夜になって、洞窟から引き上げると、元首からあてがわれた客室へ通された。一通りの調度品が揃い、高級な台座に腰を下ろす。金メッキのカップに水を汲み、飲み干す。夜は虫と、鳥の鳴き声だけがさざめくように聞こえる。

 日中の熱射はなく、寒いほどの涼しさが全身を覆う。

「さて」と僕はパピルスの紙溜めを開き、筆を取る。枝に墨をつけ、簡単な家系図を書く。ベッドの横に置かれたテーブルは、がたつきもなく、綺麗な平らだった。

「誰が女を殺したのか」

 登場人物は驚くほど少ない。

 この国の王、その弟。そして王の恋人。たった3人だ。弟が殺していないとすると、真っ先に疑わしいのは王だろう。しかし、王はわざわざ人殺しを隠さない。よって、王ではない。すると、王の恋人だというレイミアだろうか。一体、どんな男なのか。美しいとは、どれほどなのか。

「眠れないのかね」

 驚いた。暗闇の中で、揺れる羽衣のようなものを見た。月明かりの下に王がいた。

「サウナでも行くかね」

「こんな夜更けにですか」

 僕はベッドに腰掛けたまま答える。

 これでも、僕はすでに30を超えた中年なので、気恥ずかしかった。むしろ、年若い王の方が、中年男と一緒では嫌なのではないだろうか。

「いつでも、従者を起こせばサウナは焚ける」

「では、行きましょう」

 僕は王に連れられて、月の下へ出て行く。

 怪しい雰囲気も何もなく、古き友人のように、二人連なって歩いていく。今朝、二人で話した謁見室の見事な庭を横切り、真っ直ぐの廊下を進むと、やがてまるいドーム状の屋根が見えた。

 サウナは公衆浴場とは異なり、3、4人用のこじんまりとしたものだった。流石に王なので、個人の浴場を持っている。

 見事なタイルを眺めながら、僕はレイミアという恋人の男がどこへ行ったのかと考えていた。

 浴場内は徐々に熱を持ち、汗が流れてくる。お湯は、我々のちょうど中央にオケが置かれ、その下には見えない釜がある。外部で火を焚いている。

「レイミアの話を聞いたね」

 王はにっこりと微笑みを浮かべて僕を見た。

「ええ、理解はあるつもりですが、お若い恋人で」

「まぁ、君より、ふた回り下だからね」

「なぜ、恋人のレイミア氏の姉を、弟に渡したのですか」

「丁度良い性格をしていたからだ。弟にはお灸のような人物が必要だ。いつまでたっても宮殿の奥に閉じこもり、音楽に耽り、ありもしない空想話を読むのはやめさせたかった」

「ははあ、それで」

 僕は、布を一枚だけかぶり、汗を垂れ流す男の、まったくぶれない真っ直ぐな目を見ていた。  

 彼の弟とはまるで異なる目だ。それは、自分の死をも受け入れている、何も恐れない、豪傑の目だった。きっと、彼はもう死ぬ覚悟をしているのだろう。

「レイミアはどちらにいらっしゃるのですか?」 

 単刀直入に尋ねる。僕自身、もう自分の人生は長くないことを知っている。現代の平均寿命は、50が上等である。僕の祖父もすい臓がんで死んだ。戦争で死ぬのが戦士の誇りだが、頭でっかちで、戦士としては弱過ぎた。

「私にも分からないんだ」

 ふと、王の顔に影が落ちる。真っ直ぐな目が光を失う。

「妻殺しが発覚して、弟を投獄した翌日に、レイミアは姿を消した」

 僕は、レイミアが妻殺しをしたと一瞬で悟った。

 しかし、その予感は、王の一言で遮られる。

「彼は弟の妻である姉を愛していた。絶対に、殺すことはないだろう。レイミアは、姉の死を悼んで去ったのだ」

「しかし、逃げれば、あらぬ疑いもかけられます」

「居残れば、私の弟と同じ目に遭うだろう」

 王は他人事のようにぼやいた。

「あなたは、どのような最後をお望みですか?」

 サウナの熱は上がり続け、汗が出る。

「それは、どういう意味だ」

「レイミアに帰ってきて欲しいのか、弟の無罪を晴らしたいのか」

「どうだろう。私もルールの奴隷だから」

 自嘲気味な笑顔だった。たしかに、他のどの国よりも、この国の王は遠慮深く、まるで住民の一人のようだった。

 女が一人死に、一緒にいた男がたまたま自分の弟だったのだろう。例外とせず、実の弟を投獄した。

「レイミアには帰ってきて欲しい」

 王は僕の方ではなく、中央に置かれたオケを眺めていた。

 立ち上る湯気が、誰かの魂のようにぼんやりと揺らめいていた。魂は、哲学では扱わないのではないか。宗教には興味がない。

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