Ⅵ
「兄さんには、恋人がいるのだよ」
「もしかして」
男性だろうか、と問いかけて辞めた。男色は珍しいものではなく、僕のいた国でも、政務官に何人もいた。政務官同士でもあっただろう。
「その恋人の姉だから」
人間関係の相関図か家系図をもらいたくなる。よくもそんな複雑な血縁を結ぶものだ。
「恋人の姉を殺すとは思えないが」
「じゃあ、誰があの人を殺したんだろう」
僕は、青年が衝動的に女を殺し、隠したがっているようには思えなかった。非力な腕に、人を刺し殺すような力量が有るとも思えない。まして、憎くもない女を殺すだけの精神力が、この青年からは感じ取れなかった。
人を殺すには、猛烈な怒りか、強さがなければ成し遂げられない。人殺し、と一言で非難できるものの、実際は、誰にでもできることではない。殺したあとにも残ってしまう。生きている限り、「殺した相手の記憶を持ち続けること」が課される。
それほどの覚悟を、果たしてこの優しい青年に期待できるだろうか。
戦争は絶えず起こり、男達は武器を持ち、見も知らぬ男を兵士という名前で殺し続ける。しかし、彼らは誰一人として自分を恥じない。明確な意志と、相手への尊重があってこそ、始めて殺し合いは成り立つのだ。自分を恥じて縮こまり、世界中を呪う彼に、戦士は似合わない。
まして、今回は、相手が弱々しい女ときた。
これは、もはや殺し合いですらなく、ただの一方的な暴力だ。暴力は、殺し合いよりもさらに醜い。僕には、ファラというこの青年に、妻殺しなどという大役が果たせるとは到底思えなかった。
よって、無罪であると判断した。
殺したのだとしても、雇った人間にやらせたのだろう。
「誰が、あの人を殺したのだろう」
小さな声でぼそぼそと繰り返していた。
「何かきっかけはあったのですか」
「きっかけ?」
「殺しのきっかけ、あるいは、亀裂のきっかけ」
僕は、青年の目を追いかけるように尋ねる。
「亀裂のきっかけか。そもそもほとんどあの人と話さなかったから、わからないよ」
震える声でよどみなく答えた。
「どんな女の人だったのですか」
僕は慎重に尋ねる。
「気が強い、なんでも言わないと気が済まないような人だったよ。いつもいつも僕に意見をする。正直、ちょっとうるさかったかな」
「へえ、そんなに強気な人だったんですね。なぜ、あなたが女の人と話さなかったのか、少しわかったような気がします」
僕も気の強い人は苦手だ。疲れてしまう。
「『今日はお兄様に挨拶をしましたか? 民にも、従者にも示しがつきませんよ!』なんて、毎日毎日、ウンザリするほど言い続けていたよ」
「世話焼きだったかもしれませんね」
「世話なんて焼いてもらう必要はない。ぼくはぼくで勝手にやりたいんだ」
それから数十分、ろうそくの火が揺れる洞窟の中でとつとつと元妻の話を語り続けた。途中に聞いたことのない名前も何度か出たが、別の妻達のどれかだろうと想像した。
総じて、青年ファラは「人嫌い」であり、どんな性格の女でもそもそも受け入れられないようだった。
「僕はずっと一人でいたいんだ。ここがいいんだ」
「なぜ、元首はあなたをそこまでして結婚させたがったのでしょう」僕は再度問いかける。
「きっと、強制措置だったのだよ。僕が、あまりにも政務から逃げるから、妻をとれば、その妻が監視するだろうという、チャチな作戦さ」
「それで、気の強い女性を選んだのですね。でも、彼女の弟は、元首の恋人なんですよね」
「そうだよ。ただ、姉とは似ても似つかぬ物静かな人だ」その時、青年がふっと顔を上げた。その顔には正気が宿り、先程までの死んだような面とは別人だった。「美しい人だよ」
「美しい? 男なんでしょう?」
僕は、首をかしげる。
元首の相手だから美少年を想像していたが、まさかそれほどの美しさなんだろうか。
「本当に美しいよ。あなたも、できれば会わない方がいいね。心を持っていかれるから」
僕は、その時の言葉が、今日一番ゾッとした。洞窟のひんやりとした空気が一層肌を滑る。
「その人の名前は?」
僕は、恐る恐る聞く。
「レイミア」
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