第14夜 ポケット

 いつものように、老女が一人住む森番の家にやってきた少女は、暖かな火を灯す暖炉の前の絨毯に座って、傍らの揺り椅子に座る老女の手元にじっと目を凝らしていた。

 少女の視線が注がれる先で、老女の筋と皺の目立つ手がゆっくりと、しかし淀みなく動いている。左手に握られているのは少女がここまで着てきたエプロンドレスで、右手は小さな針を持って布地の表と裏を幾度も往復している。

 エプロンドレスは少女のお気に入りで、一昨年の誕生日を前にお母さんがあつらえてくれたものだ。汚しては何度も洗い、育ち盛りの身体に窮屈になるたびに手直しをしてもらいながら、もうずっと着続けている。全体の布地がすり切れてきたり、頑固な土の汚れなどが裾を黒くして洗っても消えなくなっても、少女はさして気にしなかった。

 真新しい服を着ても、どうせ畑仕事や外遊びであっという間に汚してしまうのだし、それよりは少し汚れて生地も身体に馴染んだもののほうが気兼ねをしなくていい。

 その日も、少女はいつものエプロンドレスを着て老女の家を訪れた。

 老女のところへその格好で来たのは初めてではないし、少女の持参した昼餉を食卓に広げてささやかな食事を二人で楽しむまでは、いつも通りに過ぎていった。

 老女がそれを見つけたのは、少女が食器を片づけようと席を立ったときだ。

「おや、そのポケット」

 老女はそう言って、少女を自分のもとへ呼び寄せた。スカートの横あたりを示して老女は首を傾げた。

「穴が空いているし、取れかけているね」

「あ、本当だ」

 腰の横のポケットは、布地も伸びきってスカートから不格好に突き出していた。縫い目は解れて、よくよく見れば確かに穴も空いている。少女が道々で見つけた木の実や変わった形の石を拾っては詰めたり、手を温めるためにポケットへ突っ込んだりしていて、とにかく満杯になることの多いポケットだった。

 それから老女は、少女にその場でくるりと一回転するように言って、少女の着るエプロンドレスを仔細に見聞した。

「随分長く着ているんだね。そのポケットと、あといくつか解れた部分、直してあげるから代わりの服に着替えてくれるかい」

 そう言って老女は椅子から難儀そうに立ち上がり、壁伝いに部屋の隅のクローゼットの前へ行き、幾つかの服を取り出した。

「こんな婆の服だから嫌だろうけど、少しのあいだだけこれで待っていておくれ」

 老女が差し出した大人の女性が着るワンピースは、当然、少女にはぶかぶかだった。腰や袖口をはしょって紐で括っても、全体に余った布地のせいでいまいち動きにくい。

 老女は「我慢してね」と言って、クローゼットから大きな裁縫箱を取り出し、暖炉の揺り椅子に腰を下ろした。

 老女の開けた裁縫箱のなかを覗いて、少女は「うわぁ」と感嘆の息を吐く。針やハサミといった道具と一緒に、整然と並んだ色とりどりの糸や、たくさんある親指の先ほどの小さな透明ケースにはビーズやボタンが収められている。しかもそれらは裁縫箱の最上段の引き出しの中身で、引き出しはその下にまだ二段あった。

「そっちにはなにが入っているの?」

 老女はにこりと笑って、二段目、三段目と裁縫箱を開いて少女に見せる。そこには、様々な色や柄の端切れと、おそらく老女の手作りと思われるワッペンが詰まっていた。

「近頃は目も見えにくくなってしまいっぱなしにしてたんだ。どれ、お気に入りのものがあったら服に付けてあげるよ」

「ほんと!?」

 少女は興奮気味に老女を見上げた。老女は「もちろん」と頷く。

 再び裁縫箱のなかへ視線を落とした少女が「うーん」と呻きながら、ワッペンや端切れを取り出して見比べたりする横で、老女は針に糸を通し、エプロンドレスの修繕に取りかかった。

 もう随分長く針と糸を触っていなかったが、かつては裁縫は好きで、町の主婦たちから依頼されて簡単な手直しを請け負って小銭を稼いでいたこともあった。

 森番の家に嫁いだとはいえ、森番の仕事そのものは夫の領分で、妻である自分には、森の入り口の祠の世話などすることはあったが、基本的には家で夫を待つ暮らしだった。だから、裁縫はそうした時間を有意義に使う手段だったのだ。

 そんな日課も侘びしい一人暮らしになってしまってからはついぞ遠ざかってしまっていたが、久しぶりに手を動かすと、身体は覚えていてくれた。

 老女はすいすいと針を動かし、少女の愛らしいエプロンドレスの姿を整えていく。

 少女はいつのまにか、そんな老女の手元を食い入るように見つめていた。

「あらあら、それで、どれにするかは決まったのかい」

「あ、うん! これと、これ」

 二つのワッペンを老女に差しだし、「いい?」と問うように少女は上目遣いに老女を見る。老女は頷いた。

「お花とお星さまだね。すぐに付けてあげるから、もう少し待っておいで」

「わかった」

 暖炉のなかで薪がパチパチと爆ぜる音がして、揺れる炎は寄り添う二人の顔を暖かな色で照らす。

 一幅の穏やかな絵のような、小さな家の午後の姿だった。

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