第170話 目覚めたかもしれない



 英雄の愛の過重力が発覚して数日、表面上は小康状態に見えたが。

 それはあくまで彼が耐えてるだけだ、とフィリアは部屋に帰ってから痛感した。

 何故ならば。


「その手を離せ」


「まあまあ、そう言わないでよ」


「良いから、その手を離せ」


「どうだろう、ちょっと考えてくれても良いと思うんだ」


「…………ええいッ!! 良いからその手を離せっ!! 私はトイレに入りたいんだッ!! 一緒に入ろうとするんじゃないッ!!」


 つまる所、こういう事態であった。

 確かに英雄は不安定さを増していた、授業中、休み時間に関わらず常にフィリアを視界に入れ。

 教師達に注意されても止めない、新婚という事でお目こぼしされてはいるが。

 それも何処までという話で、対策を練ろうとしていた矢先の事である。 


「なぁ、よく考えろ英雄……。確かに愛しい私と一秒も離れたくないという気持ちは解できる、――だが私はそうしなかっただろう?」


「でもフィリアは、トイレは盗撮してたよね?」


「ふむ? なんの事だ?」


「そこで清々しい程にしらを切れる君が好きさ」


「ありがとう、だからと言って。男性と女性ではトイレに一緒に入る重要度が違うと思わないか?」


「いやいやフィリア、それは性差別ってもんだよ」


「差別ではなく、区別だ。――そもそも、普段から何かと脱ぎたがる上に脱糞までした君に比べれば、私は十二分に慎み深い」


「つまりこう言いたいワケだね、親しき仲にも礼儀アリって」


「そうだ。もし仮に許可してしまえば、学校でも同じ事をするに違いないからな」


 そう言って、フィリアは扉を閉めようとしたが。


「――――おい? 英雄? 流石に私もキレそうなんだが? ちょっと尿意がヤバいのだが?」


「待って、少しだけ待ってよフィリア。僕、良く考えてみたんだ……」


「手短に」


「ウチの学校なら愛を理由にすれば、大抵のこと大丈夫じゃない?」


「そこに気づくんじゃないッ!! いったいウチの学校はどうなっているんだッ!!」


「君の言って良い台詞じゃないねぇ」


「確かにそうだが、ともかくッ!! いくら新妻で世界一美しくて可愛い私のトイレまで付いていきたい気持ちは分かるがッ!! レディーに対するマナーと倫理を弁えろッ!!」


「うーん、いつもは僕が言う立場だけど。こういうのも新鮮だね」


「そう言って入ってくるなッ!! 扉を閉めるんじゃない鍵を今すぐ解除して出て行けッ!!」


 拳を振り上げたフィリアに、英雄は座り込むと彼女の足に縋りついて。

 いくら風呂と一体型とはいえ、窮屈さは感じる。


「一緒にトイレに居させてよおおおおおおおおおっ!! 不安っ! 不安なんだよおおおおおおおおっ!!」


「何処が不安なんだっ!! 自宅のトイレだぞッ!?」


「不安なんだ……君がトイレで気張り過ぎて肛門が切れたり、頭の血管が切れたりしないかって」


「どんな心配をしているんだッ!?」


「そんな日常の危険に気づいてしまったら……、僕、僕は不安で堪らないっ!!」


「そんな心配なんて気づくなッ!! 道路の小石まで心配するつもりかッ!! それよりも私の膀胱を心配しろッ!!」


「――――安心してよっ! 世界一美しいフィリアは排泄シーンも綺麗だって僕信じてるから」


「信じるなそんな事ッ!!」


 果たして、どうすれば英雄をトイレから排除出来るのか。

 フィリアはタイムリミットを間近に感じながら必死に言葉を紡ぎ出す。


「逆になって考えろッ!! 英雄も私に排泄する姿を見られたら嫌だろうッ!!」


「今なら理解出来る…………、フィリアに見られるならそれってちょっと快感じゃない? 逆の立場ならそう言うでしょ」


「畜生ッ!! 否定出来ないッ!!」


 愛の因果応報、このままアブノーマルに目覚めてしまうのか。


(これは非常に不味いッ!! 私の経験によると、変態趣味に目覚めるのは愛の重力過多の第二段階ッ!! ここから先は悪化する一方だぞッ!?)


 危険な趣味に目覚めた英雄に興味が無いと言ったら嘘になる、だがフィリアとしては正しい英雄こそ、英雄だと思うのだ。

 だから――。


「…………英雄、正直に言おう。私の膀胱もそろそろ限界だ」


「女神様の聖なる水を直接見れるんだねっ!」


「馬鹿者ォ!! 今なら前の君の苦労が痛いほど理解できるッ!! 止めてくれてどれだけ有り難かったかッ!! だからッ!! ――――私は君を説得するッ!!」


「なるほど、聞かせてよ」


「…………将来、子供達に誇れる父親の行いか? 子供達の前で母親のトイレに付いていく姿を見せるのか? ――――英雄、君の望む幸せとはそういう姿だったか」


 その言葉に、英雄はぴしりと固まって。

 おろおろと視線をさまよわせた後、頭を抱えて。


「そ、そ……それでもっ!! 僕はフィリアのウンコを食べたいんだ!!」


「悪化してるじゃないか馬鹿者オオオオオオオオオオオオオオオッ!! 私ですら躊躇ったラインを踏み越えるんじゃないッ!! 余計に拒否するぞ英雄ッ!!」


「どうだい? 男らしいだろうっ! 勇者英雄くんって称えてくれて良いよ」


「胸を張って言うなっ!! ちゃんと下調べして言ってるんだろうなッ!? 数日前から食事に厳しい制限して、限りなくばい菌を少なくてから行う事だぞッ!! 迂闊に行えば胃が破壊されるどころか、命の危険が本当に確実に大なんだッ!!」


「大だけに?」


「上手い事を言ったつもりかッ!!」


「というか、何でそんなコト知ってるの?」


「…………………………姉さんがな。必死に止めたんだ、あの時は本当に、本当に大変だった……」


 遠い目をするフィリアに、英雄は真剣な顔で頷いて。


「僕が馬鹿だった、――――おしっこだけで我慢する」


「飲む気かッ!?」


「トイレの中でも、君が僕の為に何かしてる。それこそが重要なんだ。飲むのは興味本位でしかないよ」


「余計に悪いッ!!」


「大丈夫、フィリアも新しい趣味に目覚めるさ」


「それは目覚めたらいけない趣味だッ!! 」


「アレも嫌、これも嫌って我が儘じゃないフィリア?」


「君が一番のワガママだッ!! 愛の為と言い訳すれば全てが許されると思うなよッ!!」


「うーん、これはブーメランだねっ!」


「うーん、こ? ウンコを諦めて居なかったか貴様ッ!!」


「いやそれは偶然だよっ!? 濡れ衣だ!!」


「あ、それはすまない」


「ごめん、紛らわしい言い方だったね」


「じゃあ用を足すから出て行ってくれ」


「うん、ごめんね邪魔して」


「……」


「……」


 ぱたんと扉が閉められ、ガチャっと鍵のかかる音。


「しまったあああああああああああっ!? つい出てきちゃったっ!?」


「取りあえずそこで正座しておけ、トイレの前で待つのは許してやる。それからお説教だからな」


「ウゴゴゴゴゴ、僕は逃げるべきか。せめて音だけでも堪能すべきか…………」


 彼女がトイレにかかった時間は、そっと心の中にしまっておいた英雄であったが。

 ともあれ、出てきたフィリアは怒り心頭で。


「よく心に留めておけ。次に私のウンコが食べたいとか小便を飲みたいと言い出したら――――」


「せめて聖水とか言わな「英雄?」はい真面目に聞きますっ!」


「私は容赦なく、警察に通報しよう。決して這寄の金と権力を一切使わないで、釈放されても迎えに行かない事を誓う」


「はいっ! 今後一切言いませんっ!!」


「本当だな?」


「そっちこそ、僕が正気に戻ったら言い出さないでよ?」


「正気じゃない自覚があるなら自重しろ?」


「ううっ、ごめんよフィリア……まさか僕が自分の愛の重さで苦しむなんて……」


 項垂れる英雄を、フィリアは優しく包み込んで。


「私としても、君の愛に最大限応えたい……。だがな、それで傷つく姿を見たくないんだ」


「ありがとう、僕を止めてくれて。君はやっぱり最高の奥さんだよっ!!」


「ふふっ、それが言えるのなら。まだ君は大丈夫だな。――そうだ、一緒にポテチを食べるか?」


「映画もアリ?」


「ああ、特別に私が後ろから抱きしめてやろう」


「わーお、立場が逆になるってのも良いものだね」


 今までとは逆さまな状態の二人は、新鮮さを感じつつ仲良く過ごしたのだった。

 

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