第163話 今の私を見てください



「英雄さん? 私は今……とても怒ってます。理解できますか?」


「いやフィリア? この状況でそれが分からないのはただのバカだと思うよ?」


「なるほど、では英雄さんはバカだと」


「なんでっ!?」


「分かってないからです、――私の怒りを」


 ズゴゴゴと音がしそうな威圧感、フィリアは座った目で薙刀を英雄の鼻先に突きつけて。


「ねぇ……想像してください英雄さん。貴男しか頼れるヒトが居なくて、貴男に愛を囁かれて、貴男が居ないと心細い人間、ええ、そんな人物が居るとしましょう……」


「うーん、フィリアの事だね?」


「ですが貴男は消えた……、誰にも、何も告げずに、――たった一人で、たった、たった一人で」


「なんで二度繰り返したの?」


「しかもその哀れな女の子は、英雄さんに大切な物を奪われて。親にも親友にも見せた事が無い、大切な物を……奪われたのです」


「ふーむ。……つまりこの日記を返せと?」


「いいえ、いいえ英雄さん……。私は考えたのです、魂から感じた、そう受け取って貰ってもいい」


「じゃあ貰っても良いんだね?」


「まさか」


「じゃあさ、どうするの?」


 英雄の問いかけに、薙刀を持つ手に力が入る。

 それを彼は見逃さない。

 攻撃の直前こそ隙が生まれる、冷静さこそが彼の武器。

 力まず、見逃さず、退路を計算しながら。


「――燃やしま「あばよおおおおおおおお」ふわっ!? しまったっ!?」


 瞬間、英雄は遁走した。

 薙刀を掴み刃を畳に向け、踏みつけにして突き立てる。

 そしてそれこそが第一歩、捕まらない様に彼女の脇を前転、そのまま靴を掴んでドアから外へ。


「へっへーんだっ! あんな重いもん着てたら早く走れないでしょっ! 対して僕は靴を履いたっ! 走りながら履くのには馴れてるっ! 後は安全な場所に――」


「――……ひいいいいいいいいいでええええええええええおおおおおおおおおっ! さあああああああああああああああああんっ!!」


「ゲェーー!! フィリアっ!? チクショウそうだったっ! 前は西洋の鎧で追いかけてきたじゃんっ!? あの時ってば追いつかれたじゃんっ!? 嘘だろおおおおおおおおおおおっ!?」


 走る、全速力で走る、だが後ろには猛追してくるフィリア。

 しかも徐々に距離を縮めて。

 然もあらん、彼女が着ている武者鎧はあの時の西洋甲冑より遙かに動きやすそうな形をしている。

 そして。


(あああああああああ! 思い出したっ!? そういえばフィリアってばパワードスーツみたいなの開発してたじゃんっ!! 絶対あれ中身ソレだよねっ!? 僕不利じゃんっ!? 超絶不利じゃんかっ!?)


 更に悪いことに、白昼堂々と不審な武者に襲われる高校生という構図だが。


「おやまぁ、あれ英雄ちゃんじゃないか」


「本当だね婆さんや、となると追いかけてるのはフィリアちゃんだね?」


「元気ですねぇ」


「仲が良いのう……婆さんや、手でも繋ぐかい?」


「ええ、そうしましょうか」


 などと、心配する気配すらない。

 誰もかもが微笑まし気に笑って。


「がんばえー、おにいちゃーん!」


「ありがとーー! って手を振ってる場合じゃないんだよ僕っ!?」


「待てえええええええっ! この浮気者おおおおおおおおおおおっ!!」


「なんでそうなるのさっ!?」


 顔見知りの小さな子に、暢気に挨拶してる場合ではない。

 角を曲がり右へ左へ、当然の様にフィリアは追走してきて。


「お命頂戴しますっ! テヤァ!! ホワチャッ!!」


「ぬわああああっ!? 切れてるっ!? 制服切れてるしちょっと血が出てないっ!? マジで切れてないっ!? 本物の薙刀だよねそれっ!? マジで死んじゃうからっ!?」


「安心してくださいっ! 峰打ちなんて生ぬるい事はしませんっ! 深手で勘弁してあげますっ! 背中の傷は恥では無いと知りなさいっ!!」


「いやああああああああああっ! 誰か男の人呼んでええええええっ!? 僕の体が傷物にされちゃうううううううううう!?」


「大丈夫ですっ! 英雄さんが傷ついた場所はっ! この身に後で同じ傷を与えますっ! それでこそ対等な関係っ! 男女の仲と言うものっ!!」


 ブンブンと振り回される薙刀、制服を犠牲にしつつ英雄は速度を上げる。


(もう少しっ! もう少しで目的の場所だっ!)


 フィリアと同棲し、初めて命と尊厳の危機を覚えたあの日から。

 万が一に備えて、アパート周辺の地図を頭に叩き込み。

 地図に記されていない場所があるかもと、確かめる為に何度も歩き回り。

 万全を期して、――今。


「助けてお巡りさん!! 殺されちゃううううううううううううっ!!」


「ああっ! 卑怯ですよ英雄さんっ!? 国家権力に頼るなんてっ!?」


「お、どうした英雄く――このご時世に鎧武者っ!? 命を狙われているのか英雄くんっ!!」


「そうです助けてお巡りさんっ!! 僕を守ってっ!!」


 到着したるは交番、英雄は躊躇無く中から出てきたお巡りさんの背中に隠れて。


(助かった……、警邏に出かけて居ない可能性もあったけど……、良かった、本当に良かった……)


 最悪、フィリアに前科一般がついてしまうかもしれないが。

 少なくとも英雄の命は助かる、最悪でも時間稼ぎになる。


「――待て、待つんだそこの武者。彼を殺そうとするのは止めなさい」


「応援っ! 応援を呼んでお巡りさんっ! 凶悪犯なんだこれで二回目なんだっ!!」


「聞いてくださいお巡りさんっ! これは正義の戦いなんですっ! 理由を聞けば分かるはずですっ!」


「……ふむ、そう言ってるが? 英雄くん」


「騙されないでっ!! フィリアは今、正気を失ってるんだっ! 僕の危険が危ないんだっ!!」


「と言ってるが? えー、フィリアさ……うん? ちょっと待った、彼女は君の恋人の這寄フィリアさんじゃないか?」


「今は――妻、です。戸籍を確認してもらっても構いません」


 英雄を止め、そして日記を燃やす為ならとフィリアは躊躇い無く妻を自称して。

 妻という響きに、体が喜びの声を上げるのが無性に悔しくて英雄を睨む。


「ひぅっ!? 見て!? 見たでしょお巡りさんっ!? 僕を殺そうとする目だっ!!」


「ふぅむ……、フィリアさん。何故に英雄くんを追いかけ殺そうとするのだね?」


「――――英雄さんが、私とあの人を天秤にかけているからです」


「成程…………そうか、そうか……」


 考え込む巡査、英雄は固唾を飲んで彼の決断を待ち。

 フィリアは確信を持って、言葉を重ねる。


「愛の為です、分かって貰えませんか?」


「……………………痴情の縺れ、本官が発見した時には犯人は錯乱していた。そう言う事で良いだろうか?」


「っ!? マジで言ってるのっ!? 警察っ!? お巡りさんっ!?」


「ええっ! 最悪の場合はそれでっ! 感謝しますっ! 覚悟してください英雄さんっ!!」


「ええいっ! こんな所で捕まってたまるかああああああああああああっ!!」


「待ちなさいっ!!」


 再び駆け出す英雄、追いかけるフィリア。

 お巡りさんはそれを見事な敬礼で見送って。


「すまない……すまない英雄くん……、この市には痴情の縺れに決着がつくまで首をつっこむ無かれと、暗黙の了解があるんだ…………」


 そしてもう一つ、このお巡りさんは英雄達のOBでもあって。


「強く……強く生きろ英雄くんっ! 君は本官の様にはなるなっ! 本官の様には~~~~っ、うううっ、なるんじゃぁないぞっ!!」


 何か思い出を刺激されたのか、泣きながら敬礼を続けて。

 そんな事を知る由もない英雄は、全力で疾走を続ける。


(公園っ! ブランコがあるっ、それなら――)


 奇しくもそれはフィリアが家を焼いた日、英雄に拾われたあの公園。

 アパートからも近いその公園に、英雄は遠回りしてたどり着いたのだ。

 二人はすぐに、ブランコを挟んで対面する。


「…………ほう? 観念したのですか英雄さん?」


「どうかな? 起死回生の一手があるかもしれないよ?」


「起死回生の一手とは――――、これの事ですか?」


「ほわっ!? 鎖を切ったっ!? 嘘だろっ!? 謝れっ!! 近所で楽しみにして遊んでいる子供に謝れっ!!」


「ふんっ、何を言うかと「謝れ」


「後で業者を「謝れ」


「ごめ「謝れ」


「謝れ」


「……」


「……」


「…………ご「謝れ」謝ろうとしてるじゃないですかっ!? というか誤魔化されませんよっ! 話題をあからさまに反らそうとしてっ!! 覚悟してくださいっ!!」


 再び薙刀は英雄の顔面に突きつけられ、事態は振り出しに戻る。

 だが違う事もある、部屋とは違い逃走は容易い。

 そして、激しい運動の後でフィリアは少し落ち着いた様に見えた。


(――この瞬間は、フィリアにとってチェックメイト寸前。……油断、してる筈さ)


 前のフィリアなら油断などしなかっただろう、だが今のフィリアにはその経験が無い。

 もし体がそう訴えていても、今の彼女がそれに何処まで従うだろうか。

 どちらにせよ、逃走する隙ぐらいはある筈で。


「じゃあフィリア、少し話をしようか……」


「話? この期に及んで時間稼ぎですか?」


「そんなんじゃないさ、君に日記が燃やされる前に僕はその理由を聞いておきたい」


「理由など、必要ですか?」


「――――君はさ、前のフィリアが存在した痕跡を僕から奪うつもりかい? 君からの愛を失った僕の、たった一つの思い出まで奪うつもりかい?」


 それは、禁じ手とも言える言葉だった。

 勿論、思い出の品は沢山ある、記憶にも確かに残っている、何より愛を失ったなど……砂粒ほども思っていない。

 だが、だがそれはフィリアの心に痛みを与えて。


「…………ぁ、――あ、ああっ、私、私はっ」


「そんなつもりじゃない?」


「そうですっ! そんな事っ! 私は英雄さんを傷つけるつもりなんてっ!」


「でもさっき、薙刀で傷つけようとしたでしょ」


「ああ、それは必要経費です」


「それで片づけないで? ――じゃなくて、もう一度聞くよ。…………なんで日記を燃やすんだい?」


 すると彼女は、唇が白くなるほど噛みしめて。


「分から、ないんですか? 本当に?」


 震える声、苛立った様に手まで震えて。


「言ってくれなきゃ確信が持てないよ、そりゃあさ? 言葉が無くても伝わる関係ってのは憧れるし素敵だと思う、僕らもそうなれたらって考えるけど……その前に、きちんと口にして伝える努力が大切だと思うんだ」


「…………狡いです、こんな時まで正論で殴るなんて」


「正しさが全てに通用するとは思えないけど、正しさがなけりゃ間違いにだって気づかない。――僕はそう考える。だから教えてよ、今の君の気持ちを」


 フィリアは目尻に涙を浮かべ睨み、しぶしぶ薙刀を下ろす。

 英雄は逃げない、逃げる時ではない。

 彼女は彼の目を真っ直ぐに見て。


「――――今の、今の私を見てください英雄さん」


 その言葉に、英雄は目を見開いて。

 何も、何も返す事が出来ずに佇んだのであった。



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