第2話 星之井紅葉と音無すすき②

 放課後の帰り道、紅葉とすすきの二人は並んで用水路沿いの桜並木に置かれたベンチに座っていた。ピンク色の花は既に散っており、新緑が芽吹き始めていた。

 二人の手には途中の自動販売機で買った飲み物が握られている。

「それじゃあ不良少女認定に乾杯!」

 そう言ってすすきは手に持ったエナジードリンクの缶を開けた。紅葉もミネラルウォーターのペットボトルの蓋を開ける。

「縁起でもないこと言わないでよ……今回は保健室の場所わからなくて二人して迷子になったってことにしたんだから」

「でも叱られちゃったね。絶対バレてるよ」

 すすきは楽しそうに笑う。紅葉はそんな能天気な彼女が少し苛立たしく、そして羨ましく思えた。

 紅葉はミネラルウォーターを一口飲み、興奮して熱を帯びたのどを潤す。

「ああもう……叱られたことがないのだけが取り柄だったのにな」

 紅葉は冗談めかして言う。それを聞いてすすきは真面目な表情になる。

「それってさ。寂しくない?」

「何が?」

「紅葉って話してたら面白いし、私なんかと付き合ってくれたし、良い所は沢山あるよ」

「わたしには何もないよ。真面目ってのはね。わたしみたいに何もない人間ができる唯一の強みなのよ」

 すすきはエナジードリンクを飲む。人工甘味料の味が口に広がり買ったことを少し後悔した。

「じゃあさ。私の特徴って何があると思う?」

「それは勉強できるじゃない」

「他には?」

 そう言われて紅葉は困惑した。意気投合したとはいえ、彼女とまともに話をしたのは今日が初めてである。だから何も答えることができなかった。

「私さ。紅葉のこと。面白い子だって思ったんだよね」

「わたしが? 面白い?」

 紅葉は思わず笑いそうになってしまったが、すすきの表情は真剣そのものだった。

「だって屋上行って授業サボるとか面白過ぎるでしょう?」

「えっとそれは……まぁ」

 紅葉は言葉に詰まる。別に面白いことをしようとしたわけではない。単に人がいない場所を探していたら行き着いただけである。だがそれでも一線を越えてしまった。それは強く自覚していた。

「紅葉が屋上に行くの見て、私はいいなって思っちゃたの。紅葉みたいな普通の子が必死に机に上って窓から屋上に出て行ったんだよ。私は、そんなこと思いつきもしなかったから」

 紅葉は前にクラスメイトが夜遅くまでファストフード店でおしゃべりをしていたという話を思い出した。面白そうではあるが自分はそんな不真面目なことは絶対にできない。そう勝手に思っていた。

「すすきはわたしだったから屋上まで着いてきたの?」

「そうよ。教室で見た時からずっと私に似ている。勝手にそう思って気になっていたから。でもそうじゃなかった。紅葉は私よりもっと面白い子だったから」

 紅葉は顔が赤くなった。教室で一人黄昏ていた時も、なんとなく周囲に壁を作っていた時も見られていたのだ。

「私の――急に屋上に押し掛けた変人の――ことも受け入れてくれたし。紅葉は面白いし、優しいよ」

 はにかむすすきに対し紅葉は否定の言葉を探したが見つからなかった。わたしはそんな子じゃない。その一言がどうしても出てこなかった。

「こうして二人で話しているだけでも楽しいしね。実は学校帰りの買い食いなんて私初めてだから」

「初めての買い食いがエナジードリンク?」

「これは……お兄ちゃんがよく買ってるから飲んでみようと思ったの」

「お兄さんがいるんだ?」

「うん。私と違って自由な人でね。バイクで色んなところに行ってる」

 他愛もない会話。こうやって時間が過ぎていくことが紅葉もすすきも心地よかった。なんとなく照れくさくなってしまい紅葉はふと視線を道路の先に向けた。

 視界に休み時間に自分のことを誘ってくれたクラスメイトたちの姿が入った。紅葉は慌ててすすきの手を引っ張り立ち上がらせ、道路に背を向けてちょうど用水路を見ているような形で手すりに寄りかかった。

 クラスメイトたちが近づいてくる。幸いにも顔は見られていないようである。

 紅葉は自分の手が震えていることに気づいた。恐怖、焦り、悲哀。様々な感情が入り混じっていた。すすきは紅葉の手を包み込むように握り返した。彼女の手はほのかに冷たかったが紅葉の震えは次第に収まっていった。

 やがてクラスメイトたちは彼女たちの後ろを通り過ぎた。流行りの音楽の話をしており、教室で言っていた通りカラオケに行くのだろう。自分のことを全く話していないことに紅葉は少し安心した。

 クラスメイトたちが通り過ぎた後も、彼女たちはしばらく手をつないでいた。

「ありがとう」

 紅葉の口から自然と感謝の言葉が漏れ出た。すすきは優しく微笑む。

「不思議だよね。教室で顔を合わせるのは平気なのにね」

「それは、わたしが彼女たちを裏切ったから。せっかく誘ってくれたのに。嘘までついて」

「別にいいんじゃないかな。それに彼女たちもそんなに気にしてないと思うよ。誰にだって嫌な時はあるからね」

 紅葉はすすきのこういうあっさりしたところが好きになっていた。いつまでも考え込んでしまう自分とは違う。

 すすきは紅葉のことを自分とは違って面白いと言っていたが、紅葉もすすきのことが自分とは違ってしっかりしている。そう思い始めていた。

「さて。そろそろ私たちもどこか行こうか。ジュースも飲み終わっちゃったしね」

 すすきは缶を逆さにして空になったのを示す。それを見て紅葉は飲み途中のミネラルウォーターのペットボトルをバッグに入れた。

「そうね。でも、もうすぐ夕方だし遠くは……」

「海! 海に行きたい!」

「行けないってば!」

 冗談めかして走るすすきのことを紅葉は追いかける。どこかへ行かなくてもいい。こんな日常さえ続いてくれれば。紅葉はこれからのすすきとの日々に思いを馳せていた。

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彼女たちの日常(系) 六波羅清昭 @rokuhara_kiyoaki

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