第166話 メモリーズ



「…………はぁ、何でこうなるかなぁ?」


 フィリアの昏倒から数時間、今、英雄は病院に居た。

 彼女がバナナの皮で滑った時と同じ病院、奇しくも同じ病室だ。

 彼は焦げたズボンを履き替える事もせず、眠り姫になった彼女の側に居て。


「――――ふむ?」


「…………あれえっ!?」


 一方その頃、二人のフィリアは奇妙な体験をしていた。

 上も下の概念も無い、暗闇ばかりが広がる奇妙な空間。

 そこに、ポニーテールのフィリアと髪を下ろしたフィリアが。


「おい、事態は分かるか?」


「貴女こそ、分かるんですか?」


 二人とも首を傾げ、同一人物なのだから当たり前だがまるで鏡を見ている様で。


「…………こうして見ると、奇妙な感じだな」


「それはこっちの台詞です、何です? その仏頂面は、クールって誤魔化すにも限度がありませんか?」


「そっちこそ、そんな気の抜けた顔……、英雄に愛されるにマヌケ面だな」


「残念、私は貴女です。何を言ってもブーメランですよっ」


「なら、この仏頂面もブーメランだな」


「うぐっ、何ですか不器用女っ!!」


「誰が不器用だッ! 普通になっても英雄を堕とせなかった癖にッ!」


「ハァーー? 馬鹿じゃないですか? 貴女が将来において実行しようとしていたペルソナが私ですぅーー、不器用はそっちじゃないですかっ!!」


「なんだとッ!!」


「なんですかっ!!」


 がるる、キシャーと睨みあうフィリア達。

 だがそれも一瞬、すぐに両者肩を落とし。


「…………はぁ、同類嫌悪の最たるモノだな」


「ええ、くだらないにも程があります……」


「もう分かるな、この空間が何か」


「貴女もです、――これは、私達の心の中」


「記憶の統合が始まってる、……のだろうな」


 ポニーテールのフィリアは、もう一人のフィリアを見つめる。

 彼女の体は少しずつ記憶という光に変換されて、そしてそれは己も同じ。

 お互いから離れた光が、混じり合って周囲に様々な記憶を映し出す。


「…………座るか」


「そうですね、ここで一緒に新しい私の誕生でも見ましょうか」


 二人は感じていた、英雄の目論見通りに二人が二人のまま混じり合い、新生しているのを。

 そして確信もしていた、新生には少し足りない。

 それを、今から行うのだと。


「見つめ直さなければならない、か……」


「仕方ないですね、今の私達に決定権はありません。――私たちの核となる私が、そう望んだのですから」


 この空間に居る二人は、現実で出現した二人とは少し違う。

 それぞれ、違う役割を持った側面で。

 ――彼女たちの前に記憶が映し出されて。


「英雄さんと初めて出会った時……」


「これは――記憶を想像で補完しているな? 我ながら器用なものだ」


 映画館でポップコーンを食べながら鑑賞する気軽さで、二人は映像を眺める。

 金髪のふとっちょの、少年と見間違うような少女は校舎裏でえぐえぐと泣いていて。


「英雄さんがやってきて、裸足の私に靴を貸してくれたんですよね」


「昔の私は本当にデブな少年だな、英雄が勘違いするのも無理はない。……いや、本当にデブだ。」


「さっきから何です? 自己否定入ってません?」


「そういう役割だ、肯定は君がしろ」


「ならそうします、はぁ~~小学生の頃の英雄さんも素敵っ!」


「誰が英雄を肯定しろとッ?」


「いえ、だって自分自身ですよ? デブなのはお姉ちゃんへのストレス、短髪なのはお姉ちゃんへの反抗心、更にこの頃は日本語に不自由で……ええ、イジメられるのも、醜い姿だったのも、必然だったのでしょう」


 もう一人のフィリアの言葉に、フィリアは成程と頷いた。

 彼女を肯定したのではない、彼女の役割を確認出来たからだ。


「私が否定、君が肯定か……それもマイナスすら肯定するとは」


「そういうモノですから、というかポニテの私? さっきから英雄さんの事も厳しい目線で見てません?」


「助けてくれたのは有り難いが、最後まで私が女だと気づかないし。小学生にあるまじき無茶をしてるし、……何より、英雄にとって助けた大勢の一人が気に食わん。もっと私を覚えてくれても良いじゃないか」


 むすっとするポニテのフィリア、それを見て苦笑するロングのフィリア。

 映像は進み、アメリカに居る彼女が軟禁まがいで生活を送る様子が写る。

 まだ幼い彼女は、日本の使用人から送られた英雄の隠し撮り写真や、調査ファイルを見て想いを募らせて。


「思えば……姉さんなど振り切って、英雄の所に押し掛ければ良かったんだ。――これが、全ての間違いだ」


「そうですか? 離れていても一途に思う、ある意味もう一つの原点ですよっ! これがあるからこそ、英雄さんと添い遂げられた、偶発的ですがこの私も生まれたんですっ! 素晴らしい事じゃないですかっ!!」


「いいや、間違いだ。――私は清廉潔白の普通の女の子であるべきだったんだ。たった一つの思い出だけで生きていけた筈だから」


「後ろ向きですねぇ」


「お前は前向き過ぎる」


 どちらも、フィリアとして欠けてはいけない要素。

 思えば彼女は、英雄への愛で行いから目を反らしていたのだ。

 記憶が進み、英雄が入院した報告でフィリアの行為と好意はエスカレートし始めて。

 そして高校の入学式。


「我ながらやる事が過激だな、英雄に気づかれずにアパートを一年がかりで改装とは……」


「いやー、英雄さんって結構狙ってた子が多かったですけど。みんな説得に応じてくれて良かったですねっ!」


「そうしなければ英雄を独占出来なかっただけだ、――私は、勇気が出ない私を意気地なしと称する」


「誰だって想いを伝えるのは怖いですよ、それに……気づいて欲しいって、その乙女心はそんなに悪いモノですか?」


「その乙女心とやらが、愛衣のラブレターを盗み家に火を付けて同棲に持ち込んでいるが? ――金と権力が無かったら、今頃は犯罪者で檻の中だ」


「恋は戦争と言います、先に射止めた方の勝ちです」


「結果的に愛衣は越前とくっついたがな、彼女がもし本気で愛してたら私の居場所など無かった」


「でも愛衣ちゃんも、英雄さんを独占しようと手を打っていたでしょう? フェアな勝負だったのでは? それに愛衣ちゃんは、愛情ではなく憧れと打算でしたし」


「結果論だ」


「貴女のは仮定ですね」


 意見は平行線。

 フィリアが告白された時も、婚姻届を貰った時も、ローズに結婚の許しを得た時も、バレンタインの時も。

 ポニーテールのフィリアは否定して、髪を下ろしたフィリアは肯定する。

 そして、記憶の中で美蘭が現れる。


「この時、思ってしまったんだ。……英雄は私じゃなくて、美蘭さんと結ばれるべきだったのではないか、と――」


「英雄さんの最初の指輪、欲しかったですねぇ……でもですよ? あれ本当に玩具ですし、当時から英雄さんは美蘭さんに友情しか感じてませんしノーカンで良いのでは?」


「でも不安になるだろうッ!! 英雄の全ての初めては私と一緒でなければならないんだッ!! それが過去でも未来でもだッ!! ――思うだろう? 私にもっと勇気があればッ! 私がもっと早く出会えていたらッ! 私に……、私がもっと普通の女の子ならッ! 英雄は最高の男なんだッ! もっと私じゃなくて相応しい存在が居るはずなんだッ! そう思ってしまえば耐えられないッ!! 結婚出来て嬉しいのに、後ろめたく感じてしまうッ!!」


 それは今までフィリアという存在が、無意識に感じていた不満と不安。

 髪を下ろしたフィリアは、ポニーテールのフィリアをそっと抱きしめて。


「私は……その不安を肯定します、その不満も、独占欲も、愛も、全てを肯定します」


「ありのままを晒け出せと言うのかッ!! 嫌われたらどうするッ! 英雄の愛されている今のこの状況こそ奇跡なのにッ!!」


「ええ、だからこそ……私はその奇跡を大切にしなきゃいけない。英雄さんが愛する今の私を、肯定しなきゃいけない」


「――ッ! ~~~~嗚呼ッ!! 作られたお前が何でそんな事を言うッ!!」


「作られたこそですよ、私は貴女の不安を解消する為に、貴女が無意識で望んだ人格。――英雄さんに愛されたからこそ産まれた、……貴女自身」


 記憶は流れる、英雄の不安そうな顔、欲求不満な顔、切なそうな顔。

 そして、悲しそうな顔。


「…………何なのだこの場所は、何のために私に苦しみを思い出させるッ!!」


「分かってるでしょう私? これは私が新しい私に、英雄さんの隣に正々堂々と立てる私になる為に」


「過去を……愛に溺れて目を反らすのでは無く」


「未来を不安に思って、愛に甘えるんじゃ無くて」


「否定して」「肯定して」


「「前に進むために」」


 二人のフィリアの声が揃った、途端、彼女達の体は光となって混じり合い。


「…………起きたら、私はどうなって居るのだろうな」


「たぶん、前よりちょっとだけ普通の女の子の様に素直になって」


「前よりちょっとだけ、自分自身を反省してると?」


 最後に二人は笑いあって、意識が一つに戻っていく。

 そして、確かに一人となって。


(…………ここは、病院か? 随分と長い夢を見ていた気がするな)


 目を開けたフィリアは苦笑した、勿論、夢などと本気で考えている訳ではない。


(ふむ……、あの性格の時の記憶もあるな。連続性はある、…………人間、やれば出来るものだな)


 全て、全て覚えている。

 記憶喪失になっている間だの行動、言動、感情、全てが自分の事として認識出来る。

 ――ふと、手を握る暖かな感触に気づいて。


「――おはよう英雄。…………うん? 寝てしまっているのか」


 然もあらん、走り回ってこの顛末だ。

 目覚めるまで意識が持たなかったのだろう。

 フィリアは、そんな英雄にキスしようと上半身を起こし。

 ガチャン、と金属音と共に首がつんのめった。


「く、首輪ッ!? どういう事だッ!? お、おい英雄起きろッ! なぜ私は首輪を付けられているッ!?」


「うーん、むにゃむにゃ――――…………はっ!? 目が覚めたのフィリアっ!? 頭大丈夫っ!?」


「バカになった様な言い方をするな、たんこぶが痛いぐらいで健康そのものだッ! いいから首輪を説明しろッ!!」


「そ、その言い方…………フィリアが元に戻ったっ!!」


「ふふふ、今のこれまで以上に素敵な女だ。記憶喪失になっていた間の記憶もちゃんとある、どうだ? やれば出来る女だろう!」


「いや、威張る事じゃないよね?」


「もう少し暖かな言葉をくれないか? 愛する妻の復活だぞ? 泣くぞ? ――じゃなくて首輪だ、何故私は首輪をつけてるんだ」


 不満そうに口を尖らすフィリアに、英雄はあっさり答えた。


「だって、フィリアってば側に居ても何しでかすか分かんないじゃん? だから、僕が守っておこうかなって」


「…………………………成程?」


 言いたい事は理解できる、今のフィリアには痛いほど受け入れられる。

 だが。


(のわあああああああああッ!? 頼むッ! もう一人の私よ今一度出てきてくれっ!? これはダメなヤツだッ! 英雄がダメな感じになってるぞッ!!)


 彼女は直感した、こんなのは序の口だと。

 絶対に、絶対に英雄の好意はエスカレートすると。


(もう一人私が居れば、良いアイディアが浮かぶかもしれないのにッ!! このままだと英雄によってレディコミみたいな溺愛監禁イチャラブ生活が始まってしまうッ!!)


 たかが首輪、されど首輪。

 少しはまともな人間に近づいたフィリアは、確信を持って未来予想図を描き非常に焦ったのだった。


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