第6話 おかえり

「遅いな……」


 俺は門の中にてアロウの帰りを待つ。


 すでにショコラとハクアは戻ってきており、二人とも屋敷で寛いでいることだろう。


「早くしないと結界を閉じられないじゃないか」


 ショコラから結界をわざと開けとけと言われたものの、そうしたまま放っておくわけにはいかない。


 例えるなら戸締りもせずに寝るようなもの。


 なのでショコラから二人が逃げ出す旨を聞いた後、俺は門の内に張り付き、二人が壁を越えるタイミングを合わせて結界を解除、そしてショコラも後を追ったことを確認して閉じた。


 色々心配だったがショコラとハクアは無事。


 アロウの姿が見えないことに不安を覚えた俺だが、ショコラ曰く反省のために森に置いてきたとのこと。


 アロウはまだ子供なので心配を口にすると。


「あんたは本当に甘いのねえ。けど、それに助けられた私が言うセリフでもないわね」


 と、ショコラが苦笑したのを覚えている。


「肌寒いよなぁ」


 まだ青葉が茂る季節とはいえ、夜に長時間待つというのは中々に堪える。


 途中、ハクアから暖かい飲み物の差し入れがあったのでそれを口に含む。


 中身は温めた水--白湯ともいえる。


 本音を言えばコーヒーが欲しかったが、そんな洒落た代物をハクアに準備できるわけがないと諦めていた。


「まだショコラもハクアも起きているか」


 屋敷に目を向けると、明かりが二か所ついているのが分かる。


「アロウ、二人のことを想うのなら早く帰って来いよ」


 と、独り言をつぶやいたその時。


 コンコンコン。


 と、静かなノックの音が響き渡った。


「……戻ってきたか」


 俺は安堵し、門を開ける。


 すると門の前には体を震わせながら小さく縮こまっている黒い少年--アロウがいた。


「おかえり、アロウ」


「……」


 俺はアロウにそうよびかけたが、帰ってきたのは沈黙。


 まあ、さすがに通常通り振る舞うのは良心が痛むか。


「疲れただろう。ほら、これを飲め」


 俺はポットに入っていた暖かい飲み物を差し出す。


 アロウは受け取ろうとしないので一言。


「ハクアからの差し入れだ。飲んでおいた方が良いぞ」


 その言葉にアロウが反応を示し、おずおずといった様子でそれを受け取った。


「コウイチ……ごめん」


 ポツリと語られるアロウの言葉。


「俺のせいでハクアやショコラ姉ちゃん、全員に迷惑をかけた」


 一人で戻ってくる途中に色々考えたのだろう。


 以前とは打って変わって打ちひしがれた様子だ。


「なあに、失敗したら反省してやり直せばよい」


 俺はアロウの頭をわしゃわしゃと撫でる。


「けど、みんな俺のことを許してくれるかな?」


 アロウの黒い瞳が不安げに揺れる。


 それに俺は苦笑を深めて。


「俺はアロウが無事に戻ってきてくれたから嬉しい。ハクアも同じくアロウが戻ってきてくれたから安心している。ショコラに関しては……まあ、これからの行動で示すしかないんじゃないかな?」


「やっぱりショコラ姉ちゃんか……」


 アロウも俺の答えを予想していたのか黒い羽をしんなりさせる。


「なに、安心しろ。本当に理不尽なことがあれば俺も止めるから」


 アロウに過酷な罰や労働を要求するのなら俺は絶対に止めると告げる。


「普通、アロウの年齢なら明日のことなど考えず、今日を思いっきり遊ぶのが仕事だ。だからショコラの勘気に触らない程度に仕事をすればよい」


 正直、ほとんど使わないし使う予定のない部屋の掃除をしてどうするんだと言いたいしな。


「さあ、着いた」


 話しているうちに屋敷へと到着する。


「入るぞ」


 アロウはまだ躊躇っていたので俺が先行して中に入る。


「あ、コウイチさん……お兄ちゃん」


 玄関に入ってすぐそこにいたのは階段に腰かけていた少女の存在。


 屋敷内で寛ぎもせず、ずっとそこで待っていたのだろう。


 瑞々しい張りのある肌なのに、目下にクマが浮かんでいた。


「ハクア……」


「お兄ちゃん、ごめんなさい」


 アロウが何か言いかけたのをハクアは首を振って遮る。


「その傷……私のせいだよね」


 ハクアの視線の先には体のあちこちに付けられた打撲痕と擦り傷。


 ショコラ曰く、最低限の治療しか施していないのでそうなっているという。


「ごめんね、お兄ちゃん。私がもっと強く言っていれば」


「それは違う! ハクア」


 後悔と罪悪感で端正な顔を苦渋に沈めたハクアにアロウは勢い込んで否定する。


「全ては俺のミスだ! 俺がもう少し冷静でもう少しハクアの言葉を聞いていればこんなことならなかったし、ハクアも危険に晒すことはなかった!」


 自殺しそうなほど落ち込んでいたアロウが威勢良くそう謝るのを聞いた俺は、ああ、二人は本当に支え合って生きているんだなと達観する。


「いや、それは違うよお兄ちゃん」


「なにも違わない! 全て俺が悪い!」


 しかし、子供達の謝罪合戦を延々と見続ける趣味は俺にないので。


「二人とも、言いたいことは部屋に帰ってからはどうだ? ハクア、済まないがアロウの残りの傷を癒してくれ。アロウ、治してもらったらシャワーを浴びて来い」


「あ、はい。分かりました」


「うん、そうする」


 すると二人は言い争いを止めて素直に頷く。


 それでお開きかと思いきや。


「--戻ってきたのね」


 カツン。


 そう音を響かせたショコラが螺旋階段の上から声を出した。


 普段の陽気なお姉さんではなく、絶対強者の雰囲気を纏わりつかせたショコラにアロウやハクアはもちろんのこと、俺も緊張してしまう。


「アロウ、あんたはとんでもない大失敗をした」


「……はい」


「もし償いをしたいのならこれからの行動で示しなさい。けれど、覚えておいて、もし同じことを繰り返すようならコウイチが何と言おうと私はあんたを追い出すわ」


「…………はい」


 しおらしくうな垂れるアロウを睥睨したショコラは一つ深呼吸して。


「無事に戻ってきて良かったわ、アロウ」


 心なしか雰囲気が和らいだ気がする。


 しかし、それを知覚する前にショコラは姿を消し、途端に空気が弛緩した。


「まあ、俺から言えるのはこれだけだ」


 残った重い空気を吹き飛ばすように俺は首を鳴らし、陽気な声を出す。


「おかえり、アロウ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る