Ⅴ
「さて、どうしたものか」
少年は、誰もいない空間に目線をさ迷わせている。動かない。
「精神的な衰弱によるものなのか、それとも、単なる見せかけか」
僕はもう自分の仕事は始まっているものとして、揺さぶりをかけてみた。すると、驚くほど簡単に、彼はビクりと体を震わせた。わざと、目線を合わせなかったようだ。
僕はこの反応に、案外、この仕事は簡単だとたかをくくった。
「なぜ、あなたは何も話さないのですか?」
単刀直入に尋ねる。青年は、横を向く。その反応でも、精神的におかしいわけではないことが分かる。意図して首を動かしているのだから。
「このままこの中にいて、何か良いことでもあるのですか?」
質問を重ねていく。
「妻殺しということですが、どうしてそのようなことを?」
青年はこちらを見ない。腕が小刻みに震えていた。
「お兄さんに事情を話せば、恩赦で出られるのではないですか。身分に恵まれているのですから」
僕は、感情のない淡々とした口調を意識して話す。
「普通は、極刑です」
「兄さんは……」
ふと、か細い、消え入りそうな声。少女のようでもある。語尾にかけて小さくなっていく。
僕は反応をしないように気をつける。震えていることと、声が小さいことから、攻撃的な男とは思えなかった。黙って言葉が出てくるのを待つ。そうしなければまた口を閉ざしそうだ。
「兄さんが全部悪い」
そう言って、青年は下を向いてまた膝を抱える
「だって、僕はあんな人知らないんだもん。兄さんが、勝手に手配したんだ」
「あんな人、というのはあなたの妻ですよね」
「知らないよ。僕はずっと兄さんと暮らして行きたかったんだ。それなのに、あんなにたくさん妻をもらっても困る」
少ない言葉で、自分の性癖なり、性分を語れることに感心した。
人とのおしゃべりは、王族の跡取りとして多少なりとも鍛えられているのだろうか。
「決まり事であれば、たとえ王族であっても従わなければならないのでは」
「そんな決まりはいらない!」
「あなたが、いくら決まりがいらなくても、国を運営しないといけませんからね」
僕は一度も少年から目をそらさずに断言した。
どこにでもいる神経虚弱児童であることは明らかだ。甘やかされたのか、極度に厳しく育てられ、心が幼児のまま成長しなかったのか。
その両方を兼ね備えているようにも思える。
「ぼくは悪くない!」
「ええ、あなたは悪くないのかもしれませんね。ただ、その主張をお兄さんにしないと、ここからは出られません」
「出なくていいよ!」
青年はぶっきらぼうに答える。
「出たら、ずっと政務をやらされるか、民に石を投げられる」
「誰だってそうですよ。それでも、出続けなければならないのです」
「そんなの嫌だね!」
青年は首を振って叫んだ。どうやら、自分の職務を果たすことが嫌で、引きこもっているだけのようだ。
「ここにいれば兄さんが来てくれる。黙っていれば心配もしてくれる」
「そんなの、虚しくないですか?」
僕は、1年もこんな暗闇に閉じこもる男の気持ちを想像できなかった。僕ならば、絶対にうんざりして、発狂してしまうだろう。
「虚しくない。だって、本もあるし、考えることもたくさんある」
「人と話したり、風を受けたり、水遊びをしたり、外に出たくありませんか」
「風を受けて水を浴びても大した話ではない。鬱陶しいだけだ」
僕は、あきれ果てて二の句が継げなかった。
ただ、実際のところは、彼の兄も、青年を外へ出してもどうすればよいのかわからないと思い至る。殺すわけにもいかない。外に追い出せば1年で死ぬだろう。
細い腕にはうっすらと毛が生えていたものの、筋肉らしいものは何もない。
「ここにずっといらっしゃるおつもりですか?」
「いられるうちは」
「戦争でも始まれば、真っ先に討ち滅ぼされますよ」
「情勢は安定してる」
「いつどうなるかなんて、誰にもわかりませんよ」
「そうなれば、外にいようが、ここにいようが死ぬ」
この青年は、神経虚弱でも論理が通じ、発言に理がある。ただ、理屈だけでは生きていかれない。
「話を戻してもよろしいでしょうか」
僕は静かに言う。
「ぼくは殺していないよ」
「えっ」
僕は少年をまた見直した。もう、何を考えているか、この会話がどう進むか、すべて見通しているようだ。
「殺していないのに、なぜ投獄されたのですか」
「あの人が勝手に死んだからさ」
「勝手には死なないでしょう」僕は大笑いしてしまった。「誰か別の人間に殺されたということですか」
「兄さんじゃないの」
「国王が人殺しなんて面倒なことをしますか? それこそ、勝手に処刑すれば良い」
「兄さんは優しいから、僕のために」
「優しければ、無理矢理、妻をあげませんよ」
「兄さんには跡取りがいない。結婚をしないそうだ。ずるいよ」
たしかに、国王は未婚で子供もいない。普通の王族は、一刻も早く後継を作りたがるものだが、なぜそれを嫌がるのか。
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