第3夜 焼き芋

 落ち葉焚きをするからおいでと、教会のお手伝いさんに誘われて行ってみれば、教会の裏庭は久しぶりに手入れがされてこざっぱりとした様子になっていた。つい数日前まで、少年の身長と同じくらい丈のある雑草が地面を覆い尽くしていたというのに。

 お手伝いさんの手を縋り付くように握って向かった裏庭には、既にたくさんの子供たちが集まっていた。院の子も町の子も入り交じって庭じゅうを走り回ったり、木登りをしたり、ジャングルジムやシーソーで遊ぶ子らもいる。

 落ち葉焚きは、庭の中央でもう始まっていた。

 地面に浅く穴を掘って落ち葉を集め、周囲に薪や大きい枝を組んで燃やす。子どもたちがむやみに火に近づかないように、穴の縁には煉瓦が置いてあった。火は既にかなりの勢いで燃えていて、少年の背丈の上のほうまで明るい色が伸び上がっている。そんな燃え盛る火にまったく無頓着で遊んでいる子もいれば、焚き火の外周に座り込んできゃあきゃあと賑やかにお喋りしている子らもいた。

 そしてそんな誰もが、お手伝いさんと一緒に歩く少年に気づくと視線を投げかけ、そしてまた友達のほうへと戻す。関心を向けても、すぐに興味を失って少年を無視する。院で何度か顔を合わせた子でさえ、彼に声をかける者はいなかった。

 子どもたちの視線から逃れるように少年が顔を俯けると、お手伝いさんが言った。

「大丈夫。まだみんなどう声をかけたらいいかわからないだけで、すぐに友達ができるよ」

 少年はそうやって励ますお手伝いさんの優しげな顔を仰いでうなずきつつも、「本当にそうだろうか」と心のなかで思う。

 自分は誰からも望まれていなくて、だからみんな自分のことを無視するのではないかと、少年は考えていた。

 だって、少年の両親ですら我が子のことをいらないと感じて、わざわざ隣町の保育院へと預けたのだから。

 保育院には、いろんな事情で預けられた子たちがいる。少年のように親がいて(名目上は)一時的に預けられている子が半数くらいで、残りの半分は、自分の親を知らないか、幼くして身寄りをなくしてしまった子たち。いずれの子も、やがては親と再会するか親代わりの人を得て保育院を去ることもあれば、お手伝いさんのように大人になるまで保育院にいて、そのまま保育院で働く人も希にいる。

 自分はきっと後者だろうと、少年は思う。

 そのとき、遊びやお喋りでがやがやとうるさい裏庭のどこかで、ひときわ大きな鳴き声が上がった。その声を咎めるように発せられる、険悪な怒鳴り声も。それを聞いたお手伝いさんが「しょうがないな」と、困ったように呟く。

「ごめんね、焚き火の近くで待っててくれる?」

 そう言って、半ばしがみつくようにくっついていた少年を引き離して、声のしたほうへと走っていく。掴むもののなくなった手を下におろせないまま、少年はお手伝いさんの姿が見えなくなるまでぽつんと立ち尽くしていた。そうしてから、言われた通りに焚き火の近くで待つためにとぼとぼ歩き出す。

 間近に熱さを感じながら見る焚き火は、綺麗だった。その輪郭は一瞬たりとも同じものがなく、少年は瞬きすら惜しんでその変化に見入った。周囲の子どもたちの喧噪も、お手伝いさんを待っているということさえ忘れて目の前の火に夢中になって眺める。

 そうしていると、

「ねえ」

 不意に右耳のすぐ側で声が鳴った。驚いて横を向くと、女の子の目が驚いたように少年を見ていた。目線の高さはほとんど同じで、彼女も少年と同じ七歳くらいかなと想像する。

「焼き芋できたって。貰いに行かないの?」

「え?」

 気が付いたら、火の周りに集まっていた子の姿が周りからすっかり消えていた。どこへ言ったかと見回せば、焚き火の側に立っている大人の周囲に集まって、大人からなにかを受け取っているようだ。

 けれど、少年はとっさに女の子にどう言葉を返して良いかわからない。突然のことで頭が真っ白になって、冷や汗が全身から吹き出す。口は声も出ないままぱくぱくと動くばかり。

 そんな少年の奇妙な行動に呆れたのか、不気味に思ったのか、女の子はやがてなにも言わずに少年の前から離れていった。それで一気に緊張が解けて、少年は立っていられずにしゃがみ込む。火が少年の情けなさを責めるようにゆらゆら激しく揺れた。お手伝いさんが戻ってきたら、すぐに返ろうと決める。外へ出ようと誘われて出てきたけれど、やっぱり自分は人前に出てきてはいけないのだ。誰からも必要とされていないなら、できるだけ誰の目にも触れないように密やかに過ごすべきなのだから。

 目頭が熱くなって下を向く。膝小僧におでこをのせて、腕で膝を強く抱え込んだ。

「はい」

 その声とともに、甘い香りが少年を包む。その匂いに釣られて顔を上げると、またもや女の子の顔がすぐ側にあった。彼女はアルミに包まれた焼き芋を両手に半分ずつ持っている。

「食べよう?」

 押しつけられるように焼き芋を受け取って、少年は不躾にも女の子の姿をまじまじと見つめてしまう。着ている服や雰囲気から、彼女が院ではなく町の子だというのはすぐにわかった。赤色の長い髪を綺麗に二つ結びにしていて、つり目がちな目は緑色。なんだか不機嫌そうな顔をしているように見える。

 少年に焼き芋を持たせることに成功した女の子は、当たり前のように少年の隣に同じようにしゃがんで、焚き火へ目を向ける。焼き芋を両手で包んで時折鼻先を近づけて、食べられる温度になっているかどうかを見極めようとしているようだ。

 少年も女の子をまねて両手で焼き芋を持つ。アルミが熱を遮断して手は熱くならないが、焼き芋が十分に熱くなっていることはなんとなくわかった。焼き芋に鼻を寄せると、風で冷えた鼻先がじんわりと温まる。

「最近来た子?」

 女の子は少年が院の子であることはお見通しらしく、そう訊ねてきた。

 少年はうなずく。片手の指を目で数えて、

「五日目」

 そう答える。

「この町の子?」

「隣町。親に預けられた」

「そうなんだ」

 女の子はなんでもないことだとばかりに軽く相づちを打って、意を決したように焼き芋にかじり付いて、「あつっ」と小声で悲鳴を上げて口を離した。

「このお芋、うちのお父さんとお母さんが作ってるんだ。保育院の子たちに食べて欲しいからって、売るのとは別に作ってる」

「畑の子なの?」

「うん。教会のお手伝いで院にもよく来るし、神父様の授業に出るようになったら、あたしもいるから会えると思うよ」

 保育院の子どもたちは町の学校には通えない。学費を払うことができないからだ。その代わりに、保育院と一続きになっている教会で、神父様が保育院の子たちに授業をしてくれる。少年はまだ来たばかりで身の回りを整えたり、院のルールや町のことをお手伝いさんについて教えてもらっている最中で、授業には出たことがない。

「町の学校に通わないで教会に来てるの?」

 そう訊ねると、えへへ、と女の子は照れ笑いする。

「学校、嫌になっちゃって。それで神父様に相談をしに行ったら、こっちの授業に出てもいいよって」

「せっかく学校に行けるのに……」

 保育院へ入ってしまえば、どれだけ望んでも学校へは行けなくなる。少年も、七歳の誕生日に入学した学校を辞めることになった。

「今のわたしには、学校よりも教会へ行くことに意味があるの」

 女の子の、火を見つめる目に力が籠もる。

「いろんな子がいるよ。ここには『特別』も『変わってる』もない。どの子も誰とも似ていない。普通だとかそうじゃないとか、比べることなんてできないんだ。それを覚えておいて」

 女の子は言い切ると、手元の焼き芋に息を吹きかけ、今度こそ一口かじり取った。

 少年は返す言葉を失って、焼き芋に口をつけた。口に含むと、皮の焦げ目の苦さと中身の甘さが混じり合った味が一杯に広がって、さらには燻した香りが、わずかながら鼻の奥をつんと刺激した。

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