第15夜 七五三

 保育院の七歳までの子どもたちには、二年に一度、特別な日が訪れる。

 子どもたちを教える神父様は、その特別な儀式の日を『秘跡』と呼んでいたが、子どものあいだでは、儀式を受ける年が三歳、五歳、七歳であることから『七五三』と呼ぶようになり、いつからかその名前がすっかり定着してしまったらしい。


「俺、こんな服初めて着るや」

 少年の横で、着せられた服をしげしげと眺めていたトニーが言った。

 教会のお手伝いさんや、町の善意の人たちが協力して用意してくれた儀式用の衣装は、確かにかなり妙ちくりんな感じだ。この地域に昔から伝わる伝統衣装らしく、確かに絵本などで見たことはあったが、絵に描かれた人物が着るのと実際に自分たちが着るのとではイメージがかなり違う。まして、この町から遠い地域から来たトニーには、まったく見慣れないのも無理はない。

 少年も、着替えのときに鏡の前でさんざん見回した自分の姿を、改めて思い出す。

 女物のブラウスのような袖の膨らんだ白シャツの上に袖なしのベストを羽織り、ぴったりとした長ズボンに、足下は皮のブーツ、頭には中折れ帽。衣装一式のそこかしこに細かな刺繍が冗談のように描かれまくっていて、目立つことこの上ない。それに、着心地や動き安さより見栄えを重視した仮装大会の衣装よろしく、動きにくくてたまらなかった。手の動きを邪魔するラッパ袖に、伸縮性のいまいちなズボン、ブーツに至っては歴代のお下がりで足に合わない上に、妙な使用感があって気持ち悪い。

「これ着て夜のパーティーまで過ごすの、大変そうだな」

 七五三は一日がかりだ。朝、聖堂に集まって神父様のお話を聞くところから始まって、昼間はこの衣装で町を練り歩き、夜は晩餐会。

 少年のため息混じりの言葉に応えたのは、七五三の時代装束に身を包んだ子どもたち一行の前を行く、保育院の男の先輩たちだった。

「それを着て晩餐のごちそうを食べまくると、ズボンのボタンが弾け飛ぶんだ。そういう奴が年に何人もいる」

 先輩たちは先ほどから互いに顔を合わせてにやにやと、去年の誰それは見ものだったとか、いつぞやの女の子が可愛かったとか、そんな話で盛り上がっている。すでに七五三を一通り終えている彼らは、教会の礼拝でお手伝いさんが着るような白いローブを着ている。

 ごてごてと刺繍で縁取られた鮮やかな衣装と、純白のローブ。二つの集団が混ざることなく後ろと前に分かれて歩くさまは異様でしかない。


 先輩たちに率いられて聖堂に入った子どもたちは、毎日の礼拝のように長椅子に座る。白いローブ姿の先輩たちは壁際に整然と並んで立った。

 礼拝の始まりを告げる鈴がちりんと一度鳴らされると、子どもたちはそれを合図にしんと静かになる。前に立った神父様の姿へ、皆の視線が集中した。

 神父様は一通り、礼拝の始まりの決まり文句をそらんじて、それから「おめでとう」と子どもたちへ切り出した。

「君たちは皆それぞれが違う、様々な事情を抱えてここに集っている。しかし、君たちがいる場所は神の家だ。君たちは神の家に集い、共に暮らし、学び、友を得た。それはとても幸いなことだと、どうか胸に刻んでほしい。もちろん、これが自分の望んだ暮らし、場所ではないと思うかもしれない。だが、君たちがここへ集ったのは神のお導きによるものであり、君たちへの神のご裁量なのだ」

 神父様の朗々とした声が聖堂内に響きわたる。このお説教が得てして長い。長くお説教をできない神父は神父ではないとでも主張しているようだ。

 当然、真面目にお説教を聞いている子どもはいない。ただ、静かにしていないとお説教がさらに長引くから、みんな大人しく、礼拝の後のことを考えている。

「さて、今日のこの秘跡は、君たちにより神様のことを考えてもらうためのものだ。特に、今年七歳の子どもたちは、来年には上級生として小さな子どもたちの面倒をみたり、教会の一員として町での奉仕活動にも参加してもらうことになる。保育院はこの町の人々の寄付と慈善の心によって成り立っていることを、より身近に理解するためだ」

 少年もほかの子どもたちと同じように、殊更傾聴することはなく、聞くともなしに神父様の話を聞いている。

 隣でトニーがあくびをしたのを横目に見ると、彼と目が合って、トニーが首を横に振って口の動きだけで「たいくつ」と言うのに対して少年は頷き返した。次いで、壁際にじっと佇んで思い思いの方向へ顔を巡らせている先輩たちを見る。来年から自分もああやって立ち続けるのだと思うと気が重い。

 そう、来年も。

 そう思ったとき、神父様の声が不意に遠ざかって、少年は自分の心の内側の深いところへ潜っていくのを感じた。


 少年の父母は、いっときのことだと言って少年をこの町の保育院へ預けた。いずれ迎えに行くからと。しかし、そう嘘をついて二度と子どもの前に姿を現さない親だってたくさんいる。そのことを、その事実を、少年はこの保育院で嫌というほど突きつけられた。

 もちろん、親が迎えに来る子どもだっているにはいるが、圧倒的に少ない。大体の子どもは数年のあいだに、自分には親がいないという自覚を得て、十代の半ばになる頃には自分で生きる道筋を立ててここを出て行くか、教会のお手伝いさんとして保育院とその母体である教会に留まるか、いずれかの道を選ぶことになる。

 そのときが来るまで、少年にはまだ時間がある。しかし、将来のことを考えると、とにかく気分が暗くなる。「親のことは諦めろ」と何度も言われ、口では「そうする」と答えながら、少年はまだ両親の残した「迎えに来る」の言葉に縋りたいと思ってしまう。

 少年は、自分の身体がまっぷたつに引き裂かれてしまう様を想像する。少年のなかの相反する二つの心が、身体を左右から引っ張って、少年の身体はそれに耐えることができない。

 せめて、なにか証が欲しい。己の望むべき希望はあるのか、それとも、もう潰えてしまっているのか……。


「……おーい、ティム。大丈夫か」

 その声が初め遠くのほうから聞こえて、まるで水中から水面へ顔を出したときのように、耳に一気に周りの音が戻ってきた。波が押し寄せては引くようなざわざわとした音。気がつけば神父様のお説教が終わって、子どもたちが一斉にしゃべり始めているらしい。

「ごめん、考え事」

「すっごい怖い顔してたぞ。なに、どこか痛いとか?」

 心配するトニーに、少年は首を横に振った。

「本当に大丈夫。ごめん、ちょっと家族のこと考えてたんだ……」

 それは事実だが、トニーを引き下がらせるための方便でもあった。保育院の子どもたちにとって、家族の話はもっとも注意しなければならない事柄の一つだから。

 しかし、トニーがそうした常識をあまり考えない奴だということを、少年はうっかり忘れてしまっていた。

 トニーは「なんだそんなこと」と、あっさりと言い返した。

「おまえのとおちゃんかあちゃん、迎えに来るって言ってるならいつか来るんだよ。気になるなら手紙でも書いてみればいいんじゃないか?」

「手紙?」

「うんうん。いつ迎えに来るんだって、訊いてみればいいと思う」

「そんなことして……」

 迷惑じゃないだろうか。

 言い淀む少年に対して、トニーはさらに言い募る。相手への配慮や迷いなど一切ない真っ直ぐな眼差しを傍らの友人に向けながら。

「なんかさぁ、くよくよ悩んでさっきみたいな顔されるの、俺嫌だよ。おまえが嫌なら俺から書こうか、手紙」

 あっけらかんとしたトニーの物言いに、少年は思わず笑った。

「なんだよ、それ」

「ははは、確かにそれはないか」

 そのとき、「外へ集まれ」と先輩たちがおしゃべりな子どもたちを呼んだ。その声に促されて、少年とトニーも歩き出す。

「手紙、書けよ」

 最後に小声で、念を押すようにトニーが言った。

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