第8話 登場、ベルフェゴール

「ふざけんなよおい!」


 アロウの怒り声に、道具屋の奥で軽く間食を取っていた俺とショコラは顔を上げた。


「一体どうした?」


 何が起きたのか気になった俺は表に出る。


「コウイチさん……」


「お前がハクアちゃんの主か?」


 カウンター越しだが怯えてるハクアに詰め寄っていた男が振り向く。


 男はメダンス=G=グロバーと名乗り、ミドルネームがある通り貴族階級の者。


 そのデップリとした太鼓腹に三段顎、豚のような小さな目はまるでオークを彷彿させるような醜悪な体型。


 貴族より豚という表現が似合う男だった。


「僕は本来のハクアちゃんの主だ」


 そして、あのトルメニアからハクアを買おうとした人物と告げる。


 そしてハクアの怯え切った表情に気付いていないのか、メダンスは戯言を呟く。


「黄金の髪に白磁の肌、神の造形と呼んでも差し支えないハクアちゃんは女神そのものだ。そんな君がこんな薄汚い道具屋で働くなんて世界の損失だね、本当に君の雇い主は見る目の無い無能な屑なんだな。どうだいハクアちゃん? 僕の所へ来ないかい、来てくれたら綺麗なお洋服や美味しい食べ物など今よりずっと良い生活をさせてあげられるよ?」


 グダグダと聞くに堪えない雑音を吐き出すメダンス。


 しかも本人の目の前で悪口を叩くとは。


 本当に見た目に反しない素敵な性格をしているな。


「ええと、ごめんなさい。私の主人はもう決まっていまして」


 顔色が真っ青になっているハクアは震えながら自分の首輪に付いているドックタグを見せるのだが。


「そんなのは無効だね。そのドックタグに記されるべき名前は僕なんだ」


 そう手を上げて大仰に首を竦める様は本当に腹が立つ。


「アロウ、止めろ!」


 隣にいたアロウが堪らず身を乗り出してメダンスに掴みかかろうとしたので、その前に俺が口を開く。


「命令すんな、人間!」


 案の定そう返ってくるが、その動作だけタイムラグが出来る。


 その間にショコラがメダンスの横に立った。


「お客様、後ろがお待ち頂いておりますので早くご注文をお願いします」


 ショコラは慇懃無礼な敬語を使って忠告するのだがメダンスは従うどころか舐めまわすような視線でショコラを吟味する。


「ふむ……ハクアちゃんに比べれば幾分か見劣りするけど、十分許容範囲だ。ショコラというのか。うん、ついでに君も貰っとこうか」


「……っ!」


 ここで笑顔の鉄仮面を保持したのは見事というべきだろう。


 さすがショコラ。


 大人だ。


「おい、金貨何枚でハクアちゃんを売ってくれるんだ?」


 ショコラは応えられる状態で無かったので俺が口を開く。


「ハクアは売らん」


 と、ショコラと同じ趣旨の言葉を繰り返す。


「ったく、本当にお前は商売上手だな、脱帽するよ。よしっ、白金貨5枚だぁ! 持ってけ泥棒!」


「何百枚積まれようともハクアを渡すことはない」


 もちろんその言葉で納得するメダンスではない。彼は肩を怒らせながら。


「お前、強欲だぞ! 欲の皮を突っ張るとロクな目に遭わないぞ!」


 欲の皮が突っ張っているのはお前だろうが。


 全く、本当にこいつを相手にするのは疲れる。


 だから俺はショコラにこの馬鹿を連れ出せと合図を送る。


「き、貴様! 絶対に後悔するぞ! いや、させてやるからなぁぁ!」


 やれやれ、あいつは本当に元気だな。


 あのエネルギーをダイエットに回せば良いのにと俺は考えた。




「おい、人間」


「何だ? アロウ」


 閉店後。


 全員で戸じまりをしていた最中、アロウがそう呼ぶ。


 この中で人間というのは俺しかいない。


「あいつ、貴族だろ」


「認めたくないがな」


 あんな性格の奴でもれっきとした貴族の子孫。


 権力も金も何もかも俺のはるか上を行く存在だ。


「何で貴族の頼みを断った?」


 アロウは続ける。


「格下の者には高圧的に振る舞うくせに、目上の者に対しては媚び諂うのが人間じゃないか?」


「……アロウは偏見の塊だな」


 何だその畜生は。


 人間が全てそんなんだったら文明など築いていないわ。


「コウイチとあんな豚共を一緒に考えない方が良いわよ」


 と、横でショコラが口を挟む。


「コウイチは例外中の例外の変人。人間αだと思いなさい」


「おいちょっと待て」


 何だ人間αとは。


 断固抗議するぞ。


「うん、そうだな! そうだよな!」


 が、アロウは納得したかのように顔を光らせる。


「俺がおかしいんじゃない、あんたが人間から外れているだけなんだよな!」


「だからちょっと待てと」


 俺にも話させろ。


 が、そんな俺の願いなどアロウは知ったこっちゃなく、ものすごい速度で掃除用具を片付ける。


「腹が減った。先に行っているから早く作ってくれよな……コウイチ」


「うん?」


 今、確かにアロウが俺の名を呼んだな。


 確かめようとしたが、アロウは翼を使って飛んで行ったので尋ねることは不可能だった。


「コウイチ。それじゃあ、行ってくるわよ」


「ん、了解」


 都市へ行く装いーーメイド服にドックタグを着けたショコラが荷物を背負う。


「ハクア、何かあったらすぐ俺に言えよ。絶対に護ってやる」


「うん、ありがとうお兄ちゃん」


 その横では同じく支度をしたハクアにアロウが心配していた。


「俺としてはアロウの方が心配なのだが」


 首輪にドックタグを付けていないアロウは連れ去られたら終わり。


 まだハクアの方が安全である。


「分かってるってコウイチ。自分の身ぐらい自分で守れる」


 返事だけは頼もしい。


「大丈夫よ、アロウの分もちゃんと用意してあるし」


「危険だったら無理矢理着せるから安心して下さい」


 上からショコラ、ハクアの弁。


 アロウよ、お前は妹からも心配されている事実に気付くべきだ。


「けど、まあ俺の言葉を吟味してくれるようになっただけマシと喜ぶべきか」


 アロウはあの貴族の一件以来、俺に対する態度が変わった。


 クソ生意気なガキであることはそのままだが、この変化は喜ぶべきものだろう。


 人間に対する偏見が少々改善されたのかと思ったが違うらしい。


「コウイチは人間だ、ニンゲンじゃない」


 アロウ曰く、人間とはニンゲンとは似て非なるもの。


 だからコウイチとは普通に接するという。


 よく分からん理屈だが邪険にされなくなっただけ前進したと考えるべきだろう。


 このままアロウが人間を認める日が来ればいいなあと思いながら。


「しかしなあ、あのバカ貴族のせいで要らん世話を喰う」


 俺は思わず愚痴を零す。


 ショコラ達が都市へ行くのはメダンスのせいである。


 先日訪れたあのメダンス、余程俺が憎かったのか良からぬ輩を金で雇って営業を妨害してきやがった。


 しかも貴族による妨害はトルメニアの時と全然違い、苛烈かつ執念深い。


 以前は熟練冒険者がちらほら出てきていたが、今回は誰も来なかった。


「これは本格的にまずいな」


 メダンスと俺のどちらが先に音を上げるかの我慢比べの様相になりかけたその時。


「都市へ行って薬を売ってくるわ」

「私もそのお手伝いをします」


 ショコラとハクアがそう意見してきた。


「ショコラはともかくハクアは不味くないか?」


 その際俺はそんな懸念を口にする。


 メダンスはハクアにご執心な様子。


 そして、メダンスだけでなく他の人間にハクアが連れ去られる可能性がある。


 しかし、ショコラは首を振って。


「大丈夫よ、ハクアには魔法があるし」


 ショコラ曰く、鷺の亜人であるハクアは魔法の扱いが上手く、どんな相手であろうが早々遅れは取らないとのこと。


「ショコラさんの傍から離れません」


 ハクアが両手を握ってやる気満々をアピールしてきたので、俺は折れざるを得なかった。


 ちなみにその決定にアロウは。


「お前! 主だろ! 易々とOKすんなよ!」


 と、突っかかってきた。


 このクソガキめ。


 文句があるのなら直接本人に言えよ。


 俺はそのように返すとアロウは羽をしょぼんとさせてポツリと。


「……俺が言っても聞いてくれない」


 そう漏らしたアロウの姿に不覚にも萌えてしまったと追記しておこう。


「ぞれじゃあ、留守番よろしく」

「コウイチさん、行ってきます」

「晩御飯を作っておけよ」


 三者三様。


 各々の言葉を残してショコラ達は屋敷を後にした。




「ふう……」


 カウンターに収まった俺は一息を吐く。


「何時もながら退屈だな」


 ショコラ達が都市へ出掛けるようになってからもう2ヶ月。


 メダンスを始めとしたハクアに惚れた連中からのちょっかいが幾つかあったものの、全て返り討ちにしているという。


 さすがショコラだなと感心した俺だが、ショコラ曰く、ハクア自身が凄いらしい。


「魔法って本当にずるいわね」


 何でもハクアは魔法が使えるらしく、危機が訪れる度に撃退しているとのこと。


 しかも遠慮無く。


 アロウが止めなければ死んでしまうのではないかと思う程苛烈に。


 ハクア=キルスロイ。


 普段は大人しいが怒らせたら怖いタイプだった。


 なお、余談としてアロウが逆に守られているとのこと。


 と、まあそんな訳でショコラ達は問題ない、が。


「頭脳役が欲しいな」


 俺は現在足りないものについて考える。


 今の俺に足りないのは交渉が得意な知恵者。


 もしそのような人物がいればメダンスとのトラブルも穏便に解決できただろう。


 そして、現在進行中の嫌がらせも止めさせることが出来るかもしれないとまで考えたが。


「……ないモノねだりしても仕方ないな」


 俺は自分の勝手さに呆れる。


 戦闘最強のショコラに看板達であるアロウとハクア。


 この3人が傍にいる時点で俺はとんでもない幸せ者だろう。


 これ以上望んだら罰が当たる。


「メダンスの気が変わるまで待つとするか」


 結局、持久戦へと行き着く。


 これ以上打つ手が考えられない俺は、メダンスが他に興味が出るまで耐えることにした。


「おい店主!」


 噂をすれば何とやら。


 背筋を伸ばし、嘆息をすると同時に、豚の鳴き声を連想させる甲高い声音が俺の耳に届いた。


「ああ、あんたか」


 俺は5段腹を視認して誰かを知る。


 メダンス=G=グロバー。


 貴族という名のオークである。


「で、何の用だ?」


「お前! 貴族に対して何だその無礼な口は!」


 目を飛び出し、キーキーと甲高い声音で吠えるメダンス。


「ああ、済まんね。これは病気なんだ。だから心の広い貴族様は快く許すことを希望する」


 俺はもう相手をするのが面倒くさくなったのでぞんざいに扱うことにしていた。


「ふ、ふん。確かに僕は貴族だ。だから狭量なお前ぐらい許してやろうではないか」


「はいはい、そうですかい」


 お前、ホントよく貴族を名乗れたな。


 俺がお前の親だったら恥ずかしくて表に出せなかったぞ。


「お前、今日は取引をしに来た」


「ほう、よく家の裏ルールを知っていたな」


 一部のお得意様にしか伝えていないが、俺は素材を持ってくればその場で生成する裏サービスを行っている。


「では、持ってきた素材を出して欲しい。何が出来るかは素材によって決まる」


 もちろん費用はただ。


 これまでのお得意様が落とした金を鑑みればお釣りが来る程だからである。


「だからお前ふざけんなよ!」


 メダンスは顔を真っ赤にして地団太を踏み出した。


 ……ヤバイ、ちょっと楽しくなってきた。


「ええい、くそ! 話を戻すぞ」


 メダンスはやり直しとばかりに咳払いをする。


「お前、ハクアを僕に渡せ」


「断る」


「もちろんタダとは言わない。ちゃんとこちらもそれなりの物を用意した」


「お前なあ……」


 俺は呆れる。


 例え大陸中の金貨を積まれようとも俺はハクアを渡す気など毛頭ない。


 全く学習しないメダンスに俺はどう言葉を掛けようと悩んでいたが、屈強な護衛達によって連れて来られた連中を見て度肝を抜かれた。


「ふっふっふ。羨ましいだろう」


 メダンスはニヤリと唇を捲らせる。


「ハクアちゃんに劣るとはいえ最高級奴隷5匹、破格の条件だ」


 俺の目の前に並んだ亜人は全部で5人。


 狐や猫の一部分がある彼女達は、亜人とほとんど接したことのない俺から見ても高等な部類、年齢はショコラと同じくらいかつ全員がハクアと勝るとも劣らない美貌を持っていた。


「どうだ、凄いだろう」


 メダンスは鼻を鳴らして続ける。


「そちらは1匹こちらは5匹……それで良いと言っているんだ」


 ……


 本当に、ショコラ達がこの場にいなくて良かったと思う。


 もし彼女達がいれば躊躇なくこの醜悪な人間に襲いかかっていた。


 俺は心の中で安堵する。


「……少なくとも今のお前にハクアを任せることはない」


 俺は慎重に言葉を紡ぐ。


「ハクアのことを何も知らないお前は必ずハクアを不幸にする」


「不幸? 何を言ってんだ。美味しい食事に贅沢な生活。少なくともここでの暮らしより立派何だぞ?」


「ハクアはそんなものを望まない」


「いいや、一度知れば喜ぶはずさ。何せ亜人だからな」


 ――亜人だから。


 ……こいつはハクアを始めとした亜人を下へ置いていることを気付いているのだろうか。


 亜人達も生きている。


 人間達と同じく生きている以上、趣向や好みの違いがあって当然なのに。


 ……いや、俺が間違っているんだろうな。


 このイースペリア大陸は人間が上で亜人が下。


 それが少なくともこの世界の、人間が抱く常識だろう。


「何度でも言おう、今のお前にハクアを任せることはありえない」


 そして俺は首を出口の方へ向ける。


 帰れの意思表示。


「うん? 何だその態度は?」


 メダンスがそう述べるが俺は何も発しない。


 訳を説明しようとも、今のメダンスに伝わるとは到底思えないから。


「まあ良い。今日は引き上げるとしよう」


 俺の態度をどう受け取ったのかメダンスは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


 が、ここで神様は最悪の未来を用意してくれた。


「何が進入禁止よ! 私達はこの屋敷に住む者よ!」


 喧騒と共にそんな金切り声が俺の耳に届いた。


「ったく、コウイチ! 前に止まっていたあの趣味の悪い馬車は何な――」


 最悪のタイミングでショコラ達が帰ってきた。


 そして、何か文句を垂れようとしたショコラだが、俺、メダンス、そして使用人に連れられた亜人達へと目が映るつれ、剣呑な雰囲気へと変わっていく。


「ん? どうしたショコラ姉ちゃーー」

「ショコラさんどうかしましたーー」


 続いて入ってきたアロウとハクアも眼前の光景にどう反応して良いのか分からなかったようだ。


「お客様のお帰りだ」


 俺は努めて大声を出す。


「ショコラ、アロウ、そしてハクア。道を開けてやってくれ」


 頼むから余計なゴタゴタを起こすなよ。


 俺は縋る様な気持ちで祈るのだが、得てしてこういう願い程叶わない。


 メダンスはハクアの姿を認めるや否や大きく両手を広げて。


「おお、愛しの天使。また会えたねぇ」


 芝居がかった口調で喜びを表現してきた。


「ハクアちゃんは本当に綺麗だねぇ。君の前にはこいつ等も霞んで見えるよ」


 メダンスはゴミを見るかのような視線で連れてきた亜人達を罵倒した。


「……一つ聞いても良いですか?」


 ハクアの声が僅かに震えている。


「止めろハクア。この貴族は急用があるんだ」


「勝手なことを言うなよお前。ハクアちゃんの頼みに勝る用事なんてあるわけがないだろう」


「何の目的であの人達を連れて来たのですか?」


「もちろん君と交換するためだよ」


 罪悪感の欠片も感じさせずにメダンスはのたまう。


「僕はね、ハクアちゃんがどうしても欲しいんだ。もし手に入るのなら僕のコレクションを投げ打ったって良いぐらいにね」


「……コレクション」


 ハクアは怒りを必死に抑えているのだろう。


 小さな体を小刻みに震わせている。


「メダンス卿、ハクア達は疲れているんだ」


 俺は何とかこの空気を消そうとする。


 頼むから、これ以上ハクア達を怒らせないでくれ。


「ハクアちゃん、疲れてるの?」


「……」


「だとしたら大変なことだ。おい、そこの犬の亜人。駄目だぞちゃんと管理しておかないと。ハクアちゃんはお前より価値が高いんだ。まあ、もし僕の所で過ごしたいのなら少しばかり教育しないといけないな」


 駄目出しとばかりにショコラに対する酷評。


 ブチリ、と聞こえるはずの無い音が聞こえた気がした。


「……コウイチ、一つ聴くわ」


 ハクアが俯き、アロウが憎しみの目でメダンスをにらむ横でショコラが俺に問いかける。


 彼女は普段と違い、幽鬼の様な表情。


「あんたはどっちの味方?」


「……」


「もしあの豚の仲間と言うなら私達を追い出しなさい。そして、もし私達の仲間と言うなら豚を殺しなさい」


 究極の二択。


 ショコラ達か、それとも人間か。


 どちらを取るのかと問うていた。


「……ショコラ、俺に対してその問いかけは酷いぞ」


 俺はここから出ることはできない。


 ゆえにどう選ぼうとも最悪の未来が待ち受けている。


「ゴメン、コウイチ。確かに酷過ぎたわね」


 ショコラはフフフと笑う。


「どれだけ私達よりでもコウイチは結局人間。最後の最後ではそっちを選ぶのは種の本能として当然よね」


「止めろ! ショコラ!」


 俺は思わず叫ぶ。


 護衛達がメダンスを守ろうと陣を組むがショコラの前では無力だろう。


 次の瞬間にはメダンスを含めた護衛達は皆殺し、俺は逮捕、そしてショコラ達は逃亡者という最悪の未来が頭に浮かんだその時。


「あ〜ら、いけないわねぇ」


 それより先に毒々しいが響いた。


 身長はショコラより少し高いぐらい、病的なほど青白い肌と真っ青な唇。全身を覆うローブはけばけばしい極彩色に彩られ、そしてその女からかなり離れているのに香水の匂いがプンプンと漂ってくる。


 悪女という言葉が脳裏に浮かんでくる。


「……ベルフェゴール」


「ショコラ、知りあいか?」


 俺の問いにショコラは首を振って。


「いいえ、初対面よ」


 と、バッサリ切って捨てた。


「ショコラ、あなたに連れて来てもらったのにもう忘れたわけ? お姉さん悲しいわあ」


「何が連れて来たよ。断っても姿を消して後を付けていたんじゃない」


 ショコラの憎しげな呟きにベルフェゴールはヨヨヨとばかりに異常に長い指先を持つ手で顔を覆う。


「い、いきなり何だお前は? 僕の邪魔をするのだったらただじゃおかないぞ!」


 ここで会話から置き去りにされていたメダンスが抗議を上げた。


 それにベルフェゴールはクスクスと笑いながら。


「そうねえ、邪魔をするというより仲裁をして上げに来たのよ。このままじゃあ店主を含めた全員が不幸な結果になってしまう。だから今回は私の顔を立てるという意味で、ね?」


 ベルフェゴールは両手を合わせてお願いのポーズをした。


「だからお前はいきなり現われて何な――」


「メダンス様、なりません」


 顔を真っ赤にしたメダンスがベルフェゴールに抗議しようとしたが、護衛達によって止められる。


「あの方は……魔族です」


「魔族!?」


「そう、魔族よ。私は神人に属する種族、全てを惑わす魔族の一柱――ベルフェゴール=サキュトレス。以後、お見知り置きを」


 メダンスは何を驚いているのだろう。


 この世界の常識を知らない俺は良く分からないが、メダンスが気後れしたのは分かる。


「ふ、ふん。良いだろう。僕は貴族だ。今回だけは神人の面子を尊重しよう」


 負け惜しみと言わんばかりにメダンスはそう捨て台詞を残して去って行った。


 亜人達を連れて行かれる際にハクアの顔が一瞬歪んだが、何もできないことを悟ったのか手を伸ばすだけで終わる。


 ベルフェゴールとやらが現れてから僅かの時。


 なのにこの部屋は以前の落ち着きを取り戻していた。


「ベルフェゴールとやら、助かった」


 色々しこりが残ったが最悪の場面を抜け出せたことは確か。


 なので俺は素直に礼を述べる。


「いえいえ、どういたしまして。お礼なら何かを作って頂戴。お腹が空いたわ」


 ベルフェゴールはそうフフフと笑った。


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