Ⅳ
驚くほど広く快適な牢屋だった。
まるでそれは、一種の隠し部屋のようで、簡素で何もない。
そのちょうど真ん中に、男は座っていた。
僕が男を「男」と認識したのは、彼が何も着ていなかったからだ。
顔は下を向き、膝を抱えていた。
「一日の大半はここで眠っている。もうかれこれ、1年は外に出ていない」
「1年ですって?」
僕は彼の話をすぐに信用できなかった。なぜなら、妻殺しを行なって、1年も生かしておく必要があるとは思えないからだ。通常の事例では死刑となる。
「どうして1年間も閉じ込めているのですか」
「妻からの要請だ」
「えっ、妻は殺されたのでしょう」
何をトンチンカンなことを、と僕は憤慨していた。からかっているのかと思った。
「いや、彼には妻が5人いる」
「なんですって。どうして5人も」
「正室が1人、側室が4人」
「王族か何かですか?」
「うん、そうだね」
なるほど、と一人で合点がいった。
それなら簡単には殺せない。他の囚人とも一緒にできないわけだ。こんな特別な地下牢をわざわざ作ったことにも納得ができた。
「どちらの?」
彼が笑う口元をじっと見ていた。奇妙な顔。左右非対称で、右の口元だけがつり上がっていた。
「彼は、俺の弟なんだよ」
僕は声を失って後ろに退いた。
「ファラ、顔をあげなさい」
彼は、膝を抱えていた青年に声をかけた。なぜ何も着ていないのだろう。
「ファラ、どうして下を向いているんだ」
ファラ、というのが彼の名前のようだった。王の豪傑な名とは異なり、ふんわりとした、いかにも優しい、穏やかな名前だった。
丸くなっていた青年がゆっくりと顔をあげた。
僕は息を呑んでじっと彼の顔を観察した。
彫りの深い、浅黒い肌、真っ青な瞳。
それは、この国の王と全く同じ顔だった。
僕の前には今、まるで同じ顔の人間が二人いる。
ただ、一方は裸で、ヒゲが濃く肌が白い。筋肉もない。
「やっと反応したか。どうだい気分は」
少年は目を細めて、じっと自分の兄の顔を眺めていた。何かを考えているようには見えず、ただ眼球を同じ場所に固定しているようだった。
「もうずっとこの状態だよ」
「何も話さないのですか」
「話さないね。少なくとも俺には。実の弟を拷問して喜ぶ趣味もないから困ってしまってね。かといって自由の身にするのも民に示しがつかない。国の情勢は、他国に脅かされていつひっくり返るかわからない。ほんの少しの刺激が、反逆の芽になる」
「ははあ、となると」
僕は自分がここへ呼び出された理由がわかった。
「僕の仕事というのは」
「そう、ファラの弁護をして、できればここから出してあげてほしい」
自ら牢へいれて、出してほしい、というのもまったくおかしな話だ。顔を変えるか、島流しにでもすれば良い。僕は自分の提案をそのまま彼に伝えた。
「島流しでは寂しいじゃないか。もう会えない」
「島からは出られないのでは。あなただけは会えますよ」
「俺はいつでも会いたいのだよ。思いついた時にいつでも。たったひとりの弟なのだから。愛しているんだよ」
「それで、殺すわけにもいかないと」
合点がいったものの、愛情深さにあきれ果てて、吸った息をすべてため息として吐き出しそうになった。
「ええ、ええ、わかりました。僕の仕事が」
「頼むよ。君くらいしかこんな不貞は頼めない」
「少し、彼と二人きりにさせて頂いてもよろしいでしょうか」
「ああ、構わないよ。何時間でも。従者におやつでも持ってこさせよう」
「いえ、結構です」
僕は丁重に断り、彼が入り口の階段へ去っていくのを見送った。何度も振り返っていたので、よほど弟の様子が気になるのだろう。
僕は自分の着物の裾をあげて、座りこむ弟の前に同じ姿勢で座りこんだ。
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