第162話 彼女の記憶から消えた僕
(――さて、データはそろそろ出揃ったと思うんだけど)
英雄は今、珍しく誰にも無断で早退し帰宅の途中。
やるべき事、そして考える事があるのだ。
テクテクと足を進めながら、思考は回る。
(フィリアの記憶喪失、みんなは頭を打った衝撃による悲劇で偶然の産物だと思ってる。――僕も、最初はそう思ってた)
だがそれは違う。
今の彼女と過ごす内に彼女を知る内に、姿の無い疑念は徐々にその輪郭を表して。
(……たぶん、頭を打ったのは切っ掛けに過ぎない)
遅かれ早かれ、似たような事が起こった筈だ。
確信はある、何故なら医者は彼らに告げたのだ。
――肉体では無く、精神が原因だと。
(フィリアの怪我はたんこぶ一つ、軽い脳震盪。精密検査の結果、脳に損傷は無し。そして今後、この怪我が原因で後遺症が発生する確率はゼロ)
這寄の家が金と権力を総動員して得られた結果だ、ならば揺るがない確定事項とみていいだろう。
ならば、精神が原因とは何か。
(ここで考えるべき点は二つ)
一つ目は、記憶喪失。
何故、記憶を失う必要があったのか。
二つ目は、英雄への執着――否、愛情。
どうしてそこは残したのか。
(フィリアが愛重い人種だから、それで納得しちゃいけないよね)
無意識下での愛があったからこそ、周囲は安心して彼女を英雄に任せてくれている。
――言い換えれば、英雄とフィリアは一緒にいられる様になっている。
(つまり、記憶を失う前からフィリアは僕と離れる事を望んでいなかった)
それは結婚した事からも、確かな事の一つと言っていい。
(記憶を失う、それは偶発的に起こったのかもしれない、いや、きっとそうだ)
誰がバナナの皮で滑って頭を打つなど予想出来る、しかも結婚したその日にだ。
わざわざ計画する意味も意義も無い。
(となれば、記憶喪失の意味は……たぶん手段)
意識的にしろ、無意識の発露にしろ、フィリアは自分の記憶を失う様な思いを抱いていた。
そう考えるのが自然だ。
(けど、あのフィリアが? ――みんなはきっとそう考えるよね)
しかし英雄は別だ、前のフィリアの事を良く知っている。
(ああ見えて、フィリアは弱い部分がある女の子だ)
思い詰めて、家を燃やして同棲に持ち込んだり。
それがバレたら、拉致監禁に及んだり。
行動力溢れる強い人だと言う人も居るだろう、だが英雄に言わせれば弱さの裏返しに他ならない。
(だからさ、……きっとこれはフィリアの意志なんだ)
メッセージ、訴えと言い換えても問題ない。
彼女は結婚前から何かを心に秘めていて、事故によって偶発的に発現してしまったのだ。
(確証は何もない、けど僕には正解にしか思えない)
前のフィリアから今のフィリアに、その変化には絶対に意味がある。
(……少し整理しよう、フィリアは普通の女の子みたいになった)
その意味は何だ。
(非凡な少女が普通を求める、……それは変化だね。じゃあ何のために変化を求めたんだろう)
現状から変化を望む、それは今に満足していなかった事だ。
では、何に満足していなかったのか。
(――フィリアは、自分自身に満足してなかった?)
だが彼女という存在は、己に満足していないのなら努力する人間だ。
決して、記憶を失うという手段に出ない人物だ。
ならば。
(努力でどうにも出来ない問題、……既に起こった事、それかそこから来る感情。――この問題の先を考えるには手がかりが足りないな)
ではもう一つ、体に残った英雄への愛情だ。
(たぶん、いやきっと。フィリアは僕への愛は捨てたくなかった)
捨てては意味が無い、或いはその必要があったのだ。
(フィリアの行動原理は何だ? 考えるまでも無い、――僕だ)
つまり愛だけが残った理由は、英雄とフィリア、二人の為だろう。
だが、そうなると疑問が発生する。
(記憶をまっさらにしてでも、愛を残した理由って何だろう)
その時、英雄は直感した。
逆、逆ではないのかと。
(まっさらにする事、それこそが意味?)
精神的理由が確かだとして、単に変化を求めたのなら記憶喪失になる意味が無い。
(目覚めた時に、記憶はそのままに別人になってる方がよっぽど自然だよ)
となれば、導かれる結論は一つ。
(――――出会いから、やり直したかった?)
何のために、それがフィリアにとって何の意味があるのだ。
「やっぱり、これを開ける必要があるみたいだね」
英雄は制服の内側のポケットに入れていた、フィリアの日記と取り出す。
そう、早退して家に向かっている理由がこの日記。
(体育で着替える時まで持って行かないって、僕は信じてたよっ!)
手に入れたら誰にも見つからない内に、帰って開けるのみ。
そして今、家に到着して。
英雄は脱いだ靴を整える事もせず、自分の机からクリップをひとつ。
それを棒状に延ばし、日記に鍵穴へ。
(ふっふっふっ、手錠の鍵開けが出来たんだ。日記も出来る……出来るといいなぁ)
いざ、フィリアの日記という過去の扉へチャレンジ。
「…………これで、何も変わった事を書いてなかったらホントお手上げなんだけど」
その場合、彼女の記憶が戻らない事を視野に入れて覚悟するしかない。
焦燥感で汗が出る、念のために栄一郎達にフィリアの帰宅を遅らせる妨害工作を頼んだが。
それより早く彼女が気づけば意味がない、この現場を見つかってしまえば関係を崩しかねない。
「分の悪い賭けは嫌いなんだけど――、おっし開いたっ!」
カチャっと小さな音がし、日記が開放される。
英雄はごくりと唾を飲み込んで、最初のページを開いて。
(…………あ、これ今年に入ってからなんだね)
一ページ目の日付は一月一日、ちょうど彼女の実家で騒動があった日だ。
(六ヶ月分とはいえ、一字一句読んでたらタイムオーバーになるね、要所だけ拾っていこう)
場合により、これ以前の日記帳も探さなければならない。
時間は有限な以上、無用な手間はかけられない。
静かな部屋に、ぺらっ、ぺらっと紙を捲る音が響いて。
(ローズ義姉さんの時は問題なし、…………バレンタイン……問題なし)
中身は英雄への愛か、日常の他愛の無い事。
経営する会社への指示の覚え書きもあったが、素人目にしても引っかかる所は無く。
(そんで祖父ちゃんの家に行った時も問題無しで、それで結婚直前の――――うん?)
手が止まる。
(…………まて、これは何時から?)
慌てて前のページを確認して、更にその前へ。
それを何度か繰り返し。
(フィリアはマリッジブルーだった、つまり不安、けど……そんなのが祖父ちゃんチの、美蘭をフった直後から続いて……?)
曰く、――己は英雄の結婚相手に相応しいのか。
曰く、――結婚して、英雄は幸せになれるのか。
曰く、――どうして指輪を贈ってくれないのか。
曰く、――もし、普通の女の子であったのなら。
曰く、――もし、二人の「………………英雄さん?」
背後から声が響いた、冷たく、暗く、地の底から響くような声。
バっと英雄が振り向くと、そこには表情の抜け落ちたフィリアが靴も脱がずに佇んでいて。
いや、彼女の変化はそんな小さな事では無く。
「――――見て、しまったんですね?」
「なんで武者姿なのさっ!?」
鎧兜は勿論の事、右手に持った薙刀、背中には弓矢、腰には太刀。
英雄は己の死を覚悟した。
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