはあなたの人生がありますし」
ただ、それでも。
「それでも、認めていただけるなら――わたしは、燎司さんのおそばで生きたいんです」
もともと、彼に恋愛感情なんて持っていないし、これは愛の告白でもないけど。真剣な想いが、ゆるやかな夜風に乗って、彼の耳に届いてくれたらいい。
彼が現世で罪を償うなら、自分にできることは何でもしたい。
燎司さんが懸命に生きてきた
何秒かの間のあと、彼の目がやわらかく細められた。
「……本気なんだな」
「はい」
燎司さんが、夜空の月をふと見上げる。どこか安心したような、穏やかな眼差しだった。
「俺は相当身勝手だから、戻ったら灯璃に長々と説教されるだろうな」
「そうかもしれませんね」
その光景が簡単に想像できて、わたしもついくすっと笑ってしまう。
「行くか、一緒に」
吹っ切れたような微笑みが向けられて、わたしも満面の笑みで返事をしてうなずく。
この異世界の景色が白黒じゃなかったら、あの月もきっときれいな色をしてるんだろうな。
尊敬する人とのひとときも、『灰ノ
▼
そして、出発の朝が来た。
早い時間帯には霧も出るみたいで、外の景色が見えづらくなっていた。空気もヒヤッとするけど、『凍れる女帝』の城の中に比べたら、全然どうってことはない。
女帝の従者三人におじぎとお礼をして、てくてくと外へ出る。
従者に扉を閉めてもらって、ひとりきりになると、急に体中が真っ白な光に包まれた。あの五角盾を使うときみたいに。
「えっ、な、何っ?」
まぶしくて目をつぶる。大して時間もかからないで、すぅっと光がやんだ気配がしてまぶたを開けた。
「ちょ、えぇッ!?」
――元の姿に戻ってるー!?
顔には眼鏡がかかっているし、髪型も『
どう見ても、現実世界で死んだ時の
「なんで? なんで? いま戻る必要ある? 巫女に転生したのに!?」
あわあわとひとり言を垂れ流すことしかできない。
この見た目、燎司さんもびっくりしちゃうだろうし、どうやって説明しよう……!
もしかして、女帝を倒して燎司さんと現世へ行くことが決まったから、巫女としての役目が終わって人間に戻った?
交通事故に遭ったけど、制服は汚れていないみたい。死んだ直後のままなら、血まみれになっていてもふしぎじゃないのに。手鏡か何か持ってたっけ?
あたふたしながら、プリーツスカートのポケットを手探りする。と、指先が金属っぽい感触に当たった。
「ん?」
それを取り出したわたしの目は、潤みそうになった。
「これ……」
どうして、忘れていたんだろう。
妹が――
五百円玉より一回りくらい大きい、金色の五角形パーツ。そこに真っ黒いレジン液が流し込まれていて、赤と
お母さんは、わたしが小学校中学年になった辺りから、わたしの誕生日を祝わなくなった。誕生日ケーキを家族で食べることも、何年もなかった。わたしは生まれてきちゃいけない子だから、祝われなくても当然だ――自分でもそう思い込んでいた。
それでも、お父さんと萌奈はわたしに気を遣って、お母さんにバレないようにこっそりプレゼントをくれていた。そのひとつが、このチャーム。
「せっかくだから燎司さんっぽい色にしたくて、作ってみたんだ。誕生日おめでとう、
わたしが『
「ほんとにありがとう……萌奈も、おめでとう」
うれし泣きしながら、わたしも萌奈にプレゼントを渡した。中学時代、本人はバドミントン部に入っていたから、スポーツ用のリストバンドを。
同じ日に生まれたわたしたちがそっくりなのは、顔と見た目だけで、性格も食べ物の好みも全然違ったけど。
萌奈がいたから、わたしは生きていられた。つらいことも耐えられた。このチャームも、もらってからずっとお守り代わりにして、毎日持ち歩いていた。
じわりゆらりと、視界が歪む。喉の奥が詰まった感じがして、苦しくなって、わたしは座り込んだ。
両手で握りしめたチャームを、ぎゅっと胸に抱き寄せる。
「ありがとう……萌奈が守ってくれてたんだね……!」
巫女の設定にはなかったはずの、光の盾を生み出す能力。あれは、萌奈がわたしに与えてくれたのかも。
ぽたぽたと、スカートに涙が落ちて染み込んでいく。
「わたし、燎司さんの『盾』になれたよ、萌奈……っ」
萌奈とお父さんにも見て欲しかった。この異世界での出来事を、最初から最後まで。それから、現世で燎司さんと生きていく日々を。二人とも、ここでバッタリ再会できたらもっとよかったのに。
「――萌生?」
男の人の声に呼びかけられて、我に返る。
わたしは、あわてて目元を手でこすりながら立って、体ごと彼に振り向いた。
「す、すみません、どこの
言葉の途中で、ぽん、と肩に大きなてのひらが置かれる。
女子高生の体に戻っても、やっぱり燎司さんの背は頭二つ分くらい高かった。
「謝る必要なんてないだろう。どんな姿でも、萌生は萌生だ」
優しい笑顔と声に、わたしの胸はきゅうっと締めつけられた。
今度はちゃんと、自分の心臓が跳ねるのもわかる。
ヤバい。無理。しんどい。やっぱり、かっこよすぎる……!
彼の指が、頬や目尻に残った涙を、さりげなく拭ってくれた。
「何かあったのか?」
「……わたしが光の盾を使えた理由、わかった気がしたんです」
チャームを見せて簡単に説明すると、燎司さんは納得して目を細める。
「なるほど。妹が、おまえを『
「萌奈にはずっと助けられてばっかりで……わたしも、ちょっとは成長できてたらいいんですけど」
「できるさ。今までも、これからも」
優しい眼差しで言ってもらえると、もっと信じてみたくなる。
長い間、全然持てなかった自信が、ちょっとずつ自分の中に芽生えていきそう。
「さて、行くか」
「はいっ」
歩き出す燎司さんのあとに、ちょっと離れてわたしも続く。彼の頼もしい背中を、見つめていたくて。
敷地を囲む長い塀、その真ん中に構える門をくぐれば、現世へ行けるらしい。いつもは探索のための出入口だけど、復活する『
門の前まで来ると、後ろから高い声が飛んできた。
「おーい! 燎司、萌生ちゃーん!」
わたしたちも顔を見合わせて笑って、手を振り返した。
「亞主十さん、ありがとうございましたー!」
「元気でなー! って、萌生ちゃん、背ぇ伸びてかわいくなってねえ!?」
「元に戻ったんですー」
「マジかよ、おめでとう! 燎司も、萌生ちゃんを泣かすなよなっ」
「おまえじゃあるまいし」
「なんか言ったか!?」
今度は、笑いすぎて泣きそうになってしまったけど。
こんなに明るい旅立ちなら、
亞主十さんが『屋敷』に入って、また二人で門に向き直ると、燎司さんが小さく苦笑をこぼした。
「復活する時間が俺の死後と同じなら、壮絶な血みどろの修羅場だ。おまえにはきついものを見せちまうかもしれん」
「だいじょうぶです。燎司さんとご一緒なら」
つらいことも、目を逸らさないで乗り越えてみせる。
チャームを握る指に、力を込めた。
――わたし、もっと強くなるから。見守ってね、萌奈。
ひとりでにゆっくりと開いていく門の先、白い光の中へ、わたしたちは踏み出した。
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