第21夜 ボジョレ・ヌーボー

 教会の表玄関が賑やかだった。幌のない荷馬車が一台止まって、その前を教会の信者やお手伝いさんが囲んでいる。子どもたちはそれを遠巻きに眺めていた。

 子どもたちのあいだには二種類の感情の温度があった。あれはなんだろう、と身を乗り出し興味津々にしている者と、あれを毎年の恒例行事と知って興味をなくしている者だ。

 少年は親友のトニーと一緒に、前者の子どもたちに混ざって大人たちの様子を窺っていた。

「新しいお酒が来たのさ」

 後者にあたる上級生が言った。

「礼拝で毎日、神父様が飲んでいるぶどう酒があるだろ。あれの新しいやつができて、農家や酒蔵の人が教会に奉納しに来てるんだ」

 礼拝の途中、神父様は過去に救世主様が行ったという動作をまねして、二つのものを口にする。薄い板状の無発酵パンと、水で薄めた赤ぶどう酒。

 ホスチアと呼ばれるパンは、礼拝のなかで子どもたちにも配られるが、食べて特に美味しいものではない。口に含んでいると溶けていくのだけど、オブラートみたいに口の天井の張り付くのが気持ち悪いから、少年は溶ける前に噛んで飲み込んでしまう。

 一方、ぶどう酒の味は想像ができない。見た目にはぶどうジュースのようで美味しそうに見えるが、子どもは飲んではいけないと、常に鍵付きの戸棚にしまわれている。

「あ、運び込まれていく。見に行ってみようぜ」

 トニーが言った。

 馬車を囲んでいた一団が動いた。大人が二人一組になって酒瓶の入った木箱を降ろし、聖堂のなかへと運び込んでいく。

 その列を追って、子どもたちも移動を始める。興味のない上級生を中心とした子どもたちは、そんな子どもたちに対して、にやりと含みのある笑みを向けて見送る。その先でなにが起こるのか、彼らは知っている。

 少年はトニーと共に大人たちの後ろへついていき、聖堂を通り抜けた奥、小部屋が幾つか並ぶ小さな廊下へと入っていった。

「おや、来たね」

 そこに、神父様が待ち構えていた。いつものような白いローブもストラも身につけず、町の人が普段着ているシャツとズボン姿をしている。そうしていると、町にいるおじさんたちとなんら変わらず、少年を含む子どもたちは声をかけられて始めて神父様に気づき、ぎくりと身を縮めた。

 神父様は酒瓶を運ぶ人たちに指図をして、地下倉庫のあるほうと、それ以外の小部屋と、場所を振り分けている。ほどなくそれがひと段落して、神父様は子どもたちに向き直った。

「それではおいで、わたしの可愛い悪ガキたちよ」

 神父様はそう言って、小部屋の一つへ入っていく。言われた通りに子どもたちもそれに従った。

 そこは、礼拝の前後に神父様が待機したり身支度を整える部屋だった。礼拝衣装用クローゼットと備品を収めた棚が壁に並び、あとは背もたれのない丸椅子が幾つかと奥に小さな祭壇があるだけの簡素な部屋だ。

 その部屋の隅に、先ほど運ばれたらしい酒瓶の入った木箱が一つだけ置かれていた。

 神父様は子どもたちにカーペットの上で座って待つように言い、それから木箱から酒瓶を無造作に一本抜き取った。さらに、備品棚の鍵を開けてなかから、小さな杯を人数分、備品棚の天板に並べる。

「酒瓶の開け方を知っている者はいるかな」

 神父様は子どもに向き直って訊ねた。一人の子どもが手を挙げる。

「クリス、さすがだ。君には神父の素質があるね」

 神父様がおどけて言うと、子どもたちは一斉に笑った。クリスと呼ばれた男の子は恥ずかしそうに笑いながら、神父様に手招きされて酒瓶とコルク抜きを受け取る。クリスは酒瓶を床に置き、淀みのない手つきでコルク抜きをコルクへ差し込み、くるくると回し入れていく。

 少年もかつて、ジュース瓶を開けるのにコルク抜きを使ったことがあるが、とても難しくて途中で母親に取り上げられたことがあった。まずコルク抜きを真っ直ぐに差し込めないし、力みすぎると螺旋状の針金が貫通してしまう。うまく差し込めないと、コルクを持ち上げるときに途中から折れてしまって、とても悲しい思いをする。

 クリスは、あのとき感じた少年のもどかしさとは縁もない手つきで、今度はコルク抜きを逆回しにして、きゅぽん、と小気味よい音をさせて酒瓶の封を開いて見せた。

「素晴らしい」

 神父様が拍手をして称えたので、子どもたちも同じようにする。実際、みんなが食い入るようにその手元を見ていた。

 クリスを神父様に酒瓶とコルクを返す。コルクの、酒瓶の内側を向いてた側はぶどう酒が染みて深い赤色になっていて、神父様はそこに鼻を近づけて満足そうに香りを嗅いだ。

 そして、並べられた小さな杯の半分を満たすほどの量のぶどう酒を、均等に注ぎ分けていく。それから酒瓶を杯の隣に置き、空いた両手で祝福の印を結んで小声で神様への祈りを捧げた。

「さあ、おいで」

 神父様にそう促されて、子どもたちはお互いに顔を見合わせた。誰が先に行くかと目で示し合い、やがて待ちきれなくなった子から神父様の元へ小走りに向かっていく。一人が立てば、残りの子どもたちも全員立ち上がって、神父様から杯を受け取っていった。

「乾杯をしよう。全員一斉に飲むのがルールだ。他の人の反応を見るまで飲まないという臆病者に、この御血を授かる資格はない」

 赤いぶどう酒は救い主の血に例えられる。礼拝で授かるパンは同じく救い主の身体。

 子どもたち全員が杯を手に神父様のほうを向く。神父様は自分も礼拝でいつも使っている大ぶりのゴブレットを手に持ち、それを掲げた。

「それでは皆、いただこう!」

 それを合図に、子どもたち全員が杯を口に当てて一気に呷った。神父様が礼拝のなかでそうしていたからだ。

 少年もトニーも、当たり前にそうした。

 そして、思いっきり咽せた。

 ぶどう酒もぶどうのジュースと同じものだと、少年は思っていた。大人たちがさも美味しそうにがぶがぶと飲んでいるから、そういうものなのだと。だが、口に広がったのは強烈な酸っぱさと得体の知れない苦み、さらには喉を焼くような熱さだった。

 周りの子どもたちの反応も、おおむね少年と一緒だった。

「ははははは」

 神父様はそうした子どもたちの様子を見て、悪魔のように笑っている。

 そのとき、部屋のドアが外から開いた。

「もう、神父様、今年もですか」

 怒った声は、教会のお手伝いさんのものだ。彼女は手に水差しを持って、子どもたちに駆け寄っていった。空になった杯に水をなみなみに満たして回り、それを二杯ずつ必ず飲むように指示する。

 神父様はゴブレットから水のように酒を呷り、さらに笑った。

「興味のあることには知識を授けるのも、また教会の役目だからね。それに、人間誰しも、遅かれ早かれ酒の味は覚えるものだし」

「そういう問題じゃありません!」

 全員に水を飲ませ終えたお手伝いさんが立ち上がり、神父様に詰め寄った。

「これのおかげで、風邪予防に飲ませるホットワインを飲みたくないって子が続出するんですよ。もう、そうした子たちに言って聞かせるのがどれだけ大変か……聞いてますか!?」

 目を背けてゴブレットを傾ける神父様に、お手伝いさんがさらに詰め寄って悲鳴のような声でまくし立てる。曰く「未成年の飲酒は推奨されない」、曰く「市民からいただく貴重な寄進で遊ぶな」、曰く「来年やったらどうなるかわかっているか」などなど。

 その勢いには、さしもの神父様ももう笑っている場合ではなく、しゅんと落ち込んだ顔でお手伝いさんに向かってしきりに頭を下げるほかなかった。

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