Ⅶ
夜になって、洞窟から引き上げると、元首からあてがわれた客室へ通された。一通りの調度品が揃い、高級な台座に腰を下ろす。金メッキのカップに水を汲み、飲み干す。夜は虫と、鳥の鳴き声だけがさざめくように聞こえる。
日中の熱射はなく、寒いほどの涼しさが全身を覆う。
「さて」と僕はパピルスの紙溜めを開き、筆を取る。枝に墨をつけ、簡単な家系図を書く。ベッドの横に置かれたテーブルは、がたつきもなく、綺麗な平らだった。
「誰が女を殺したのか」
登場人物は驚くほど少ない。
この国の王、その弟。そして王の恋人。たった3人だ。弟が殺していないとすると、真っ先に疑わしいのは王だろう。しかし、王はわざわざ人殺しを隠さない。よって、王ではない。すると、王の恋人だというレイミアだろうか。一体、どんな男なのか。美しいとは、どれほどなのか。
「眠れないのかね」
驚いた。暗闇の中で、揺れる羽衣のようなものを見た。月明かりの下に王がいた。
「サウナでも行くかね」
「こんな夜更けにですか」
僕はベッドに腰掛けたまま答える。
これでも、僕はすでに30を超えた中年なので、気恥ずかしかった。むしろ、年若い王の方が、中年男と一緒では嫌なのではないだろうか。
「いつでも、従者を起こせばサウナは焚ける」
「では、行きましょう」
僕は王に連れられて、月の下へ出て行く。
怪しい雰囲気も何もなく、古き友人のように、二人連なって歩いていく。今朝、二人で話した謁見室の見事な庭を横切り、真っ直ぐの廊下を進むと、やがてまるいドーム状の屋根が見えた。
サウナは公衆浴場とは異なり、3、4人用のこじんまりとしたものだった。流石に王なので、個人の浴場を持っている。
見事なタイルを眺めながら、僕はレイミアという恋人の男がどこへ行ったのかと考えていた。
浴場内は徐々に熱を持ち、汗が流れてくる。お湯は、我々のちょうど中央にオケが置かれ、その下には見えない釜がある。外部で火を焚いている。
「レイミアの話を聞いたね」
王はにっこりと微笑みを浮かべて僕を見た。
「ええ、理解はあるつもりですが、お若い恋人で」
「まぁ、君より、ふた回り下だからね」
「なぜ、恋人のレイミア氏の姉を、弟に渡したのですか」
「丁度良い性格をしていたからだ。弟にはお灸のような人物が必要だ。いつまでたっても宮殿の奥に閉じこもり、音楽に耽り、ありもしない空想話を読むのはやめさせたかった」
「ははあ、それで」
僕は、布を一枚だけかぶり、汗を垂れ流す男の、まったくぶれない真っ直ぐな目を見ていた。
彼の弟とはまるで異なる目だ。それは、自分の死をも受け入れている、何も恐れない、豪傑の目だった。きっと、彼はもう死ぬ覚悟をしているのだろう。
「レイミアはどちらにいらっしゃるのですか?」
単刀直入に尋ねる。僕自身、もう自分の人生は長くないことを知っている。現代の平均寿命は、50が上等である。僕の祖父もすい臓がんで死んだ。戦争で死ぬのが戦士の誇りだが、頭でっかちで、戦士としては弱過ぎた。
「私にも分からないんだ」
ふと、王の顔に影が落ちる。真っ直ぐな目が光を失う。
「妻殺しが発覚して、弟を投獄した翌日に、レイミアは姿を消した」
僕は、レイミアが妻殺しをしたと一瞬で悟った。
しかし、その予感は、王の一言で遮られる。
「彼は弟の妻である姉を愛していた。絶対に、殺すことはないだろう。レイミアは、姉の死を悼んで去ったのだ」
「しかし、逃げれば、あらぬ疑いもかけられます」
「居残れば、私の弟と同じ目に遭うだろう」
王は他人事のようにぼやいた。
「あなたは、どのような最後をお望みですか?」
サウナの熱は上がり続け、汗が出る。
「それは、どういう意味だ」
「レイミアに帰ってきて欲しいのか、弟の無罪を晴らしたいのか」
「どうだろう。私もルールの奴隷だから」
自嘲気味な笑顔だった。たしかに、他のどの国よりも、この国の王は遠慮深く、まるで住民の一人のようだった。
女が一人死に、一緒にいた男がたまたま自分の弟だったのだろう。例外とせず、実の弟を投獄した。
「レイミアには帰ってきて欲しい」
王は僕の方ではなく、中央に置かれたオケを眺めていた。
立ち上る湯気が、誰かの魂のようにぼんやりと揺らめいていた。魂は、哲学では扱わないのではないか。宗教には興味がない。
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