第5話 脱走

 私は悪い子です。


 こんなにも立派で白い翼があるのに、私の心は真っ黒。


 嘘に嘘を重ね、他人だけでなく自分も騙し。


 私を護ってくれるアロウにさえ本当のことを言えていないのです。


「ハクア、行くぞ」


 夜、屋敷が静まり返った時刻にアロウさんが身を起こしてそう私に言います。


「アロウさん」


 私の言葉にアロウは仕方がないなあと苦笑して。


「俺のことはお兄ちゃんと呼べって言っただろ。何時、誰が盗み聞きしているとも限らない」


 どうやらアロウさんは本気で私達が兄妹であると騙しおおせていると考えているようです。


 ……そんなウソ、あのショコラさんだけでなくお人好しのニンゲンであるコウイチさんも気付いているのですが。


 言わない方が華というものでしょう。


「でもお兄ちゃん。逃げるってどこに逃げるのですか? 下手に動くよりここでじっとしていた方が安全だと思います」


 見たところ、ショコラさんは面倒見が良さそうですし、コウイチさんも私達を悪いようにするとは思えません。


「ここはじっと耐えて爪を研ぎ、機会が来れば脱出するのが賢明だと思います」


 衣食住は保障され、多少ながらお給金もあり、時折街に買い出しに行くこの状況。


 下手に動く必要がないように思えます。


 しかし、アロウさんはそんな私の考えを聞き入れてくれません。


「ふん、ニンゲンが信用なるものか。あいつ等は自分達の勝手で俺達を振り回そうとする。こうして安心させた瞬間に過酷な命令を出して戸惑う俺達を嘲笑うに決まってるんだ」


「そんなことは……」


「ハクア、お前も知っているだろう。俺達の国がどうなったか。ニンゲンは突然攻めてきて何もかも焼き払ったんだぞ。そう、俺の母ちゃんも父ちゃんも!」


 ダン!!


 そう言い切ったアロウは激高した感情を発散させようと足を踏み鳴らします。


 正直、床が抜けてもおかしくありませんでした。


「アロウさん……」


 アロウの意志の固さはこの床のよう。


 全てを奪われた憎しみから私が何を言っても通用しそうにありません。


「はい、わかりました……」


 なので私はアロウの説得を諦めます。


「けれど、どうするのですか? この身のまま出て行ってもどうにもなりませんよ?」


 食料もお金もない中で逃げても早晩行き詰ります。


「なあに、安心しろ。ショコラさんが万が一の時、それだけ持てば大丈夫なよう食料とお金を一纏めにして保管してある場所を教えてくれていたんだ」


 確かに私もそれを教えてもらっていました。


 しかし、それを忘れていたのはあまりに露骨な罠だったから。


 買われて日が浅い奴隷に食料とお金が入った緊急用避難リュックの存在と場所をご丁寧に教えるものでしょうか。


 まるで逃げて下さいと言わんばかりの対応です。


「あの……なんでもありません」


 言いかけて止めたのはどうしようもないから。


 仮にそれを避けたとしても代わりの代物が見つかる保証もありません。


 今日逃げると確定している以上、罠と分かり切っているそれを使うしか方法がないのです。




 闇夜の中、私達は空を飛んでいます。


 魔力の関係で高度をあまり上げられないので木々にぶつからないよう配慮した高度をです。


「ハクア、大丈夫か?」


 アロウがそう気遣ってくれるのですが、それは私のセリフです。


 鷺は他の鳥類と比べて魔力に恵まれた種ですので、空を飛ぶに関してはまだまだ余裕があります。


 けれど、真実を伝えてアロウの面目を潰す必要もありません。


「ちょっと、きついです」


 なので嘘を吐くことにしました。


「そうか、じゃあ少し休憩しようか」


 アロウには私が本当に疲れていると受け取ったでしょう。


 嘘を吐き続けてきた私にとってアロウみたいな純朴な人を騙すなんてわけないです。


 フフフ、どうして私の翼はこんなにも白いのでしょうね。


 手頃な場所に降り立ち、羽を休めていた時でした。


 ヒュン!


「うわ!?」


 そんな風切り音と共に


 アロウのすぐ横に矢が通り過ぎます。


「ち、外したか」


「まあ良い、上空に逃げると面倒だ。取り押さえろ」


 野太い声が聞こえた同時に松明が一斉に付けられます。


 一、二、三……二十は下りません。


「まさか今日中に逃げ出すとはな。しかし、飛ばれて逃げられる心配がなくなった」


「あ、貴方達は……」


 この声、忘れるはずがありません。


 必死に逃げていた私とアロウを捉え、奴隷商に売り渡した存在。


「どうしてここに?」


「ああ、それは簡単だ。そこのお嬢ちゃんについている首輪。それにこの双子石を仕込んであったんだよ」


 双子石。


 それはお互いの位置を知るための魔法具であり、別名追跡石と呼ばれ逃亡の恐れがある奴隷に付けられる代物です。


 それをどうして……


「うちの主はな、今日お嬢ちゃんを買いに来た犬の亜人を大層気に入ってな。是非とも手に入れたいんだとよ」


「そんな……」


 手に入れたいから力で奪い取る。


 そんな無法が許されて言い訳がありません。


「けど、これで一旦引き返すのはどうです?」


 別の声が響きます。


「本命はまだ手に入れてやせんが、これでも報奨金が出るでしょう。あの雑種はともかく、隣の血統書を確保しとけばしばらく遊んで暮らせますぜ」


「確かにな、またリサに会える」


「止めとけ止めとけ。金をむしられるだけだ」


「うるせえ、あの女は絶対俺に気がある!」


「「「ハハハハハハ」」」


 取り巻きの1人の叫びに他の団員が笑う。


 どうやら彼等は私達を報奨金代わりにしか見ていないようです。


「っ、ふざけるな!」


「おお、危ねえもん持ってんなあ」


 その態度に激昂したアロウはダガーを取り出します。


「来るなら来い! 全員殺してやる!」


 アロウはそう殺気を瞳に滲ませます。


 その様子から本気で彼等にダガーを突き立てる気でしょうか。


「へえ、やってみろよ」


 が、取り巻きの男は気にも留めない態度を取ります。


「ほら、近づいてやっているぞ」


 ニヘラと相好を崩しながら近づく男。


「っ」


 その男は何の武器も持っていないはずなのにアロウは一歩後ろに下がります。


 男はどんどん距離を詰め、そして。


「餓鬼が、お子様にはまだ早えよ」


 ダガーを持っている手を掴み、そしてねじり上げました。


 関節を極められたアロウは痛みに耐えきれず、ダガーを落とす。


「おい、ぼさっとしてねえで早く縄でも持ってこ――いてえ!」


 指示を出そうとした男だが、突如右腕に痛みを感じたので声を上げます。


 するとそこには爪を立てているアロウがいました。


 子供らしい抵抗でしょう。


 だが、時と場所を選ぶべきでした。


 今の状態でそのようなことをすると――。


「この餓鬼が! 調子に乗りやがって」


 案の定、水落にひざ蹴りを食らわしたのを皮切りとして男はアロウを無茶苦茶に蹴り始めた。


「止めて! お願いだから止めて!」


 目の前でアロウが痛めつけられている。


 アロウ一人ならこうはならなかったでしょう。


 私と一緒にいたばかりにアロウは苦痛を受けています。


 私の叫びは通用せず、むしろ喜悦の笑みを浮かべてリンチを続行した。


「……ぐ……うう」


 開始から数分。


 終わった時、アロウの体はボロ雑巾のようになっていた。


 だが、顔に一つも痣や打撲の跡が無いのは商品の価値を下げないためか。


 何にせよ男は私達を商品としか見ていなかった。


「アロウさん!」


 横たわったアロウに私は駆け寄り、抱き着きます。


「だ、大丈夫だ」


 それはアロウに残されたなけなしのプライドだろう。


 歯を食いしばってそう伝える。


「ごめんなさい、私がいなければ。ごめんなさい」


 屋敷に出る前、必死に止めておけば。


 そして私がついてこなければ。


 こんなことにはならなかった。


 後悔の念で押しつぶされそうです。


「さーてと、そろそろ持って行くか」


 その空気を無視するかの様に男は首を鳴らします。


「特にそっちの得物には縄の跡を付けるなよ。足元を見られちゃ堪らねえからな」


 その言葉と共に包囲が狭まっていく。


 もう、どうしようもないのでしょう。


 あの幸運をみすみす手放してしまったのは私。


 チャンスを逃す者に幸福は訪れない。


 それでも、祈らずにはいられませんでした。


 次も、今回と同じような良い人と出会えますように、と。




 けれど、奇跡は起きました。


「やれやれ、ギリギリで間に合ったようね」


 ナイフを連想させるような冷たい声音がその場にいる全員の耳朶を打ちます。


「二人が飛ぶのは想定内だったけど、そこまで一気に飛ぶとは予想外だったわ。良い根性視点じゃない、アロウ?」


 ケラケラと笑い声が響いたのは幻聴でしょうか。


「お前ら!絶対に油断するな!」


 リーダー格の男は本能で危険を察知したのだろう。


 血相を変えてそう叫びます。


「あらあら、折角ご主人様のご所望が現れたのに、そんな対応はないんじゃない?」


 そういえば私達はあくまで餌で、本命を吊り上げる為です。


 その本命が目の前にいるのに、その反応はないんじゃないかと嗤っています。


 松明の明かりに照らされ、一人の獣人が姿を現します。


 真紅の洒落たメイド服を着込んだ犬の亜人。


 しなやかな肢体を彷彿させるスレンダーな体型に傷1つない白磁の肌。


 銀色の髪は満月に照らされて輝き、赤く澄み切った瞳が美しい。


 ショコラ=シュガーレス。


 息一つ乱さず。


 銀色に光るナイフを二本。


 両手へ持たせたショコラさんが立っていました。


「おお、こりゃあ上物ですぜ」


 アロウを殴り付けた男が口笛を鳴らす。


「お頭、本当に今日は付いていますぜ、これで依頼は全てかんりょ――」


「馬鹿野郎!」


 リーダーは戯言を言う男を怒鳴り付ける。


「こんな化け物が出てくるなんて聞いてねえ! お前ら! そいつ等を捨ててさっさと逃げろ!」


「へえ、人間の中にも賢い者がいたのね」


 リーダーの言葉にショコラさんは嬉しそうに唇を綻ばせました。


「ハクア、アロウ。私が良いと言うまで目を瞑っておきなさい」


 ショコラさんは優しく私達に語り掛けます。


「大丈夫、一瞬で終わるから」


 私は不安げな視線を送っていたものの、ショコラさんから優雅に微笑まれては従うほかない。


 なので私はアロウと抱き合い、必死な形相で目を瞑りました。


「ひい、ふう……二十、いや二十四人ね」


 ショコラさんは軽く松明を点けていなかった人数も含めて言い当てます。


 凄い視力と気配察知能力です。


「さて、と」


 驚きに目を見張るリーダー格の男を脇に置いたショコラさんはそう前置きした後。


「生きて帰れると思わない方が良いわよ」


「え?」


 それが男の最期の言葉でした。


 私の記憶が正しければ男とショコラさんの間には十メートルは離れていたはずでした。


「な、何故?」


 そこから先は阿鼻叫喚の地獄でした。


「逃がすと思う?」


 恐らく恐慌をきたした者が逃げようとしましたが、ショコラさんに追いつかれてしまったのでしょう。


「その銀の髪、神速から繰り出される絶技。お、お前はもしや……」


 リーダー格の呻き声に近い声が私の耳朶をうちます。


 即死しなかったのは神の気まぐれか、それともショコラさんの意図か。


 どちらにせよリーダーは死ぬのですが、考えられる時間はあった。


「一匹で軍隊を半壊させた最強の一角、伝説の亜人――銀……」


 が、最後まで言葉にする猶予は与えられなかったようです。


 それ以上、何も聞こえなくなりました。


「終わったわよ」


 ショコラさんの言葉に私恐る恐る眼を開けます。


 事前に予測して正解でした。


 しかし、それ以上の光景が眼前に広がっていました。


 私は彼らを許すことはできません。


 しかし、それでもこうも無残な最期を見せつけられると同情の一つも湧き上がってきます。


 なので簡単な儀式を行うことにしました。


「ん? 何をしようとしているの?」


 ナイフに付いた血を水筒の水と布で落としながら私に問いてきました。


 それもそうでしょう、私は今、死んだ彼らの亡骸を一か所に集めようとしていたのですから。


「浄化の儀式です。このまま放置していれば彼らはアンデットとなり、この森を徘徊します。そうならないために浄化の儀を行います」


 嘘は言っていません。


 大半はそうなる前に魔物に食べられるのですが、そうならなかった死体はアンデットとなり、そして風化に耐えきった魂はゴーストとなり徘徊を始めます。


「確かに、こんな奴らが森で彷徨っているのはゾッとしないわね」


 ショコラさんは手を振って許可を示しました。


 ……本当は、彼らを弔ってあげたかったからと言えばよい顔はしなかったでしょうね。


 蘇らないように首を切断し、心臓を潰しておきなさいと命令したでしょう。


 ふう、本当に嘘が上手なこと。


 息をするようにもっともらしい言い分が口から出てきて来ます。


「さてハクア、戻りましょうか」


 一連の儀式を終えて一段落したころにショコラさんは私に戻るよう促します。


「はい、わかりました。けれど……」


 私の視線の先にいるのは傷だらけのアロウ。


 浄化の儀式を行う前、アロウの傷を癒そうとしたのですが、ショコラさんに止められました。


「放っておきなさい。今回のことはクソガキが出しゃばって招いた事態。罰として痛みにうめいていると良いわ」


 と、冷たい口調で断言されると私にはどうしようもありません。


 けれど、肺が潰れているといった重篤な傷だけは治療させてもらいました。


「ううう……待ってよ」


 痛みか、それとも後悔で心細いのか今まで聞いたことのないような弱弱しい声でアロウが手を上げます。


「喜びなさい。あんたは自由よ、そのリュックがあればしばらく生きていけるからあとは好きなようになさい」


 しかし、ショコラさんはそう冷たく言い捨て、私を伴ってその場を去りました。




「あの……ショコラさん」


「何かしら?」


「私、小耳に挟んだことがあります」


 それは昔聞いたお話。


 数ある種類がある亜人の中でも上位に位置し、その種の中で最強と謳われた天才少女のお話。


 その少女は五歳で両親を打倒し、十の時点でその種において適う者はいなくなっていた。


 その余りある才能によって村から追放された後も戦場を渡り歩き、敵陣に彼女の存在がいると知った時点で降伏を申し出た国があると噂されるほど。


 オオカミの種の亜人であることと、輝く銀髪の持ち主なので彼女のことは銀狼と呼ばれていた。


「さすがとある国の王女の耳は聡いわね」


「え!?」


 ショコラさんの言葉に私は天地がひっくり返ったのではと思うほど驚きます。


 なんで、どうして?


 公に出たためしがなく、公式にも認められていなかった存在をどうしてショコラさんが知っているのでしょうか。


「誰にでも秘密の一つや二つがある」


 私の動揺を横目で見ながらショコラさんが続けます。


「私は詮索しないわ、だから貴方も詮索しないでね」


 そう念を押されてしまってはどうしようもありません。


 私は消え入りそうな声で「はい」と答えました。


 

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