じゃがーさん

「さて何から話しましょうかね」

 私の目の前に座った彼は、顎に手を当ててそう言った。

 さすがに夜の公園はないだろうと、私たちは近くのチェーン店のカフェに入った。一番奥の静かな席だった。店も席も全て彼の選択に任せたが、その選択は彼がじゃがーであることを肯定しているみたいだ。

「とりあえずなぜ臥龍さんがあなただとわかったか、ですか?」

「……そうですね。知りたい、です」

 臥龍というのは私がつぶやきサイトで使用している名前だ。もちろん彼とはそこで出会った。

 きっかけは忘れたが何かの拍子に繋がり、何かがあって交流も始め、気が合ったのでしょっちゅう話すようになった。その過程で住んでいる場所が近いということはわかっていたが、それは単なる事実関係に過ぎなかったと、私は認識している。彼も私もネットとリアルは別物とする人間だ。少なくとも先ほどまでそう思っていた。

「すごーく単純なんですよ。臥龍さんたまに持ち物とか、自分に関する写真上げていたから。ただそれだけです」

 彼は満足そうに言葉を切った。テーブルのブラックコーヒーを手に取り、軽く揺らす。からからと氷が音を立てた。

「ああ、まあ……そうですね」

 大方そうではないかと思っていた。彼はたいていその投稿に対して『いいね』をしていた。だから私が知りたいのはそこではないのだ。この話題から発展するであろうもの。

「というか理由ですよねー」

 そう、理由だ。

 ネットでの知り合いに実際に会うまでは理解できる。だがなぜわざわざこのような狂気じみた演出をする必要があったのか。下手すれば警察沙汰だ。

「んー、臥龍さんって、悪意に慣れるべきなのかなって。そう思ったんですよね」

「悪意に慣れる……?」

「人に嫌われたらとか、変に思われたらとか、そういったことが怖いんですよね? てことは悪意が怖いんじゃないかなって思ったんですけど」

「……はぁ」

 彼の突拍子もない発言に私は些か当惑してしまう。テーブルの紅茶を手に取って一口含んだ。

 彼は私の投稿を踏まえて話していることはわかっている。HSPという性格的特徴を抱えた私は、それの辛さについて呟くことも多い。彼はそれに関連して語っているのだろう。

「違います?」

「あーいや……」

 小首をかしげる彼。そのような仕草をすると、特別若く見えた。大学生だろうか。たしか二十歳は超えていたはずだ。

 こうして考えると、私はじゃがーさんのことは知っていても、目の前の彼のことは何も知らないのだ。そんな人物に私自身のことを話してもいいのだろうか。私のことを知ったところで彼にメリットはない。むしろ退屈かもしれない。

「聞きたいです。臥龍さんの気持ち」

「あ……」

 彼の顔に人懐っこい笑みが現れる。じゃがーさんがよく私に言ってくれる言葉だった。まさか現実に聞くとは思ってもみなかった。

 聞いてほしいという願望。相手にどう思われるかわからない恐怖。けれど彼は、目の前の彼は、そんな私の性格を知っている。

「そうですね……。相手にどう思われるか、相手がそう思っているか。それは確かに私にとって大きいことです」

「ですよね、ですよね」

「つい他者目線で生きてしまうので、じゃがーさんの言うようなことを恐れてもいますね、たぶん」

「やっぱりなぁ」

 短い言葉を吐き出し終えて、どっと疲労が襲ってきた。知ってもらえた喜びが私の頭を撫で、相手の反応への恐れが私の心臓をつねる。相反する反応は認識することすら苦労を強いてくる。

「だから俺が、治すお手伝いをします。というより臥龍さんが生きやすくなるお手伝いですかね」

「それが、悪意に慣れること……ですか?」

「はい!」

 彼は元気よく頷いた。そしてブラックコーヒーを飲み干す。

「なぜ臥龍さんを助けるのかも、じゃがーが誰かということも、方法も、謎だらけですね」

 あとは悪意に慣れたからといって、症状が緩和するとも限らない。そこも重要なのではなかろうか。彼はそこに気づいているのだろうか。

「でもわけわからないくらいがちょうどいいと思うんですよ」

「そうですかね……」

 困惑したままの私を置いて、彼は立ち上がった。その手は伝票を取る。

「考え整理したいでしょうし、俺は先に行きますね」

「さすがにそれは申し訳ないです」

「いやいや、迷惑料みたいなもんです」

 伝票に手を伸ばすが、彼は私に届かぬよう離してしまう。これ以上追いかけるのは迷惑かもしれない。彼は好意でやってくれているのだろうし、それを否定されるのも気分はよくないはずだ。

「そういえば、どうでした? 僕の演技」

「え? ああ……すごかったとは思うんですが、なぜお嬢さんなのかなと……」

「セリフ的にしっくりきたんで」

「なるほど」

「じゃあ、また」

 彼は言うだけ言って去ってしまう。やはり追いかけるのも微妙な気がして、結局ソファに腰を下ろした。

 礼儀としてもう少し引き留めるべきだったかもしれない。せめてお金を手に握らせるくらいした方がよかったかもしれない。

 考えてしまうのは、そんな関係ないことばかり。このような性格を彼は変えるというのか。

 性格を変える自信はあまりないし、変える気力もない。ただ今日の出会いに嫌悪を抱いていない自分がいるのも事実だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る