彼女たちの日常(系)
六波羅清昭
第1話 星之井紅葉と音無すすき①
星之井紅葉は平凡な少女だった。
普通の中学生として普通にクラスメイトと付き合い普通に学校へ通ってきた。特別叱られることはないが褒められることもない。成績は良い方だったがそれも普通の範囲であった。
平凡な紅葉は普通に優しかった。クラスメイトのささいな影口、イジメ未満の悪いじり、ドロップアウトして孤立していくクラスメイト。そんな当たり前のものを幾度も見ては心を痛めていた。しかし彼女は平凡であり、強くはないので見て見ぬ振りをすることしかできなかった。そんな自分のことが嫌いだった。
ある日、高校受験に向けて深夜まで勉強をしていた紅葉は気分転換にテレビを点けた。安っぽいバラエティ、少し大人っぽいドラマ。どれも興味を惹かれなかった。
ふと一つのチャンネルでリモコンのボタンを押す手が止まった。
それはアニメだった。画面には自分と同じくらいの年齢の少女たちが映っていた。
彼女たちは教室でくだらないお喋りをし、放課後はファストフード店に集まり、夕方になるとそれぞれの家へと帰っていった。
物語としての面白さも深さも一切ないアニメ。だが、紅葉の視線は画面に釘付けになった。日常の些細なことで笑い合い、イジメや影口のないその世界。まさに紅葉が理想としていた学校の姿だった。
それからというもの、紅葉は受験勉強の合間にそのアニメを観るようになった。
トラブルメーカーの少女が走り、しっかりものの少女がツッコミ、少し天然気味の少女が横で笑っている。どの話もほとんど決まった流れだが不思議と飽きはしなかった。
そしてそのまま大きな事件が起こることもなく、最終回になった。
もっと彼女たちの日常を見ていたい。紅葉はそう思うまでになっていた。
しかし時は無常なもので、アニメは平和なまま終わってしまった。
「わたしも高校生になったらこんな日常を過ごせるのかな」
紅葉はぽつりと呟いた。
そうだ。高校に入ればこれまでの人間関係も一度リセットされる。そこでわたしがこんな日常を築けば良いんだ。アニメみたいに平凡で楽しい日常を。
紅葉はよし、と気合を入れると受験勉強に戻った。
勉強の甲斐もあり、紅葉は第一志望の私立高校に入学することができた。
高校に入学して紅葉は変わろうとしていた。今度こそ日常系アニメみたいな楽しい学校生活しよう。誰も傷つくことなく笑っていられる日常に。
だが現実はそうならなかった。
孤立しないよう必至にグループに所属しようと作り笑いをする者たち。徐々に孤立していく者たち。ほぼ初対面同士だったにも関わらずクラス内のグループは驚くべき早さで形成されていった。
中学と同じことの繰り返し。グループ内での序列が完成するのも時間の問題だろう。そんなことを考えていたら何もかもがバカバカしく思えてきてしまった。
ある日の休み時間、隣の席のクラスメイトから放課後の遊びに誘われた。彼女はクラスでも特に人数が多く一際賑やかなグループに所属しており、これに所属さえすれば少なくとも一年はクラス内での地位は保障されるだろう。
だがここでこのグループに所属をしたらまた中学校生活の二の舞である。紅葉は適当な理由をつけて断ってしまった。
クラスメイトは「仕方ないね」と笑顔で言っていたが本心で言っていないような気がした。
紅葉は気がついたら教室を出ていた。
そして、学校内で人がいない場所を探して歩き回るうちに屋上に出る踊り場に来ていた。
屋上の入り口は机と椅子で封鎖されていたが、ドアの横になぜか小さな窓がありそこからなら外へ出られそうだった。
紅葉は机の上を這って移動し窓へ手をかけた。鍵がかかっていない窓はあっさりと開いた。なんとも間抜けな構造だとおかしくなった彼女はつい屋上に出てしまった。
出入りが禁止されている場所。しかも今は休み時間が終わり授業中。バレたらただでは済まないだろうが今の彼女にはどうでもよく、ただ一人になりたかった。
屋上には当然のことながら誰もいなかった。
紅葉は外から見つからないように建物の影になる場所へ移動ししゃがみこんだ。
なんであんなことを言ってしまったんだろうか。このままではせっかくの学校生活を棒に振ってしまう。しかしあのまま楽しそうに遊んでいる自分が想像できなかった。
一度でも人の輪から離れたことのある者は二度と戻れないんだろうな。輪を外から客観視することを覚えてしまい冷めた視線でしか見ることができなくなってしまうから。そんなたわいもない分析をした。
「星之井さん?」
不意に紅葉を呼ぶ声が聞こえた。紅葉は見つからないように息を潜めた。
「あっ。いた」
一人の少女が目の前に立っていた。
音無すすき。同じクラスのおそらく優等生。おそらくというのは紅葉はすすきのことをよく知らないからだ。ただ入試の成績が良く入学式で新入生代表のあいさつをしたこと。それにメガネにおさげといういかにも優等生といった風貌ということ。その程度しか知らなかった。
「何してるの?」
すすきは屈んで紅葉の顔を覗き込む。その大胆な行為に紅葉は胸の鼓動が速くなるのを感じた。
「ちょっと一人になりたかったから」
平静を装って紅葉は答えたが、妙にキザな言い回しになってしまい恥ずかしくなった。
すすきは紅葉の隣に座り込んだ。
五月初旬の初夏の風が吹き、彼女たちの髪を揺らす。
「そう。屋上でサボるなんて……アニメみたいね」
すすきは風にかき消されそうな小声でぽつりと呟いた。
「えっ?」
紅葉は思わず聞き返してしまった。彼女はアニメみたいと言っただろうか。すすきのような今風ではない真面目そうな少女からそのような単語が出てくるとは思いもしなかった。
「だって一人になりたいなら保健室に行けばいいじゃない。その方が合法的だし」
「仰る通りでございますね」
ぐうの音も出ないほどの正論だった。紅葉は自分の衝動的な行為に後悔すると同時に知らずにアニメに影響を受けていたことが少しおかしくなった。
「私はこの方が楽しいと思うけどね。アニメみたいでなんとなく……ドキドキするし」
笑顔でそう言うすすきは心の底から嬉しそうだった。
「アニメ好きなんですか?」
「好き……なのかな。受験勉強してた時に学園もののコメディみたいなアニメ見て、ああ平和でいいな。私もこんな学校生活してみたいな。そんな風に思ってたわ」
「もしかして『がくなま』ですか?」
紅葉は受験勉強の合間に見ていたアニメのタイトルを口にした。それを聞いてすすきは笑顔になった。
「そうそう。ああいうみんな楽しそうで誰も傷つくことなく流れる日常が羨ましいなって」
「私もそう思います。あのアニメを見てああいう日常に憧れてたんです。」
「でもね。あの子たちは何人かのグループで楽しそうにしているけどそれに入れなかった子はどうなっているのか。もしかしたら私たちの世界と同じで孤独になってしまっているのかな、って」
「それは……」
考えたくないことだった。本当は、楽しそうにする主人公グループを遠巻きに見るわたしみたいな存在がいるのだろうか。創作の世界でくらい現実とは違って欲しい。紅葉はそう願った。
「なんてね。あんないい子たちがいるんだもの。私たちの世界とは違うと思うわ。それに、少なくともお話の世界でくらい幸せなものを見せて欲しい。私は、そうはなれないから……」
最期の方は消え入るような声だった。ああそうか。彼女はわたしと同じなのだ。人の輪に疑問を持って抜け出してしまったせいで元に戻れなくなった。外の視点から見てしまうからニセモノの人間関係に入れない。そんな歪んだ価値観。
「わたしたち、似ていますね」
そう言うと紅葉はすすきの顔を見つめた。それがあまりにも真剣な表情であったようで、すすきは笑い出してしまった。
「どうして笑うんですか?」
「だってさ。星之井さん面白い顔してるんだもの」
「ええっ? そんなに変な顔してたかなぁ……」
紅葉は頬に手を当てて首を傾げた。その動作がまたマスコットキャラクターのようでさらに笑いを誘った。紅葉もそれに釣られて笑い出した。
「あーおかしい。こんなに笑ったのはいつぶりかしら」
「酷いですよ。音無さん。わたし、真剣だったんですからね」
そう言う紅葉も笑っているのだから説得力がない。
「私のことはすすきでいいよ。アニメでも仲が良い相手は名前で呼ぶじゃない?」
「じゃあ私は紅葉でいいですよ」
「もっとフランクに」
「うん……そうだね。すすき」
二人は再び笑い始めた。何が楽しいのか全くわからなかった。だが、無性に笑いたくなったのだ。
ひとしきり笑った頃、終業を告げるチャイムが鳴った。すすきは立ち上がると背伸びをした。
「あーあ。授業終わっちゃた。こういう時ってどうすればいいの?」
「何か適当な言い訳を考えないといけないね。うちの学校厳しいみたいだから」
「紅葉。こういうの得意? 私さ。こう見えて優等生だったから授業サボったことないのよね」
すすきはいたずらっぽく笑う。
「見ればわかるよ。わたしだって優等生だったんだから。まあ、優等生二人。なんとかなるよ」
能天気に紅葉は答える。だが、二人ならなんとかなるような気がして紅葉は不思議と楽しくなってきた。
初夏の風に後押しされ、二人は校舎へと戻っていった。
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