2-3
入学式を終えて、ホームルーム。教師はプリントを取りに行くとか言って教室から出ていた。束の間の自由時間。新入生総代で、財閥の次男とかいう、雪仁自身もなんだかなぁと思わなくもない肩書きの生徒を遠巻きに見つめるクラスメイト達を、自分の席からぼんやりと眺めながら、雪仁は再び最近の夢の内容について考えていた。
今朝は過去の記憶を夢に見た。それは雪仁にとってはイレギュラーな事で、その原因の究明だけに暫く集中して時間をかけたいところだが、イレギュラーは今朝の夢だけではなかった。
雪仁は自身の眠りの質に関して常に気を配っていた。適度に運動するし、就寝前二時間はテレビもスマホもパソコンも見ないし、枕や布団はこだわっているし、シャッターは閉めるし室温は適温に保っている。そうやって夢見を気にしていると、悪夢を見ることはほとんどなく、布団に入って数秒で心地よい眠りに入ることができる。
いつも同じように過ごすため、夢見が悪かったり寝つきが悪かったりした場合の原因の洗い出しが楽で雪仁は今の生活が気に入っている。
しかしどんなに考えても、原因が洗い出せず、どんなに調整しても、解決しないイレギュラーに最近の雪仁は頭を悩まされていた。
最近のイレギュラー。それは、夢をコントロールできないことだった。
雪仁は毎晩のように、夢を『夢だ』と認識して見る夢――いわゆる〝明晰夢〟を見ている。二十年程前、人間が夢を見ていた頃も、明晰夢を見ようと思って見ることができる人間は稀有だったらしいが、雪仁の夢は大抵が明晰夢だった。夢の中でも、現実の自分が布団に入って目を閉じるまでの記憶がしっかりあるのだから、夢を『夢だ』と気付かずにいる方が雪仁にとっては難しく、珍しいのだが、どうやら普通はそうではないようだ。悠仁曰くそれは雪仁の生来の記憶力の良さが関係しているらしいが、雪仁にとっては知ったことではない。
まぁ、何はともあれ。雪仁は夢を夢だとわかった上で楽しんでいる。所詮は雪仁の想像である故に、夢の中なら雪仁の望みは何でも叶う。それこそ、何でも。夢の中において雪仁は神にも等しき全能の存在だった。人を殺すも、展開を変えるも、自由自在だ。
しかし最近はその全能性が失われていた。
夢だとはわかっているが、悪夢も、どうでもいい夢も雪仁はコントロールすることができない。現れた知り合いの顔に苦虫を噛み潰し、展開に振り回され、酷い時には化け物に追いかけ回される。
もうこの段階で相当に不快なのだが、最悪なのは、夢に〝ヒツジ〟が現れる事だった。雪仁はヒツジが嫌いだ。世界で一番嫌いだ。あんな気味の悪い生物がこの世に存在している事自体が許しがたいし、鳴き声を聞くだけで寒気がする。
そのヒツジ――大抵が、現実世界のそれよりもかなりデフォルメされたぬいぐるみの様な造形の奴ら――が、最近の雪仁の夢にちらほら現れる。曲がり角の先、扉の向こう、引き出しの中。所構わず待ち伏せていて、ギョロリと横向きの目で見てきた後に、メェ、メェと不気味な声で鳴く。
それはもう最悪だ。最悪以外の何者でもない。思い返すだけで胃がキリキリと痛くなってくる。奴らのおかげで、最近は夜に布団に入るのが嫌になってきている。布団に入りたくない――夢を見たくない。それは、夢を見ることを生きがいにしている雪仁にとって、実に由々しき事態だった。
――全く、どうにかならないものかね。
「き、キリハラくん」
「はい、なぁに?」
物思いに沈んでいた雪仁の意識を、女子生徒の声が引き摺り上げた。
遠慮がちに背中をつつく声に、雪仁は余所行きの笑顔を浮かべて振り返る。謎の存在であった『曲がり角の大きな家の息子』あるいは『霧原財閥の次男』、それか『新入生総代の男子』がにこやかに振り返ったことで、緊張が若干緩んだのか、雪仁の後ろの女子はホッとした様な顔で尋ねる。
「ね、ね、キリハラくんが、ものすごいお金持ちって、本当?」
なんだその質問。
心の中では、わざわざ声をかけてきながらそんな心底どうでもいい質問をする彼女に中指を立てながらも、しかしそんな感情はおくびにも出さずに、雪仁は困った様な表情を浮かべて頰を掻いてみる。
「もうそんな噂になってるの? 困っちゃうなぁ……。お金持ち、って言われればそうなのかも、しれないけど……僕が、っていうか僕の家が……って感じだよ? 分家だし、家が大きいからお金持ちに見えるのかもだけど――」
雪仁の言葉の後半は女子生徒には聞こえていないようだった。もう振り返って他の女子生徒ときゃあきゃあ騒いでいる。
雪仁は肩を竦めて前を向くと、再び思考の海に戻ることにした。心底どうでもよく、甲高い声が耳障りだった。クラスメイト達は各々おしゃべりを始めたのか、雪仁に向いていたうるさい視線は幾らか和らいでいた。
「…………。」
ざわめきが大きくなってきたところで、教師がプリントの束を抱えて帰ってくる。どうやらなかなか戻ってこなかったのは、大量のプリントを一人で運んできたかららしい。誰か適当に生徒を連れて行けばよかったのに。と、雪仁は頼りなさげな担任を冷ややかな目で眺めた。
せっかくの登校初日、雪仁の隣の生徒は欠席した様だった。隣の席には誰も座っていない。その空席の主のことが幾許か気になったが、すぐに霧散して、雪仁の意識は別の対象へと移っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます