第3話 世界の現状
ショコラがシャワーを浴び終わるまでの間、俺はリビングに備えられている椅子に座って思案する。
「少なくともショコラは人間に対して憎悪を抱いている」
なぜそんな恨みを抱くまでに至ったのか分からないが、初対面時の殺気は想像を絶するものだった。あの時は状況をうまく呑み込むために、副交感神経から過剰なノンアドレナリンが分泌されている状態だったので、ああも冷静に対応できたが、次も同じ対応を取れるかと問われれば首を振る。
おそらく手負いの獣に似た狂気に充てられて体すらまともに動かせなかっただろう。
「とにかく、異種族と接するときにあまり無防備な対応を取っては危ないな」
ショコラはまだ直情的な性格だったから良かったものの、もし笑顔で殺すタイプだったのなら、俺は間違いなく死んでいただろう。
「ふう、いいお湯だったわ」
そこまで考えていると、リビングのドアが開いてそんな声が響く。
「ああ、ショコラか。遅かったな」
「だって温かいお湯で体を洗うことが気持ち良かったの。今まで水でただ拭くだけだったから」
ショコラはお湯を浴びてすっきりしたようだ。
予め用意してあった白のブラウスと青いロングスカートに身を包んだショコラは心底嬉しそうだった。
尻尾もスカートの中で元気よく動いている。
「さて、私の知っている範疇でこの世界の常識を教えるわね」
俺と相対する場所にあった椅子に腰かけたショコラはそう切り出す。
「まあちょっと待て。風呂上りなのだからこういうのも良いだろう」
俺はテーブルに置いてあったぶどうジュースを注ぐと。
「あら、悪いわね」
ショコラはそう断ってからそれを一気に飲み干した。
「美味しかったわ、ありがとう。さて、喉も潤ったことだし話を始めるわ」
そう前置きした後ショコラはこの世界の常識について話し始めた。
「このイースペリア大陸には3種類の種族が住んでいるわ」
まずは俺のような人間。
人間はこれといった特徴がなく、ただその爆発的な繁殖力と残虐な排他性によってこの大陸のトップに立っているという。
「一匹じゃブルブルと震えて命乞いするくせに、集団になると高圧的になる最悪の種族よ」
と吐き捨てるように人間をそう評する。
「何かもう、ごめんな」
俺は居た堪れなくなって謝罪をすると。
「別にコウイチが気にすることはないわよ。あなたは変人だから」
ショコラがフォロー(?)してくれた。
「次が私達獣の特性を持った亜人。私達は身体能力も魔力も種族によっては人間よりも上よ」
亜人はこのイースペリア大陸で最も種類が多く、その多様性は誰も網羅できないほど多いらしい。
「なまじ優れているせいか亜人は連携が苦手なのよ。私達はどれをとっても人間より優れているのに」
個々の能力が優れ、種類も多すぎるため意思疎通ができないので人間の下に甘んじているわけか。
「亜人を統率するような人物はいないのか?」
「大昔はいたそうだけど、今はそんな人物の存在が現れそうなものなら、すぐに人間によって摘まれちゃうわ。全く、弱いくせに危機だけは敏感なんだから」
少なくとも亜人達が連携の動きを見せたら人間はそれを鎮圧するってか。合理的な判断だなと思う。
「そして最後が神人。エルフや魔族、竜人そして巨人族など人とも動物とも似ていない種族がごく少数ながら存在しているわね」
この神人は俗世を避け、山頂や樹海の奥深く、そして地下など人が住めない辺境に住んでいるという。
「あいつらは人間など相手にすらならないんだから、下界に降りてきて彼らを懲らしめてほしいものだわ」
人間より遥かに長い寿命と圧倒的な力を持つ神人はそれ単体で人間の編成する1000人規模の軍なら普通に相手できるらしい。
「神人は己の力の大きさを知っているからこそあまり表に出たがらないのだろう」
「そうは言っても限度があるわよ、このまま知らぬ存ぜぬを貫き通すならいつか増えすぎた人間によって滅ばされるわ」
ショコラはよほど人間が嫌いらしい。
イースペリア大陸に住む種族について話していたのに、いつのまにか人間に対する悪口へとなっていた。
「……まあ、とにかく。この世界に住む種族については大体分かった」
一通り聞こえた俺は一息吐く。ショコラも愚痴を言いきってスッキリしたのか晴れやかな表情だ。
「そして、今さらだがショコラ。俺の元で働かないか」
俺はそう提案する。
「俺はこの屋敷から外に出ることはできないので素材や食料の調達ができない。だから代わりにショコラが買ってきてほしいのだが」
ショコラはしばらく真剣に聞いていたが、それはものの数秒で表情を緩める。
「本当に今さらね」
と、肩を竦ませながら息を吐いた。
「それじゃあ」
「どの道、ここを追い出されたらまた路頭に迷うしかないわね。そう考えると私にとって受けない選択肢はないわよ」
俺が目を輝かせるとショコラはニコリと微笑む。
「良かった、ありがとう」
俺が手を掴んでブンブン振ると。
「分かったから少しは落ち着きなさい。手がちぎれるわ」
ショコラはそう俺を窘めた。
屋敷の中を一通り案内し、ショコラが住む部屋を決めた俺達は再びリビングに戻る。
「と、いうことでショコラ。お前には今すぐ近くの街へ行ってきてほしいのだが」
俺はそうショコラに切り出すと。
「は? 何で? まだまだ蓄えが一杯あるでしょ」
ショコラは首を傾げる。
ショコラよ、お前は3時間ほど前にやった所業を忘れたのか。
「お前が叩き割った窓の修理のための素材。残念ながら倉庫の中には炭酸ナトリウムがない。そしてそれを作るためにはソルベー法に則ると炭酸カルシウムとアンモニア、そして食塩と水が必要なわけだ。食塩と水はあり、アンモニアもこちらで用意するから石灰石を買ってきてほしい」
「炭酸カルシウム? アンモニア? それって何の呪文?」
ショコラは俺の言った単語を全く理解できていないようだ。尻尾が?マークを作っている。
「とにかく、石灰石を買ってくればそれでいいのね」
ショコラの問いに俺は頷く。
「まあ、ここから近くの都市まで15分程度だから夕食には戻れるわ」
「15分? そんなに近いのか」
15分ならここからでも都市が確認できるだろう。
しかし、ショコラは首を横に振って。
「距離に換算すると約10kmよ」
「10㎞!?」
おい、15分で10㎞ということは時速に換算すると約40㎞で、それは短距離100mを走るのと同じぐらいのスピードだぞ。
それを全く速度を落とさず10㎞も走れるのか?
「フフフ、甘いわね。私は犬の亜人よ。これぐらいの距離なら散歩でもできるわ」
ショコラが自信満々に言い放つ様子からそれが真実だと思い知る。
「分かったよ、もう何も言わない。だから早いところ石灰石を1㎏買ってきてくれ」
そのためにポケットに入ってあったコインを渡すと。
「ちょ!? 白金貨? あんたいったいどれだけ買うつもりよ!?」
ショコラが驚いたので俺は目を見張る。
「結構買えるのか?」
「当り前よ! 白金貨1枚あれば高級奴隷が2人も買えるわ!」
どうやら神様はそんな高級な貨幣を俺のポケットに忍び込ませていたらしい。
「白金貨1枚で金貨100枚分! 金貨1枚で銀貨100枚分! そして銀貨1枚で銅貨100枚分なのよ!」
つまり白金貨1枚で銅貨が100万枚の価値があるということか。
それは大きいな。
「言っておくがもう金はないぞ。だからそれを使い果たすと俺達は物が売れるまで倉庫に入ってある食料だけで過ごすことになるからな」
そんな大金だとは知らなかったので、俺は使いすぎるなと言い含めた。
「分かったわ。街に行ってくるからメイド服と首輪を用意して頂戴」
「……は?」
突然出てきた単語に今度は俺がフリーズする。
「ショ、ショコラ……お前まさかそんな趣味が」
「そんなわけないでしょう!」
俺が震えながら尋ねるとショコラは顔を真っ赤にして否定する。
「人間の街のルールなのよ。私達亜人の着る服は使用人が着る服のみ、そして首輪をつけてドッグタグに雇い主の名前と住所を記しておかなければならないの」
何というか本当に亜人をペットや家畜としか見ていないようだ。
その事実に俺が顔をしかめていると。
「コウイチがやったことじゃないから気にする必要はないわよ」
ショコラがそう慰めの言葉をかけてくれる。
「私もそんなのを着けるのは屈辱だけど、今はそんなことを言ってられないわ。とにかくサッサと買い物を済ませて一秒でも早く都市から離れるから」
ショコラがなんでもない風に体をほぐし始めた様子を見ると幾分か俺の心の気が晴れた。
「……遅い」
リビングに腰かけていた俺はそう漏らした。
ショコラは1時間もあれば戻ってくると言っていたが、すでに2時間が経過している。
「もしかするとあのまま逃げたか?」
金貨を持って逃亡――その予想もあながち外れではないのかと疑い始める。
「……まあ、いいか」
もしそうだとしても、それは俺が迂闊だったということだ。
焦らなくとも在庫なら1年は持つだろうし、あの白金貨を持っていてもここから出られない俺にとっては宝の持ち腐れだっただろう。
「幸か不幸かトラブルは向こうからやってくるんだ。今回はこの世界にすむ種族というのを知れただけでも良かったとするか」
俺はそう納得させて立ち上がると同時に玄関のドアが開く音が響いた。
「ごめんごめん、遅くなっちゃって」
玄関にまで迎えに行くと俺が注文した石灰石の袋を持っていた。
「いや、帰ってきたのなら別にいい」
俺はショコラに向かってそう声をかけたのだが、よく見るとショコラの後ろに翼の生えた亜人の子供が2人いた。
いくら子供だといっても2人であり、ショコラも体が太いほうではないので隠しきれていないし、その翼が目立つ。
「おい、後ろの子達はなんだ?」
黒い翼を持つ少年と白い翼を持つ少女を指さしながら俺はショコラに問う。
するとショコラは頬を掻きながら。
「えーと……ちょっとお買い物を」
尻尾を忙しなく動かしながらそんなことをのたまうショコラ。
「でもね、酷いのよ! 私が少し奴隷市場を覗いたら、こんな年端もいかない少年少女を売ろうとしていたの! あのままだと2人ともあの脂ぎった体の人間どもに買われてどんな酷い目に合わされるか分からなかったから――」
「いや、言い訳はいいから。で、いくら残った?」
俺の追及にショコラはおずおずとポケットに手を入れ、数枚の銅貨を取り出して見せた。
「……」
銅貨100万枚の価値がある白金貨を渡し、それが銅貨数枚になって返ってきた俺が絶句しても仕方ないだろう。
「「「「……」」」」
そして辺りに横たわる重たい沈黙。
「ああ、そういえばこの子たちの自己紹介がまだだったわね」
何とかこの雰囲気を払拭しようとショコラがことさら明るい声を出す。
「この黒い翼を持つ少年がカラスの亜人のアロウ。鳩とか雀とかの血も混じった雑種だけど、この反抗的な雰囲気からショタッ気がある人間が熱視線を送っていたわ」
「ふんっ」
身長はショコラの腰辺りまでしかない。
真っ黒な翼に髪、瞳と黒ずくめであり、顔だちも10歳ごろの少年らしい愛らしい顔つきなのだが、如何にも「お前の言うことは信じない」という空気を辺りにまき散らしていた。
「そしてこの子が鷺の亜人のハクア。この白い翼を見れば分かる様に彼女は血統書付きの純血よ。この儚くも神々しい雰囲気のために馬鹿な人間どもが下卑た笑いを浮かべていたわ」
「……こんにちは」
こちらはアロウより身長が少し低い程度。
純白の翼に光り輝く金色の髪、そして宝石の様な蒼を湛える様子はこの時点でも絵になりそうだ。しかもこれでまだ子供だというのだから将来が末恐ろしいことになると思ってしまう。
「ほら、大丈夫よ。この子達を落札する際しっかりと宣伝しておいたから。この子達が売り子をすると皆に言い含めていたので、多分明日にはそういった特殊な人間が山のように来るわよ」
変な客が訪れることのどこを喜べと言うのか。
俺は頭が痛くなってくる。
「そ、それじゃあ私はこの子達に住む部屋を案内させるわね。2階は結構部屋が余っていたからその内のどれかを使わせるけど良いかしら?」
「……もう好きにしてくれ」
ショコラが2人を連れて2階に駆け上がっていくのを見ながら俺は辛うじてそう呟く。
現在のカルマ 9969
カルマ値が20下がったのが唯一の救いか。
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