おんなじきもち

fujiyu

おんなじきもち

 私は馬鹿者だ。いや大馬鹿者なのかもしれない。

 家に着いた私は自分の部屋に入ると、身を放り出すようにベッドに転がった。時計の短針は七を指している。外はすっかり夜のとばりにつつまれていた。窓の外をぼんやりと見つめる。空は分厚い雲に覆われていた。

 きっと私の気持ちが気づかれることはないだろうし、私もこの気持ちを伝えるつもりはなかった。弱虫な私の思いはこのまま胸の奥にしまいこんでしまおう。そう思っていた。

 なんてことを私はしてしまったのか。羞恥のあまり頭を抱えてゴロゴロ、ゴロゴロとベッドの上を転がり続ける。

 あーあー。

 できるだけ長く近くに居たかったのではないか。近くにいられること。それだけで幸せだと思っていた。どうしてあのとき距離を測りそこねてしまったのだろう。

 夕焼けに照らしだされた部屋。聞こえてくるのは運動部の掛け声と吹奏楽部の様々な楽器の音色。二人きり。


 ——違う、違うんだよ。どうしようもないんだよ!

   どうしようもないくらい、

   私が大好きなのは、君なんだよ——


 そんなことを言ってしまった私がどうしようもなくて、まくらに顔をうずめる。

 どうして返事も聞かずに走り去ってしまったんだ、過去の私。

「うぅ~~~」

 うめき声をあげながら目をつぶる。そうしているうちになんだか眠くなってきてしまった。眠ればすこし落ち着くだろうか。

 そんなことを考えているといつの間にか眠りに落ちていた。




 洗面台で顔を洗って、私は鏡に映る自分を見つめる。表情がかたい。心のどこかで緊張しているのかもしれない。苦しくなるまで大きく息を吸って、一気に吐き出す。

 覚悟は十分だろうか。

「よし!」

 頬を叩いて気合いを入れる。

 今日は二月十四日。みんなよく知るバレンタインデー。女の子たちからたくさんチョコをもらえる羨ましい勝ち組もいれば、お母さんからしかチョコを貰えない哀れな男子諸君もいる(お母さんからすらもらえない場合もあるらしい)

 なんとも世知辛いイベントだ。

 私は起きてリビングに行くと、テレビがついている。朝の報道番組では、今年の流行りのチョコレートについての特集が組まれていた。

 百貨店にいるレポーターは一粒一粒がまるで宝石のように美しく光り輝くチョコをほおばっていた。

 母はその番組を見ながら「このブランドのチョコレート、本当に美味しそうね~。お父さんにお返しでもらおうかしら」なんて言っている。自分は安物のチョコレートを固めただけなのに高額なチョコレートを要求するとは、なんて打算的な大人なのだろう。

 そんなことを考えていると、母が私に気がついた。

「あ、紗友おきたのね。おはよう!」

「おはよ。おかあさん、なんか楽しそうだけどいいことでもあったの?」

「そんなことより、昨日の夜、何してた??」

「特になにもしてないけど。なんで?」

「夜中に誰かさんが一生懸命にチョコを作っていたけど本命でもプレゼントするのかなって思ってさ~」

 母はニヤニヤした笑みを浮かべている。

 うむむむ……。ばれていたか……。

 昨日は、ショックのあまり夕方に一度寝てしまったせいで、夜中に目が覚めたのだ。

 それから急いでチョコレートを作って、また布団に潜ったのだが、どうやら母にはバレていたらしい。

「い、いや、べつに。友達と交換するから作ってただけ! ほらさ、お母さんは知らないかもしれないけど最近だと友チョコっていうのも流行ってるの!」

「ほうほうほう。そうなのか~。いいですなぁ。青春ってやつは。」

 こいつ完全に信用してないな……まあいいか。

「やっぱり悠一君なの〜?」

「いやちがうから!」

「こいつは怪しいですなぁ」

「本当にちがうってば!!」

 母は目を薄めながら、微笑んでいる。

「だけど、立華ちゃんもいるんだから自重しなさいよ〜。あんたたち三人は小さい時から仲良しだったんだから、今になって険悪になってしまったらお母さんは悲しいわ」

 いつもの冗談のつもりで母は言っているのだろうが、そんな冗談が今の私にはなんとも重くのしかかってくる。

「はいはい……」

 まったく、人の気持ちも知らずに。

 そう、私たちはいつも三人でいたのだ。

 悠一と立華と、それから私。

 幼稚園、小学校、中学校。毎朝、三人で登校して、下校も三人一緒。

 中学校に入ってからは三人で下校することは少なくなったけれど、今でも朝は三人で登校している。

 そのことを考えると、昨日のことで私は頭が痛くなってくる。

「なんだか元気ないじゃない。なんかあった? いつもならもっとくってかかってくるのに」

「な、何もないし!!」

 ふんっ。人の気も知らずに!

 母に気づかれるほど面倒なことはない。

 さっさと朝食を食べて準備をすることにする。



 朝食を食べたあと、私は二階にある自分の部屋に戻って準備をしていた。

 筆記用具、教科書、ノート、お財布、体育着。それから二つ小さめのチョコレートと、ハート型のチョコレート。必要なものは全て学校指定のカバンに詰め込んだ。

 今は着替え中で、鏡の前に立った私はどのリボンをつけようか迷っている。

 うちの草上中学の制服はセーラー服。

 高校生にもなると服装に関して厳しくないらしいけれど、中学校だと制服の着方を一つ取っても非常にうるさい。スカートの丈はもちろんのこと、靴やソックスなども柄や色が決められていて、その規則を破ると色々と面倒なのだ。要するに、私たち草上中学校の女子はそんなにオシャレができないのだ。

 そんな中で唯一選べるのが、このリボンである。基本的にリボンの色には、なんの規則もない。だからこそ、私たちはこのリボン一つで頭を悩ますのだ。人によっては勝負リボンなんていうものを持っているらしいが、私には勝負リボンなんてないので、いつも迷ってしまう。

 「うーむ。どうしよう」

 困ったことがあると、ついつい独り言を発してしまう。

 なんとなく部屋の中をゆっくりと見回す。

 私の全身を写した姿鏡、折りたたみ式のベッド、いつも一緒に寝るぬいぐるみたち、捨てられない思い出の洋服たちが詰まったタンス、少女漫画からミステリまでいろんなジャンルが並べられた本棚、キーホルダーや多種多様な文房具といった雑貨たちが秘蔵さている勉強机。

 あ。

 あっ、そうだ思い出した。

「え〜と、確か財布の中だっけ」

 床に転がった学校指定のカバンから財布を引っ張り出し、一番奥のポケット部分から小さな鍵を見つけだす。あったあった。

 実はこの鍵、なんと私の宝物庫を開くための鍵なのである。といっても、勉強机に付属している引き出し専用の鍵なのだが。

 勉強机の引き出しに鍵を差し込み、開ける。中にはたくさんの思い出の品が詰まっていた。うちの無粋な母なら間違いなくガラクタと呼ぶだろう。

 しかし、私にとっては、どれもこれも懐かしさがこみ上げてくるものばかりだ。そんな中にやっぱりあった。

 大切すぎて、しまっていたことを忘れてしまっていたもの。

 紺色の箱を取り出し、中身を確認する。

 薄いピンク色のリボンが入っている。そのリボンの裏側には、なんの花かは分からないけれど、丸っこい花の刺繍が小さく縫い込まれている。

 大切な人からもらった大切なもの。

 今日はこれを着けて行こう。私はそう決める

 「似合うって言ってくれるかな?」

 そう言ってくれると、いいな。

 私はカバンに手をかける。



 家を出ると一面に真っ青な海が広がっている。

 空には、まばらに白い雲が浮いていた。

 冬の海岸は海風も相まってひどく寒いけれど、今日は太陽が出ているからそんなに冷えなさそうだ。

 家を出て五分もしないうちに、悠一がやって来た。

「よっ、紗友」

「悠一、おはよ」

 なんだか距離感がぎこちないような気がする。

 私もそわそわしているけれど、悠一もなんだかいつもより落ち着かないような気がする。

「待たせて、ごめん。そんなところで立っていたら風邪引くから、家の中で待っててくれてよかったのに」

「ううん、平気平気!」

 そんな調子で私たちはいつものように通学路を歩き始める。

 最近、通学するときに私たちはあまり会話をしなくなっていた。あんまり仲よさそうに歩いていると学校で冷やかしが凄まじくなる。

 悠一はサッカー部のエースで、モテモテなのだ。さらに、幼馴染で毎日一緒に通っているから、なおさら周りが騒ぎ立てるのだ。

 一緒に通っているといっても、立華もいるんだけどなぁ。

 ちなみに立華は文芸部に入っている。周りから言わせると彼女は少し変わっていて、例外らしい。

 そんなことを考えながら歩いていると、あっという間に立華の家の前にたどり着いた。

 少し大きめの二階建ての一軒家。門に取り付けられた表札には『立花』と書いてある。

 家の前には小さめの庭があって、いつでも数種類の花が植えられている。多分、立華が手入れをしているのだと思う。

 いつもならこの門の前で、本を読みながら立っているはずだけれど、今日はいなかった。

 うっ、心当たりがありすぎる……

 そういえば、と悠一が思い出したように

「朝、立華から電話があって、今日は少し遅れそうだから先に行ってるように言われたけど、なんか聞いてるか?」

「ええっと、私は何にも聞いてないかなぁ……」

「なるほど。ならいいんだけどな」

 明らかに何か察してる気がするなぁ。でもしょうがない。私は表情を隠すのはあんまり得意じゃないのだ。

「話は変わるけど、来年の今頃、俺たちは卒業を控えているんだよな。紗友は進路とか決めてるか?」

「進路か〜。特に決めてないかなぁ。多分、高校には進学すると思う」

 このあたりには高校がないので、この街を離れて県の中心部にまで行くことにはなるかもしれないけれど、私は高校には行くつもりだ。

 よかった。話題が変わってくれた。私はホッとする。

「そうか。立華も高校に行くって言っていたし、俺はどうすっかなぁ」

 そう言ったあと、ポツリと

「頑張れよ」

 悠一は苦笑いしながらそう呟いた気がした。



 そわそわしているうちに、四限が終わり昼休みになっていた。

 私は疲弊している。理由は二つ。

 一つは、休み時間ごとに悠一にチョコを渡しても良いかという申請が、たくさん私の元へ来たことだ。そんなこと知るか。どうぞご自由に、渡したいのなら勝手に渡してくれという感じである。

 もう一つは、現在私の机の中にしまいこんである手紙の存在であった。朝、学校について自分の下駄箱を開いて見たら、ひらりと落ちてきたのだ。封筒のどこを見ても、記名がなかった。しかし、そこには美しい字が並んでいた。

 中には便箋が一枚。

 ——今日の放課後、昨日の場所で待っている。必ず来い。

 それだけ書かれていた。

 というわけで私は教室の自分の席に座り込み、じーっと窓の外を眺めていた。

「やあやあ、さゆちゃん。 今日は一段と大変そうだねぇ」

 他人が疲れている様子を見て楽しそうに話しかけてくる友人は、結崎才加(ゆいざきさいか)だ。同級生なのになんというか人生経験が豊富そうな雰囲気が滲み出ている特にいやらしい意味は含んでいない。

「そうなんだよ〜」

「でも、本当に悠一君のことはいいの? 彼、結構かっこいいじゃない。運動もできるし」

「そんなことは、どうでもいい〜」

 適当に返事をして、私は机に伏せる。

「あ〜なるほどねぇ。やっぱり、あんたはたち……」

「うおおおおお、やめろおぉぉ」

 めちゃくちゃ低い声が出た。

 私があまりにも暴れたので、彼女は口に出すことは観念したようだった。

 実は、才加は私の秘密を知っている人間の一人なのである。

 この女は直感が鋭すぎる。警戒しなければ。いつも調子が狂わされてしまうのだ。

「あんた本当に元気いいわねぇ。で、実際なんかあったでしょ?」

「そ、そんなことない!」

「まあまあ、いいから話して見なって〜! もしかしたらアドバイスできるかもよ〜」

 才加はニヤニヤしながら私に話すように促してくる。

 確かにこの女の勘とアドバイスは確かに当てになるのだが、どうにもバカにされている気がするからちょっとムカつくのだ。

「笑わない? 笑わないって約束するなら話してあげる!」

「わかった。笑わないから話して」

「ええっと、昨日の放課後のことなんだけどね〜」


 ——五分後——


「あはっ、あはははははっはっは〜。はあはあはあはあ」

 ご覧の通り大爆笑である。

 むぅ〜。人がこんなに悩んでいるっていうのに。

「そんなに頰をむくれさせちゃって、さゆは本当に可愛いなぁ。いじめがいがあるっていうのか、無鉄砲っていえばいいのか。でも、あの子の気持ちが私も少し理解できるかも〜」

 何を言っているんだろう。

「で、私はどうするのがいいのかなぁ?」

「放課後に図書準備室だっけ? 行けばいいと思うわよ!」

「大丈夫かなぁ。昨日の今日で、すごく顔合わせにくいんだよ」

「大丈夫大丈夫!私が保証するわ。少なくとも、さゆが心配しているようなことにはならないと思うわよ」

「そ、それならいいんだけどさ」

 なんて言っていたら授業のチャイムが鳴り始めた。

 どうやら話し込んでいるうちに昼休みが終わってしまったようだ。

 去り際に、才加はウィンクしながらこう言い残した。

「お幸せにね!!」



 昨日の場所、つまり図書準備室に着くと、彼女は窓のふちに腰をかけて、差し込む夕日を背に佇んでいた。

 腰まで伸びたまっすぐな髪、すらりと伸びた長い脚。そのすべてが陽に照らし出されている。しかし、影になっていて、その表情はうかがい知れない。

 そう、私を呼び出したのは立華だ。

「うふふ、君を待ってたよ。早く会いたかった」

 彼女はそう言った。

「えっとさ、昨日私が立華に言ったことなんだけどね、あれは、その、なんというか」

「待って、私も紗友に伝えたいことがあるの」

 彼女は伏せ目がちで、私に近づいてくる。

 私の前で立ち止まり、顔を上げ、おもむろに両手を開いて、私を抱きしめた。

 顔を上げたときに見えた立華の顔は、上気していた。

 胸の鼓動が速くなっている。この鼓動は私のものだろうか、それとも立華のものだろうか。

 そして、彼女は耳元でささやく。その声は震えていた。

「私さ、紗友が昨日、私のことを好きって言ってくれて、本当に嬉しかった。私もずっと紗友のことが好きだった。でも、もし気持ちを伝えて、この関係が壊れてしまったら、どうしようって。そう考えたら、紗友に意地悪なことしちゃった」

「えっ……」

「だからさ、私も紗友が好きだよ。

 あと、そのリボンつけてくれてありがとうね。よく似合ってる」

 そっか、よかった。

 昨日の放課後も、私たちは今日と同じように図書準備室にいた。

 「明日はバレンタインだね」なんて話していたら、立華に「紗友は誰にあげるの?」と聞かれたのだ。はぐらかしていたら、立華はしつこく問い詰めて来て、私は勢い余って立華が好きと言ってしまった。

 でも、言ってよかったな。私たちが両思いだとわかったから。

 心が燃えているように熱く感じる。

「えへへ、私も立華が好き」

 そう言って、私も彼女を抱きしめた。

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