第164話 日記帳なんて見たくない



 硬直する英雄に、フィリアは懇願するように叫んだ。


「英雄さんは私を、本当にっ、今の私を見てくれているんですかっ!?」


「そ、それは――」


「見てる、そんな嘘なんて言わないでくださいっ!! 本当に私を見てくれてるならっ! 前の私の日記なんて奪わないっ!! 今も二人で授業を受けてるんですっ!!」


「…………」


 ごめん、すまない、どちらも英雄には言えなかった。

 言える筈が無い。

 

「どうしてですか? 一緒に二人で暮らしてっ、仲良くやっててっ! でも心はちっとも通じないっ!!」


「フィリア……」


「フィリアなんて呼ばないでっ!! もっと違う名前が良かったっ!! 前と今の私は違うっ! 英雄さんが私を呼ぶと、いつも前の私に向けられてるっ! 違いますか? 違わないでしょうっ!!」


「…………そうだね、前の君と今の君は違う、理性では分かってたんだ」


「本当は違ったんですよね? 英雄さんにとって今の私は愛したフィリアじゃない……、だから心のどこかでいつも前の私を求めてたっ!!」


「………………僕を、好きなんだね」


「そうですよっ! 英雄さんが口説いたんじゃないですかっ! 英雄さんが親切にしてくれたんじゃないですかっ!! 英雄さんがキスしてくれたんですっ! 英雄さんが優しくしてくれたんですっ! 一緒に暮らして一緒に食べて一緒に寝てっ、――――好きにならない訳が無いでしょう!?」


 涙を流すフィリアを、英雄は黙って見ていた。

 確かに彼は彼女を好きになる様に、好きになって貰えるように努力していた。

 ……でも、どうしようもなく前の彼女を求めていた。

 だから、きっと、こうなるのは回避できない結末で。


「私は消えたくないっ!! せっかく英雄さんを好きになり始めたのにっ! 前なんか関係なく愛してるかもしれないのにっ! でも英雄さんは前の私を諦めないっ! 諦めてくれませんっ!!」


 英雄は歯を食いしばって、彼女に告げた。


「――それでも、僕はフィリアを愛してる」


「狡いっ!! 狡い狡い狡いっ!! 私は貴男に愛して貰うために生まれたのにっ!! 私が愛されたのは前の私があったからですっ!! 何故? 何故なんですっ! なんで、なんでなんでなんでっ! 前の私だけ愛されるんですかっ! 私は何のために今ここに存在してるんですかっ!!」


「……今、愛して貰う為に生まれたって言ったね」


「そうですよっ! 私には最初から自覚があったっ! 英雄さんに愛して貰うために生まれたって! でも――それは私には負担でしかなかったっ!」


「だからあの時、美術室で爆発したんだね?」


「その時に私から負担を除いたのは英雄さんですっ! 私はきっと、あの時に自分の意志で英雄さんを好きになった……好きに、なったんですよぅ…………」


 力なく項垂れるフィリアに、英雄は心を鬼にして問いかける。

 彼の第六感が告げるのだ、この期を逃してはいけない、と。


「君は、この日記を最後まで読んだ?」


「読むものですか……、それを読んでしまえば、きっと私は私でなくなってしまう、人魚姫のように泡となって消えてしまう、嫌、嫌よそんなのぉ……」


「やっぱり、これが鍵だったか」


 英雄は冷静を装って、だが日記を持つ手は震える。

 当たり前だ、記憶を失ったとはいえ愛する存在が消えたくないと哀れに泣くのだ。

 心が痛む、そう表現すら軽い重みに潰されそうになって。

 でも。


「ごめんねフィリア、――僕はこの日記を君に燃やさせはしない……絶対にだ」


「どうして……どうしてですかっ!!」


 答えなど決まりきっている、そしてそれは前も、今の彼女も見落としていた事。


「君の悪い癖だよフィリア、君はいつもそうだ」


「何がですかっ!!」


「これだから言葉が必要なんだ、愛する君をこれからも愛する為に、言葉が必要なんだ。――君は肝心な時に不安になって間違えちゃうから、僕がせめて寄り添う為に」


「分かりません……分かりませんよぉ!」


「だから言うんだ、よく聞いて『フィリア』」


 英雄は両方のフィリアへ、伝われ、伝わってくれと言葉を紡ぐ。


「この日記を燃やしたらさ、前の君が好きな僕の気持ちはどうなるの?」


 そして。


「もし君が記憶を取り戻さなかったら、前の君への僕の愛は何処へ行くの?」


 更に。


「ねぇフィリア……どうして僕は君以外の女の子を愛さなきゃいけないの? たとえ体が君としても……今の君は君じゃないでしょ」


「――――あ、ああっ、嗚呼、嗚呼――ぁ……うああああああああああああっ!!」


 その瞬間、フィリアは頭を抱えて髪を振り乱し。


「わ、私はッ!! 英雄を傷つける為にっ――違うっ! 貴女は手放したっ! 違うッ! 英雄の為に…………うるさいうるさいうるさいっ! 五月蠅いのは貴様だッ!!」


「え、あ、あれっ!? フィリアっ!?」


「抱きしめてくれ英雄――来ないで英雄さんっ!! こんな女抱きしめる価値なんてないっ! 幸せにおびえて勝手に居なくなるような――違うッ! 英雄はもっと幸せになる筈だったんだッ!!」


「…………ま、混ざってる? もしかして混ざってるのっ!? ちょっと待ってて、今お医者さんを呼んで――「行かないでっ!」


 スマホを使う事も忘れて走り出そうとした英雄の手を、フィリアはがっちり掴む。


「ええいッ! なんでこんなモノを着て――貴女が用意してたんでしょうっ! 脱いでやるこんなモノッ! ああっ! 制服まで脱げちゃいますっ!!」


「…………え、ええーー? どうしよう、これ?」


「お前は手出しするなッ! 英雄に抱きしめられるのにこんなの無粋でしかないッ! 止めてくださいっ! ご丁寧に武道の記憶は残さないでっ! 普通の女は武道で段は持ってないんだッ! 可愛い奥さんになるには不要だッ!! それがエゴなんだってさっき英雄さんが言ってたでしょっ! なんで今更出てきたんですっ!!」


「うーん、何か奇妙な感じ」


 一人の体で言い争う光景に、英雄は落ち着きを取り戻していた。

 恐らくは、今のフィリアは前のフィリアが作り出した別人格で。


「フィリア? もしかして……ずっと見てたの?」


「そうだッ! そうなんですかっ!? この卑怯者っ!! 誰が卑怯者だッ! 人が気絶した隙に体を乗っ取ってッ! 私がどれだけ歯がゆかったかッ!! 今なら解りますよっ! 聞いてください英雄さんっ! 前の私はいずれ今の私にバトンタッチする為に作り上げたんですっ! とんだエゴイストですよこの女っ!! 愛とはエゴだッ!!」


「…………そうだねぇ、取りあえずさっきまでのシリアス返して? 僕の決意とか心の痛みとか色々返して?」


 つまり、フィリアは英雄の妻として普通になろうと計画していた。

 その事は日記に示唆されて。

 だが頭を打つというアクシデントで、彼女が考える普通が人格を持って体の支配権を持ってしまった。


(流石はフィリア……、僕の常識をぶち壊してくれるなぁ……)


 理由が分かったならば、この場をどうやって収拾すればいいのか。

 医者に見せるとしても、今の彼女達は興奮状態で。


「取りあえず、帰ってポテチとジュースで落ち着かない? 武者型パワードスーツも脱ぎたいでしょ」


「まだだッ、この泥棒猫を消してからだッ! この脇部フィリア! 己の分身とはいえ容赦はしないッ! あったま来ましたよクソ女っ! 消えるのは貴女ですっ! 私がこれから英雄さんを口説いてメロメロにするのを墓場で指をくわえて見てなさいっ!!」


「まあまあ、仲良くしようよ二人とも。どっちも自分自身でしょ?」


「何を暢気なッ! 妻のピンチだぞッ!! どっちの味方するんですか英雄さんっ! 勿論私ですよね? こんなエゴだらけの変態より、普通の女の子の私ですよねっ!?」


「ええー? そんなコト言われてもなぁ……」


「英雄ッ! 英雄さんっ! 愛されたいのはドチラの私ですかっ! だッ!!」


 薙刀片手に胸ぐらを掴むフィリアに、英雄は困った顔しか出来なかった。


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