第28夜 ペチカ

 保育院の建物のなかで、子どもたちが集まって遊んだり食事をしたりする大広間には、大きなペチカがある。煉瓦でできた巨大な秘密基地のような見た目をしていて、片側は大広間、反対側は壁を貫いて隣の厨房へと続いている。火をくべると、つづら折りに巡らせた管を熱が巡って煉瓦を暖め、その巨体に満ちた暖気で広い室内を暖めてくれる。

 食事時、厨房ではこの熱で煮炊きをする。その匂いが隣の大広間へ流れていくものだから、保育院の子どもたちにとってペチカの温もりと温かなご飯は頭のなかで分かちがたいものになっている。

 保育院へ来てひと月を迎えた少年も、既にペチカのある風景と、そこに漂う温もり匂いはすっかり日常になっていた。日一日と昼間の時間が短くなり、それにつれて寒さが深まっていくと、子どもたちは外で遊ぶより室内で過ごす時間が長くなる。

 その日も、少年を含めた多くの子どもたちが、大広間に集って思い思いに過ごしていた。

 少年は、トニーたちとテーブルを囲んでカード遊びをしたり、神父様の講義で出される課題についてあれやこれやと言いながら取り組む。それは、このひと月のなかですっかり少年のなかに根ざした習慣となっていた。それらは、親から引き離され、寒さで満ちていた少年の心に再び火を灯し、冷え切った身体を温めていった。

 少年の記憶の大半を占めていた両親との時間が、保育院の友達との時間へと置き換わっていく。少年にとって、それは不思議な感覚だった。保育院で多くの子どもたちと家族のように暮らし、満ち足りていくなかで、なんだか、本当の家族の存在が遠ざかっていくような気がするのだ。

 このままだんだんと、両親のことをどうでもいいと思うようになって、あんなに切実な思いを籠めて書いた手紙のことすら忘れてしまうのではないか。そのことを考えると、少年は、暗闇を覗き込むような不安な気持ちになった。

 そのたびに少年は、見えない神様に向かって祈った。それは少年が自分で決めたことだったから。心のなかがどんなにぐちゃぐちゃになっていても、それをやり通すのだと強く思えば、心はおのずと静まっていった。

 祈りは神様へ救いを求めるだけではなく、自分のなかへ芯を通して、真っ直ぐに立つための行いなのだと少年は知った。

 そうして立つ姿を、いつか神様が見届けてくださる。


「ニルス」

 厨房から晩ご飯の匂いが漂い始める夕暮れ時。友達と頭を寄せ合って課題をしていいた少年の名前を、大広間と厨房を隔てる戸口からお手伝いさんが呼んだ。その手に、白い紙のようなものが見える。

 少年はすかさず立ち上がり、半ば駆けるようにしてお手伝いさんのもとへ寄っていった。あのとき、手紙を出すときに手伝ってくれたそのお手伝いのお姉さんは、嬉しそうに笑っているのに、なぜか目が泣き出しそうに赤くなっていた。

「手紙、届いてるよ」

 そう言って、その手から封筒を少年へ差し出す。無地の便箋に青いインクでしたためられた書き文字に、少年の息が思わず詰まる。その文字を、少年は知っている。

 少年は手を差し出して、その手に手紙を受け取った。

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