第154話 お嫁さんではありません
結婚しようとも、記憶喪失になろうとも。
健康であれば、学生は学校に行くのが世の摂理だ。
フィリアをローズに任せ、英雄は一人で登校して。
「おおッ! 我らが新郎がやって来たでおじゃるッ!! ふゅーふゅー! 結婚おめでとう英雄殿ッ!!」
「流石のお前も休み一週間は長かったか? 教室でキス以上はすんなよ英雄! 結婚おめでとう!!」
「待ってたぜラブラブ野郎!」「結婚式には呼べよな!」「おめでとう脇部!」「脇部くんおめでとう!」「ね、ね、這寄さんは?」「ちょっと、これからは這寄さんじゃないでしょ」「あ、そっか。……脇部婦人?」「脇部の奥さん?」「脇部嫁でいいんじゃね?」
等々と教室に入った途端、英雄は祝福の言葉で暖かく出迎えられたが。
「あー、うん、ありがとね」
「およ? 何だか浮かない顔でゴザるね? 新婚早々ケンカでおじゃ?」
「らしいっちゃらしい様な気もするが、這寄さ――いや、フィリアさんって呼べばいいのか? ともかく、とっとと謝っちまった方がいいぞ?」
「残念、……いや、ホント残念。ケンカだったらどんなに良かったか」
「…………ひょっとして、洒落にならない事態でゴザる?」
「うーん、ローズ先生に何も聞いてないみたいだね。この反応」
「おい、おい? 俺は何だか嫌な予感がしてきたんだが? 何したんだ英雄?」
「――――栄一郎、天魔。そしてクラスのみんな、…………全員、心の覚悟をしておいて?」
新婚とは思えぬ英雄の不思議な態度に、栄一郎達はどよどよと不安を思い描き。
「英雄。思わせぶりな事を言ってないで教えろ、嫌な予感しかしないんだが?」
「たぶん、みんなが思った様なコトにはなってないけどさ。…………僕が不安だった分、みんなも不安になってくれたら嬉しいなって」
「拙者達、巻き添えでゴザるかっ!?」
「おいテメェっ!? 余計に不安になるじゃねーかっ!? 本当に何があったんだっ!?」
「まあまあ、ホームルーム始まるし。取りあえず席で待ってようよ」
言葉そのものは何時も通り、だがその声色はどこか疲れ、沈んでいて。
二人に何が起こったのだ、新婚早々コイツらは何をしでかしたのか。
様々な憶測が飛び交う中、チャイムが鳴り教室からローズと茉莉が入って来て。
「皆、揃っているな? これより朝のホームルームを始める」
「はいはーいッ! ローズ先生ッ! 這寄殿――じゃなかった、英雄殿のお嫁さんはどうしたでゴザる!」
「うむ、貴様等が知っての通り二人は結婚した。盛大な拍手と言いたいが…………少し問題が発生してな」
「おうオマエら、これからフィリアが入ってくるが。――色んな意味でマジだ。心して置け」
「や、ヤバイぞ皆っ!? ローズ先生だけじゃなくて茉莉センセもマジだぞっ!?」
天魔の叫びに、栄一郎は神妙な顔で唾を飲み。
英雄はどこか達観した表情。
それが他の者にも、ちょっと不味い事態だと何より雄弁に理解させて。
「――では入ってこい、脇部フィリア」
そして扉が開いた瞬間、誰もが違和感を覚えて。
「はい、這寄先生」
先ず、ポニーテールじゃない。
次に、スカートの丈がいつもより長い。
更に言えば、威風堂々とした雰囲気は何処にもなく――むしろ深窓の令嬢の様な楚々とした。
「はじめまして、脇部フィリアです」
「あー……何かの冗談でゴザる? 結婚したら良妻賢母で夫の三歩後ろを歩くタイプに変貌したとか?」
「……英雄? ジョークにしてはスベり過ぎてないか?」
困惑の中、英雄とローズと茉莉は説明役を視線で押しつけあって。
「小僧、貴様が説明しろ。夫の責任を果たせ」
「そうだぞ脇部、オマエが適任だ」
「ここは教師が責任を持って話すべきじゃないですか?」
「いや、貴様が話せ」「そうだそうだ」
「…………はぁ、じゃあ仕方がないね」
英雄は席から立ち上がり、教卓と黒板の間に居るフィリアの隣に立って。
「シンプルに説明するよ、――バナナの皮で転んで、記憶喪失になった」
「はい、そう言う訳で『はじめまして』クラスの皆様。前の私とは大分違うと思いますが、よろしくお願いしますねっ!」
「――おじゃっ!?」「マジっ、かっ!?」
「ホワッツっ!?」「え、え?」「はぁっ!?」「ちょっと着いていけないんだけど?」「マジか」「マジなの?」「フィリアさんの偽物が見える……」「こっちの方がお嬢様っぽい」「フィリアさんが普通になったっ!?」
クラス全員が驚愕の視線をフィリアに向けた。
然もあらん。
英雄の前以外では、常に仏頂面の、クールな彼女が。
――屈託のない笑顔を、振りまいているのだ。
「う、うわああああああああああああああッ!? 天変地異の前触れでゴザるッ!? 避難するでおじゃよ皆ッ!?」
「嘘だろっ!? 英雄大好き人間のフィリアさんが記憶喪失だってっ!? もしかしてまた英雄が拉致監禁されるのかっ!?」
「脇部の食事がまた毎回、爪とか髪とか混入するぅっ!?」「今度はあのアパートが燃えるぞっ!?」「脇部と教室でイチャイチャする光景が無くなるっ!?」
等々、様々な叫びが飛び交い。
「落ち着くでゴザるッ!! 我々は大切な事を忘れてるでおじゃッ!!」
「そ、それは何だ栄一郎っ!!」
「フィリア殿が記憶喪失になった、それはつまり英雄殿との関係がリセットされ。ストーカーと重い愛情が制限無しに英雄殿へ向けられる事を意味するッ! しかしでおじゃッ!! ――――それ、我輩達には被害無くね?」
「…………おおっ! よし、みんな解散っ!!」
「解散じゃないよっ!? ちょっとは心配して力になってよみんなっ!?」
落ち着きを取り戻したクラスメイト達に、英雄は一人慌てて。
そんな彼の両肩を、ぽんと叩く者が。
「出来る事はするが、――頑張れ小僧、否、英雄よッ!!」
「嫁のフォローは主にオマエだ、協力はするが頑張れ脇部(夫)」
「担任&副担任っ!? それで良いのっ!?」
教師二人に詰め寄る英雄、それをガンバレーと投げやりに応援するクラスメイト。
そのままホームルームは終わると思われた、――だが。
「はいっ! ちゅ~も~~くっ!! ここで私からお知らせがありますっ!!」
「フィリアっ!?」
「はい、そこの自称私の夫も席に座って聞いてくださいね」
「自称じゃないよっ!? マジだよっ!?」
「記憶喪失なのでノーカンです、そもそも普通の学生は高校生で結婚しませんもの」
「聞いたっ!? みんな聞いたよねっ!? ちょっと僕の心を助けて欲しいんだけどっ!?」
記憶があるなら、絶対に言わない台詞を。
本来の彼女なら、そんな明るい声を出さない筈なのに。
クラス中に奇妙な違和感がぞわぞわと襲う中、フィリアは宣言した。
「――私の記憶が戻るまで、私をこの英雄さんのお嫁さんとして扱わないでくださいっ!! 男女七歳にして席を同じゅうせずっ!! 交際は日記交換からっ!! 私はっ! 断じてっ! 結婚してませんっ!!」
「うごごごごごごごっ、ずっとこんな感じなんだよおおおおおおおおおおっ!! フィリアが、僕のフィリアがお嫁さんじゃなくなってしまったっ!!」
「…………なぁ栄一郎、もしかして思ったより深刻なんじゃね?」
「で、ゴザルな。あのフィリア殿なら、記憶を喪っても英雄殿の嫁のままだと思ったでおじゃが……」
「その……何だ? フィリアよ、我が妹よ、どうしてそんな事を? 少しは英雄の事を考えても……」
「何です? 自称・私のお姉さん?」
「ぐはっ!?」
「ローズ先生が倒れたっ!? しっかししてくれローズ先生っ!!」
「ま、茉莉先生……、わ、わた、私はもう駄目だ…………ごふっ」
「フィリア殿っ!? 何故、ローズ先生もっ!?」
「うーん、説明が必要みたいですね。はい、では皆さん静かに聞いてくださいねーー」
にこやかに告げるフィリアに、全員は押し黙って。
すると彼女は、教卓をバンと両手で叩くと叫んだ。
「確かに前の私は、英雄さんとかいうエロ猿と結婚したのかもしれませんっ! ちょっとウザい程に心配してくれたローズ先生と姉妹なのかもしれませんっ!!」
「え、エロ猿…………ガクゥ」
「ひ、英雄ダイーンッ!? 傷は深いぞそのまま死ぬでゴザルっ!?」
「ローズ先生、ドンマイ……」
「ですがっ!! 今ここに居る私はっ! フィリアという名前さえしっくり来ないんですっ!! いきなり姉妹だとか、夫とかっ!! おまけに新婚生活とかっ!! 下着がえっちなのだらけだとかっ!! スマホの中の写真が英雄さんの際どい写真だらけだとかっ!! 英雄さんの喘ぎ声が目覚ましボイスになってるとかっ! 受け入れられませんっ!!」
ぜーはー、ぜーはー、と息を荒げる彼女はハンカチで額の汗を拭って。
「ところでフィリア? そう言うならハンカチの替わりに僕のパンツを使うの止めたら?」
「え? …………うわバッチィ!! なんで私そんなの持ってるんですかっ!?」
「ううっ、流石はフィリア殿……。ちょっと拙者は安心したでおじゃ……」
「ああ、俺もだぜ。あの這寄フィリアさん、もとい脇部フィリアはまだ彼女の中に残っているんだ……!!」
英雄のトランクスをゴミ箱に投げ捨てるフィリアを放置して、彼らは英雄の所に駆け寄り抱きしめて。
「頑張るでおじゃ英雄殿っ!! こんな二人見ていられないでゴザルっ!!」
「そうだぜ英雄っ!! 俺達はフィリアさんが元に戻るなら何でもするぜっ!! 親友のピンチを放っておけるもんかっ!!」
「その心は?」
「ぶっちゃけ、英雄殿を拒絶するフィリア殿とか? 吐き気を感じるでゴザル」
「このまま放置してフィリアさんの記憶が戻った場合、仲を取り持たなかった俺達が殺されかねない、分かるな英雄?」
「うーん、友情が嬉しいなぁ…………?」
「こらそこっ!! 私はっ、絶対にっ!! 英雄さんのお嫁さんじゃありませんからねっ!! くっつけようとしても無駄ですからねっ!!」
こうして、記憶を失ったフィリアの学校生活は始まるのであった。
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