「さて、どうしたものか」

 少年は、誰もいない空間に目線をさ迷わせている。動かない。

「精神的な衰弱によるものなのか、それとも、単なる見せかけか」

 僕はもう自分の仕事は始まっているものとして、揺さぶりをかけてみた。すると、驚くほど簡単に、彼はビクりと体を震わせた。わざと、目線を合わせなかったようだ。

 僕はこの反応に、案外、この仕事は簡単だとたかをくくった。

「なぜ、あなたは何も話さないのですか?」

 単刀直入に尋ねる。青年は、横を向く。その反応でも、精神的におかしいわけではないことが分かる。意図して首を動かしているのだから。

「このままこの中にいて、何か良いことでもあるのですか?」

 質問を重ねていく。

「妻殺しということですが、どうしてそのようなことを?」

 青年はこちらを見ない。腕が小刻みに震えていた。

「お兄さんに事情を話せば、恩赦で出られるのではないですか。身分に恵まれているのですから」

 僕は、感情のない淡々とした口調を意識して話す。

「普通は、極刑です」

「兄さんは……」

 ふと、か細い、消え入りそうな声。少女のようでもある。語尾にかけて小さくなっていく。

 僕は反応をしないように気をつける。震えていることと、声が小さいことから、攻撃的な男とは思えなかった。黙って言葉が出てくるのを待つ。そうしなければまた口を閉ざしそうだ。

「兄さんが全部悪い」

 そう言って、青年は下を向いてまた膝を抱える

「だって、僕はあんな人知らないんだもん。兄さんが、勝手に手配したんだ」

「あんな人、というのはあなたの妻ですよね」

「知らないよ。僕はずっと兄さんと暮らして行きたかったんだ。それなのに、あんなにたくさん妻をもらっても困る」

 少ない言葉で、自分の性癖なり、性分を語れることに感心した。

 人とのおしゃべりは、王族の跡取りとして多少なりとも鍛えられているのだろうか。

「決まり事であれば、たとえ王族であっても従わなければならないのでは」

「そんな決まりはいらない!」

「あなたが、いくら決まりがいらなくても、国を運営しないといけませんからね」

 僕は一度も少年から目をそらさずに断言した。

 どこにでもいる神経虚弱児童であることは明らかだ。甘やかされたのか、極度に厳しく育てられ、心が幼児のまま成長しなかったのか。

 その両方を兼ね備えているようにも思える。

「ぼくは悪くない!」

「ええ、あなたは悪くないのかもしれませんね。ただ、その主張をお兄さんにしないと、ここからは出られません」

「出なくていいよ!」

 青年はぶっきらぼうに答える。

「出たら、ずっと政務をやらされるか、民に石を投げられる」

「誰だってそうですよ。それでも、出続けなければならないのです」

「そんなの嫌だね!」

 青年は首を振って叫んだ。どうやら、自分の職務を果たすことが嫌で、引きこもっているだけのようだ。

「ここにいれば兄さんが来てくれる。黙っていれば心配もしてくれる」

「そんなの、虚しくないですか?」

 僕は、1年もこんな暗闇に閉じこもる男の気持ちを想像できなかった。僕ならば、絶対にうんざりして、発狂してしまうだろう。

「虚しくない。だって、本もあるし、考えることもたくさんある」

「人と話したり、風を受けたり、水遊びをしたり、外に出たくありませんか」

「風を受けて水を浴びても大した話ではない。鬱陶しいだけだ」

 僕は、あきれ果てて二の句が継げなかった。

 ただ、実際のところは、彼の兄も、青年を外へ出してもどうすればよいのかわからないと思い至る。殺すわけにもいかない。外に追い出せば1年で死ぬだろう。

 細い腕にはうっすらと毛が生えていたものの、筋肉らしいものは何もない。

「ここにずっといらっしゃるおつもりですか?」

「いられるうちは」

「戦争でも始まれば、真っ先に討ち滅ぼされますよ」

「情勢は安定してる」

「いつどうなるかなんて、誰にもわかりませんよ」

「そうなれば、外にいようが、ここにいようが死ぬ」

 この青年は、神経虚弱でも論理が通じ、発言に理がある。ただ、理屈だけでは生きていかれない。

「話を戻してもよろしいでしょうか」

 僕は静かに言う。

「ぼくは殺していないよ」

「えっ」

 僕は少年をまた見直した。もう、何を考えているか、この会話がどう進むか、すべて見通しているようだ。

「殺していないのに、なぜ投獄されたのですか」

「あの人が勝手に死んだからさ」

「勝手には死なないでしょう」僕は大笑いしてしまった。「誰か別の人間に殺されたということですか」

「兄さんじゃないの」

「国王が人殺しなんて面倒なことをしますか? それこそ、勝手に処刑すれば良い」

「兄さんは優しいから、僕のために」

「優しければ、無理矢理、妻をあげませんよ」

「兄さんには跡取りがいない。結婚をしないそうだ。ずるいよ」

 たしかに、国王は未婚で子供もいない。普通の王族は、一刻も早く後継を作りたがるものだが、なぜそれを嫌がるのか。

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