第190話 君を救う/排除する
脇部英雄の逃走は、どんな状況であっても正しく戦略的撤退である。
それは最早、本能と呼ぶべき何かであった。
己は非力である、――ならば他人の力を借りるべし。
己は非才である、――だから策を講じなければならない。
己は有限である、――そして相手も有限である。
(栄一郎の態度に騙されちゃダメだ、その表面だけに囚われちゃダメだ)
例え本人が本心から出した言葉でも、その裏にはその人の歴史と目指すべき未来と呼ぶべき展望がある。
読みとらなければならない、将棋の天才の様に何十手先までとは行かずとも、せめて二歩先ぐらいには。
(…………ふう、落ち着いて考えるなら我が家ってね)
屋上から逃走した英雄は、そのまま授業丸ごとエスケイプ。
アパートまでたどり着き、部屋へと駆け込む。
「感心しないな英雄、授業を狡休みとは学生のやる事じゃないぞ?」
「いやいやフィリア、ズル休みこそ学生だけに許された――……はい? どうして家に居るの僕の奥さん?」
「愚問だな、私はキチンと姉さんに許可を貰って早退してきたぞ。――しかしタクシーに負けるとは、鍛え方が足りないのではないか英雄?」
「無茶言わないで? というかそっちじゃなくてさ、君が早退した理由を聞いてるんだけど?」
「それこそ愚問だな、……君が私を必要としている気がしたから先回りしただけだ」
「…………僕は、良い奥さんを持ったみたいだね」
「うむ、もっと誉めてチヤホヤすると良いぞ」
靴を脱ぐなり卓袱台につっぷす英雄、そんな夫にフィリアはコーラを差し出す。
その何気ない行為が、英雄の琴線に響いて目頭が熱くなった。
「疲れている様だな、無理もあるまい。……どうだろうか膝枕のサービスの用意があるぞ?」
「んー、今はいいや。気持ちは嬉しいけど君の体温の溺れて帰ってこれなくなちゃいそうだし、今そのワードは聞きたくない」
「そうか? 私の母性マシマシの膝枕はご所望ではないと」
「…………なんかトゲがない?」
「気のせいだろう。では君のママにはなれないが、子供のママになる準備は万端の私に癒されるというのはどうだろうか」
「待って、ねぇちょっと待ってフィリア?」
「どうした愛しい旦那様、もしや――昼間から後ろの穴を攻められたいと?」
「夜は攻められてる様な言い方しないで? っていうか、もしや君ってば盗聴してたねっ!?」
「それに答える必要はあるか?」
「あると思うけど?」
コイツまたやりやがったな、という視線を向ける英雄。
対し、素知らぬ顔で微笑むフィリア。
二人の間だに火花が――散らずに。
「クエスチョン!! 私は何故、知っていたか当てて見ろ!!」
「アンサー!! 学校の監視カメラを使ってリアルタイムに監視してただろう!! 最近、骨伝導イヤホン買ったの知ってるんだからな!!」
「…………ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサー……って古くない?」
「うむ、実は一度言ってみたかったのだ」
「なら仕方ない、答えは?」
「正解だ、賞品としてポテチをやろう」
「わあい、でもこれ僕が買ったヤツ!!」
「だが今なら、君の事が好きで好きでたまらない愛しい新妻のあーんがついてくるぞ?」
「――――愛してるよフィリア!!」
「私も愛してる、英雄」
肩の強ばりが取れた英雄は、ほっと胸をなで下ろし。
フィリアはそんな彼の口元に、甲斐甲斐しくポテチを運ぶ。
二人の右手と左手は、仲睦まじく指を絡め合って。
「それで、どう解決するんだ? 悪いが私は後方支援しか出来ないぞ」
「それで十分さ、……もしかして気遣ってくれてる? 僕の問題だから立ててくれてる?」
「それもある」
「それも? 他には?」
「もう一つはサプライズにして、今の状況ではジョーカーになりうる可能性だ」
「ふーん、つまりウヤムヤに解決する類の事だね?」
「察しが良くて助かる」
「まー、多分そのジョーカーは使わずに済むと思うんだ今回は」
フィリアにもポテチを食べさせつつ、英雄はうんうんと頷く。
冷静になり、フィリアが側に居るという事実だけで思考はこんなにもクリアになるものか。
「まだ証拠は無いんだけどね、どうも栄一郎の行動は言葉通りじゃない気がするんだ」
「というと?」
「女装は意表を突く為――じゃなくて、僕の記憶を呼び戻そうって感じじゃないかな」
「言動の方は?」
「ヒーロースピリッツとやらは本気だけと本心じゃないね」
「理由は? 私には本心から言っている様に見えたが」
「ま、そこは何年も親友やってないさ。そもそも栄一郎がその気なら、出会った直後からヒーロースピリッツとやらを取り戻す行動を起こしていた筈だよ」
「ふむ、……理屈は通るな」
「今回の事は多分、遅かれ早かれって気がする。切っ掛けに誤魔化されちゃダメだってね」
「ならばママ発言はどう取る?」
「アレこそフェイクにして、最大限に注意を払うべき事柄だね」
英雄は直感していた。
本人が何処まで意識しているかは分からないが、ママ関連の発言こそが、彼の奥底から発せられたメッセージの側面、或いは裏側だ。
(まったく……机栄一郎め。随分と悪いタイミングで事を起こしおって……)
考え込む英雄の隣で、フィリアは眼孔鋭く虚空を睨む。
彼女の愛する人は、彼を救おうとしているが。
(危ういぞ? 貴様は私の一線を越えかけている)
フェイク、英雄は先ほどフェイクと言った。
彼がそう言ったならば、フィリアにも想像はつく。
ママという発言は、彼女を刺激しない為の迷彩だ。
(アイツは英雄に何かをしようとしている……、だが英雄は見破った、そして私も気付いたならば)
容赦はしない、しかし。
(我が夫の親友である事に感謝するのだな、――――手段と方法は選んでやる)
後は、机栄一郎という人物がどう行動するかだ。
フィリアの精神が研ぎ澄まされていく中、英雄もまた一つの答えを出して。
(何を気にしているかは聞き出すとしてさ、――栄一郎はなんで僕に嫌われようとしてるのかねぇ)
言い換えれば。
(敵になって、僕に罰されたい? 冗談でしょ)
英雄はフィリアと繋がる手に込める力を強くする、彼女もまたそれに答えて。
「僕は、栄一郎を救うよ」
「だが失敗した時は、私がアイツを全てを使って排除するからな」
「うん? ちょっとぶっそう過ぎない?」
「そうか? 愛する夫を寝取ろうとしているんだぞ? 仮にそれがフェイクでも君を害そうとしているんだぞ? ん? ん? 我、妻ぞ? 脇部英雄の妻ぞ?」
澄んだ瞳で濁った気配を漂わせるフィリアに、英雄は苦笑して告げた。
「よし分かった、その時は全身全霊でやってね!」
「へあッ!? 止めないのかッ!? 私は本気だぞッ!?」
「いやぁ奇遇だね、僕も本気だよ?」
「貴様が親友を妻に傷つけさせるとッ!? あり得ないッ!?」
「ま、そこは君のジョーカーの効き目次第で。そもそも僕は栄一郎を救えるって信じてるし。それに……」
そして英雄はフィリアに微笑んで。
「――信じてるから。君って人はさ、そういう心意気で居てくれた方が僕にとって最前の結果を導いてくれるって」
「…………得難い伴侶を持ったのは、私か」
「そうかい? 僕だっていつもそう思ってるけど?」
フィリアもまた、英雄に微笑む。
二人はどちらともなく顔を近づけて、キスをする。
「ところでこの後はどうする? まだ昼ご飯にも遠いよね?」
「では、君の好きな海外ドラマはどうだろうか。新妻は恋愛ありのホームコメディがお好みだぞ?」
「うーん、じゃあフレンズとかどうだろう。実は僕まだ見たことないんだ!」
「よし、それで行こう。じゃあ私の背もたれになってくれるかダーリン?」
「手はお腹にだね! よしきた!」
そして二人は、昼間からのんびりと過ごしたのであった。
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