第150話 失恋



 ――もっと、もっと先だと漠然と考えていた。

 或いは、そんな事を考えていたからこうなったのか。

 美蘭は溢れそうになる涙、感情を堪えて唇を噛む。


(早すぎるわっ!!)


 だってそうだろう、彼女が英雄への想いが露見してからまだ半日と経過していない。

 誰が予想する、こんなにも、こんなにも早くその時が来ようとは。


(まだ、まだよっ!)


 静かに息を吸って、言わなければならない。

 このまま英雄の思い通りに、告げさせてはならない。

 美蘭はきゅっと彼を睨んで。


「チェックメイト? ――ああ、観念してワタクシの物になる気になった?」


「声が震えてるよ美蘭、まったく……君ってば実はウチの家系で一番まともなんじゃないかな?」


「ハッ! 耄碌しましたか英雄? この悪であるワタクシに向かって、まともなどと――片腹痛いですわ!」


「そうかい? ……いや、言い方を変えようか」


「言葉を変えたからって――」


「――もう、止めよう美蘭、君には悪は似合わない」


 英雄の言葉は悲哀に満ちていて、どこか疲れた様にもフィリアには聞こえた。

 彼女にとって、事態が好転するシーンではあるが。

 流石に気が引ける所もある。

 また、他の者も英雄と美蘭の間に流れる空気を敏感に察し沈黙を守った。


(――――嗚呼、嗚呼、嗚呼……なんて)


 なんて嬉しい言葉だろう、そしてなんて残酷な言葉だろう。

 それは即ち、英雄が美蘭の事を正しく理解してくている事に他ならない。

 それは即ち、英雄はもう、美蘭と共にあった過去に戻る事も、この先を共にする意志もないという事。


「…………ワタクシに悪が似合わないとしても、ワタクシのやる事は変わりませんわ」


「そう? 今夜の事で思い知ったんじゃない? ちゃんと伝わってるでしょ美蘭。……僕の覚悟を」


「さあ、口に出さない事は伝わりませんわ」


「じゃあ口にしよう、いいかい美蘭。君が僕を手に入れる為にフィリアとの時を邪魔するのであれば――僕はもう、手段も方法も選ばない」


「例え、自ら尊厳を放棄してでも?」


「そうさ、けどそれだけじゃない。……君が僕ら以外、周囲を巻き込むと言うのなら」


「――今の様に、周囲を巻き込んで抵抗すると?」


 英雄は首を横に、静かに言い放った。


「抵抗するんじゃない、君を追いつめるよ。僕を諦めるまで、或いは……君の精神が狂うまで」


 その瞳は本気の光を灯して、その声色は美蘭の言葉で揺らぐ余地が無く。

 全裸である事が、それを何より雄弁に物語っていた。

 手段も、方法も、己すら省みずに――脇部英雄は脇部美蘭を拒絶すると。


「っ!? そんなコト!! 優しい英雄に出来るワケがありませんわっ!!」


「ははっ、その台詞。動揺が丸見えだよ美蘭。理解してるんだろう? 今日僕は自分の尊厳を投げ捨てた、――君の為に、君を想って」


「違うっ!! 全部、全部フィリアさんを想ってでしょう!! この嘘つき!! 何がおっぱぶに行くよ!! 貴男は絶対にそんな所に入らないっ!! 例えワタクシを傷つける為だったとしてもっ!! 貴男が愛する女の子を裏切る筈がないっ!!」


 涙ながらに叫ばれた言葉、そこに込められたるは情念。

 何故、何故その女なのだ、何故、己ではないのか。

 ――そこに居るのは、己だった筈なのに。

 裏側の言葉は、誰しもに伝わって。

 だが、英雄はそこに拍手を送った。


「いやぁ、理解してくれて嬉しいね。――そうさ、全てはフィリアを愛する為、フィリアと一緒に過ごす為、その為に君のコトだけを考えて、どうやったら、君が僕らの前から居なくなってくれるか、それだけを考えて……いや、今もだね。僕は今の美蘭と一緒に居たくない」


「フンっ!! そんなコトを言っていられるのも今のウチですわっ!! 帰ったら――」


「――帰ったら? 次は無いよ美蘭。僕は今、君に引導を渡しにきた。……否定しに来たって言っても過言じゃないね」


「ワタクシを否定っ!?」


「君自身じゃないよ、……僕と君との思い出をさ」


 美蘭は絶句した。

 彼の言う思い出とは例の夏祭りの事だ、それは彼女にとって大切な、想いに気付く切っ掛けであり。


「――――させないっ、させませんわっ!! それだけは何としてでもっ!!」


「いーや、否定するね。そうじゃなければ、ココに来た意味が無い、……理解してるでしょ? 僕が全裸でいる意味、そうさ、僕は絶対に否定する」


「でもっ、どうやって今否定するというの!! ハッタリなんでしょ! そうだと言ってっ!!」


「こんな酷い僕に愛想尽かすなら、今のウチだよ?」


「嘘よっ!! 英雄はやさしいもんっ!!」


「仕方ない――フィリア、預けてた指輪ちょうだい?」


 その言葉に、全員がフィリアに注目した。

 彼女は気まずそうな顔で、スカートのポケットから玩具の指輪を取り出す。


「~~~~っ!! それはフィリアさんが持っていていいものじゃありませんっ!! 今すぐ返しなさい!!」


「それはダメだ、さぁフィリア、僕に返してよ」


 二人は手を差し出し、彼女はビクっと一歩後ろに下がる。


「念のために聞くが、何のために必要なんだ?」


「英雄にもう一度、もう一度! 渡して貰う為よ!!」


「この川に捨てる」


「英雄っ!! そんなのって酷いっ!! あんまりだわっ~~~~~~!!」


 ついにポロポロと大粒の涙を流し始めた美蘭、フィリアは咎めるような、思わず感じてしまった嬉しさに後ろめたく思う様な、そんな複雑な表情を英雄に向ける。


「ねぇ美蘭、僕は君に覚悟を見せた、意志を見せた、……僕が愛するのはフィリアだけだ」


「言わないで聞きたくないっ!!」


「いや、聞いて貰うよっ!!」


 己の耳を塞ぐ美蘭の手を、英雄は無理矢理はがし。


「ごめんね美蘭、僕は君とはつき合えないし結婚も出来ない。――どうか、僕の事は諦めてください」


「~~~~ぃ! 狡いっ!! 貴男はワタクシに振り向かせる時間すらくれないって言うのっ!!」


「そうだね」


「あの頃の約束を! 結婚しようって!! ワタクシは信じて生きてきたのにっ!!」


「ごめんね、――僕は少しも覚えてなかった」


「ワタクシが悪になるのだって! 貴男は自分をヒーローだって言ったから! ヒーローには悪が必要だからって言ったから!! ワタクシは貴男の悪になろうってっ!!」


「ごめんよ」


「嘘つきっ!! ワタクシの知らない間に大怪我したと思ったら、知らない間にヒーローなんて卒業しちゃって! しかもフィリアさんと結婚するって!! こんなのあんまりだわっ!!」


「それでも……ごめん」


 美蘭の声無き叫びが響いた、それを英雄とフィリアは一瞬も視線を反らさず見つめ。


「…………貴男は、ワタクシから思い出まで奪うの?」


「君が諦めないなら」


「ワタクシ、良いお嫁さんになる為に、料理も勉強したんですのよ? 洗濯だって、お掃除だって……」


 泣きながら必死に笑顔を浮かべて美蘭は英雄に縋る、彼はそんな彼女をトンと突き放して。


「ねぇお願いっ、大きい胸が好きなら手術しますわっ、金髪が好きなら染めますっ、瞳の色ならカラーコンタクトで、いいえっ、この目を取って義眼を入れるわっ! だからっ、だからお願いっ、ワタクシを選んでよぉ!!」


 哀れ。

 そう表現するしかない彼女の姿に、英雄は張り付けた笑みを崩さず。

 フィリアは胸の奥が詰まる思いをしていた。


(彼女はきっと――選ばれなかった私だ)


 もしフィリアの行動が遅かったら、きっと彼女と同じ行動をして、同じ境遇に陥っていただろう。

 そして今の様に、努力する暇すら与えられずに終わりを告げられて。


(――泣いては、泣いてはダメだ。私は今、絶対に泣いてはいけない)


 それだけは、同情だけは、今のフィリアにする権利など欠片ひとつも無い。

 立ち尽くす彼女の手から、英雄は玩具の指輪を奪い取って。


「もう、いいだろう美蘭? 僕を諦めるか、そうじゃないか。今すぐ答えを頂戴」


「いやっ! いやよっ!!」


「でなければ、僕はこの指輪を川に投げ捨てる」


「~~~~~~~~っ!! ~~~~ぁ、~~~~~~ぃ!!」


 美蘭は抗う言葉を紡ごうとした、だがそれは言葉にならずに口を動かすだけで。

 やがて彼女は力なく項垂れて、英雄に問いかけた。


「…………もし、ワタクシがフィリアさんより先に想いを告げていたらどうしました?」


「ありえないね。仮定の話でも、フィリアは誰よりも先に僕の心を奪うよ。もしフィリアが存在しない世界なら、僕はフィリアの幻影を見て一生独身だろうね」


 即座に返された答え、美蘭は己の恋が音をたてて終わるのを感じた。

 魂の底まで這寄フィリアに染まっている男に、こんなに愛おしそうに言う英雄に、どうやってその心を奪えというのだ。


(だ、ダメっ! 見えないっ、ワタクシと英雄が一緒に居る未来が想像出来ないっ~~~~!!)


 美蘭の目から大粒の涙が再び流れはじめる、積年の想いが少しずつ、少しずつ溶けて消えていく。

 心に空虚が穴が開き始め、痛みだけが全身に伝わって。


(――寒い、寒いわ)


 己の身体を抱きしめて、どうにもならず震えるだけ。

 そんな彼女に、英雄は玩具の指輪を差し出して。


「もう一度だけ言うよ、――この指輪を投げ捨てても良いかい?」


 彼女はのろのろと首を横に、その指輪を受け取り大事そうに抱える。


「…………もう少しだけ、英雄のコトを想っていて、いい?」


「君が、それで諦めるなら」


 美蘭は震えながら頷いて、そして啜り泣く声が辺りに響きわたる。

 一人、また一人をその場を立ち去って。

 唯一、祖母である那凪だけが残り美蘭を抱きしめた。


「……もう、私以外に誰もいないから。今はお泣きなさい」


「~~っ、~~~~ぁ。うわああああああああああああああああああああ――――――――」


 ここに、ひとつの恋が終わった。

 英雄とフィリアは、背中に遠ざかる泣き声を聞いて、立ち止まらずに歩く。


「…………今日は、少し疲れたよ」


 数時間前より痩せたような英雄に、フィリアは彼を抱きしめようとして、――止める。


「今日だけは君を抱きしめないぞ、……他の女を想っている英雄を、抱きしめるものか。…………だが、少しだけ、少しだけなら胸を貸そう」


「……ありがとう、フィリア。僕のお嫁さんが君で良かったよ」


 英雄はフィリアの胸に顔を埋める。


(ごめん、ごめんよ美蘭……。僕は気付かなかった、自分のコトばっかりで、君のコトを何一つ分かってやれなかったっ!!)


 それは傲慢な考えかもしれなかった、何か一つ違えば、彼女を悲しませる事は無かったかもしれない。

 もっと心の傷が浅く、幼い頃の約束さえ、――英雄の思考は千々に乱れて。


(ごめん、ごめんよ美蘭っ)


 涙は流せない、流してはいけない、フィリアは上を向いて、英雄は下を向いて。


「――今夜の天気は雨かもしれないぞ」


「違うよフィリア、雨なんて決して、絶対に降っちゃいけないんだ」


「そうだな、私が間違った。……雨は今日は降らない、降らないんだ」


 それでも二人は、無性に雨が恋しかったのだ。


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