第60話 愛に狂う



 大晦日を明日に控える、静かで穏やかな午後。

 明日の今頃はフィリアの実家で、英雄の両親と含め年越しと正月を過ごすと思うと。

 英雄はワクワクと憂鬱で、心中穏やかではなかったのだが。

 彼に反するように、今日のフィリアはご機嫌だった。


「うむ、やっと届いたな! 何時くるかと待ち遠しかったのだ!」


「ああ、そういえば君ってば朝からご機嫌でそわそわしてたよね。頼んだの何んだっけ?」


「覚えていないのか? 折角二人で選んだというのに……、だが許してやろう! 今の私は寛大だからな!」


「ウッキウキだねぇ、僕は明日を思うと緊張してるってのに」


「意外と神経細いのだな。いったい何が不安なんだ?」


「いやね、僕も楽しみではあるんだ。久しぶりに親と会うし、フィリアの家族に会うのも楽しみだし」


「聞く限りでは、不安に思う所が無いように思えるが?」


「逆に聞くけどさ、君ってば不安にならない訳? 今回、両方の家族が集まるのって。僕らが結婚を踏まえてお付き合いしてるからだよ?」


「それがどうしたんだ? 私としては、一刻も早く英雄の母君に挨拶しておきたいぐらいなのだが」


 きょとん、と首を傾げる自慢の彼女に、英雄は思わずため息を一つ。


「恋人の親に結婚の挨拶するって、男にとってはハードル高いんだけど?」


「だが、絶対に通る道ではないか」


「絶対に通る道だって分かってても、安心出来る道じゃないよね?」


「うむむ、私には分からない感覚だ」


「むしろ何で分からな――――、いや、今のは愚問だったね。失敬失敬、フィリアは良いよなぁ気楽で」


「むっ、聞き捨てならないな。私がプレッシャーを感じていないとでも!」


「そう見えるけど?」


「その通りだ! 今の私には恐れる者など存在しない! 君の母と名前で呼び合う仲になる自信がある!」


「で、どこまで本気?」


 するとフィリアは、顔をくしゃっと涙目になってガバッと英雄に縋りつく。


「どどどどどどどーしよう英雄!! 君の母君に嫌われたら結婚を反対されてしまうのかっ! 君のあの父は結婚に反対しないか? 君をやらぬと言われたら…………ああーーーーっ!! 私はどーすればいいんだああああああああああああっ!!」


「あ、うん、一周回って落ち着いたよ。自分より取り乱す人を見ると冷静になるって本当だったんだねぇ」


「何を一人だけ冷静になっているのだ!! 万が一にもないが私の親が反対したらどうなるっ! 下手を打てば君は東京湾に沈むことになるぞ!!」


「それって、君の家は反社会的な人たちとお近づきな仲にある?」


「いいや、父はともかく母が結構過激でな、自らの手で実行しかねない」


「フィリアのお母さんって何なのっ!? 確かハリウッド女優って話だよね!」


「ハリウッドで女優をしているが、そもそも母はイギリスの貴族のお姫様だったそうだ、――騎士の娘として訓練を受けたとか何とか。その手腕をもって、父を実力でベッドに押し倒したとか何とか」


「遺伝だっ! 間違いなく遺伝だよフィリアっ!? 子が子なら義母さんも義母さんなのかっ!? ちょっと怖くなってきたよ僕っ!?」


「すまない英雄、少し黙っていた事があったんだが」


「………………まだあるの? いや、この手の話は一度にするに限る、続けて?」


「ウチで一番過激なのは姉でな…………私も苦手なのだ」


「へぇ珍しい、フィリアに苦手な人物が存在してるなんて」


「絶対に姉は、姉は……ううっ、くううううううううううっ!! 英雄っ! 生きろっ!! 絶対に生きてくれぇっ!!」


 号泣しそうな可愛い彼女の勢いに、英雄は困惑を通り越して危険関知レーダーがビンビンに反応。


「ちょっと質問、君のお姉さんてば刃物とか得意?」


「義兄の影響で得意になったと以前聞いたな」


「よし、努力友情勝利の週刊マンガ雑誌を…………しまったっ! 全部ゴミに出したんだった!! ちょっと僕買ってくる!!」


「まて、どうしてそうなる? 何故マンガ雑誌が必要なんだ? 何に使うか分からないが、この単行本では駄目なのか?」


「単行本……単行本かぁ、ちょっと薄いし小さくない? これじゃあ、ナイフでお腹を刺された時に防げないよ」


「まて、どうしてナイフで刺されるのが前提なんだ?」


「いやだって、義姉さんってば刃物が得意なんだろう? なら用心は必要さ。うーん、じゃあ防刃ベストでも買ってくるかなぁ、ネットじゃ遅いし…………もしかしたら叔父さんが持ってるかな? それとも防弾チョッキの方が? ミリタリーショップに売ってると良いんだけど」


「何か勘違いしてる様だがな、姉が得意なのは彫刻刀だぞ?」


「抉る気なんだね! それなら強化ガラスのゴーグル……、首を守るモノも必要かな? フィリアの伝手で今すぐ信頼性の高い防具って手に入らない? ネットで調べてフラッシュグレネードもどきでも作った方がいいかな?」


「君は何と戦うつもりだ?」


「だって君の姉さんだよ? きっと愛が重い組に違いないよ。そんでもって、義母さんは剣の嗜みがある、という事はだ。――絶対に刺してくるに違いない」


「私の家族を何だと思ってるのだっ!?」


「言葉にして欲しいの?」


 実に神妙な顔をする英雄に、フィリアはギリリと歯ぎしりしながら苦い声で。


「い、言ってみろっ!」


「恋人や伴侶の事が好きで好きでたまらなくて、ストーカー拉致監禁はお手の物、フィリアはそこまでで済んでるけど。義母さんと義姉さんは、グサーって愛故に刺してくるんじゃないかって疑惑が僕の中で絶賛j急上昇」


「ええい! いくら私達のような人種でもだ! 愛する者や邪魔者を直接害するのは最終手段だと心得てる!」


「ほら! 最終手段って言った!! やっぱ刺すんじゃないか!」


「だからあくまで最終手段だ! 何故、愛する者から見放されるリスクを犯さなければいけない! 嫌われるぐらいなら、見放される直前に一緒に死ぬ!」


「…………なるほど?」


「わかったか!」


「よーく分かった、僕の杞憂みたいだね。君の家族を悪く言ったのは謝罪する、ごめん」


「ふむ、頭を下げる事は無い。私は君に寛容であるし、そう言う誤解を招く風潮が世間にある事は知っているからな」


「ホントに誤解? もし、僕が誰かに襲われた時、フィリアってば犯人を殺さない?」


「安心しろ英雄……、過剰防衛で押し通すつもりだ」


「安心できないっ!?」


「大丈夫だ、我々は理性ある愛重き人種だ」


「その理性って、僕が拉致監禁の時に働いてた?」


「愛は盲目、恋に狂うのではない恋が既に狂気なのだ、などと言う言葉はご存じかな?」


「ご存知かな? じゃないよ? ……はぁ、分かった僕の負けさ」


「勝ち負けの話だったか?」


「だよね、何の話だったっけ?」


 ヒートアップが冷めて、二人は仲良くアルェー? と首を傾げて。

 さて、発端は何だっただろうか。


「あ、そうだ。君が何を注文してたって話じゃなかった?」


「そう、それだ。――ふふ、見てくれ英雄」


「ちょい待ちフィリア、ハサミ使わなくても箱は開けれるよ。貸してみて?」


「……おお、なるほど。側面を押してガムテープを浮かすのだな。そうすれば万が一、ハサミなどで中身を傷つける心配も無いと」


「欠点としては、剥がしたガムテがビローンってなる事だけどね」


「それは捨てたら良いだけの話だな、――でだ。どうだ?」


 フィリアに届いた大きな段ボール。

 中に入っていたのは折り畳まれた布が二つ。

 薄い水色のと、白いレースのカーテン。


「ああ、そう言えば一緒に決めたっけ」


「まったく、ようやっと思い出したか。今使っているのも、君の臭いが染み着いていて悪くはないが」


「え、マジでっ!? 僕の臭いついてるの!?」


「ああ、全身に巻き付けて寝たいぐらいだ」


「ううん、ちょっとフィリアの気持ちが分かんない」


「そうだろうか? 君が私が脱いだ後のブラの臭いを嗅ぐのと同じだろう」


「見てたのっ!? そんなバカなっ!?」


「いや英雄、君ときたら私が風呂から出たのにも気づかずに嗅いでいただろうが、それも何回も」


「ひでおくん、はずかちー!」


「臭いを嗅ぐのは良いが、頭に被って遊ぶのは止めてくれないか? 流石に恥ずかしいぞ……」


「あ、恥ずかしがるのそっちなんだ。了解…………フィリアのパンツは被っても良い?」


「駄目だ、変態仮面ごっこするつもりだろう。アレは男のブリーフが本式だろう? 私のでやったら本物の変態ではないか」


「ダメかぁ、残念だなぁ」


「ばか、残念がるな。――さ、カーテンの取り付けを手伝ってくれ」


「このリングの付いたつっかえ棒に、レースの方を取り付けるんだよね」


「そっちは私がやる、君はもう一つを頼んだ。私では届かないからな」


「ん、了解でありますマム」


 そうして作業を開始した英雄であったが、ふとフィリアを見ると彼女はレースのカーテンをじっと見つめて。


「どしたの? 手が止まってるけど不良品だった?」


「いや、そうじゃなくてな。――どうだ? それっぽくないか?」


 フィリアはレースのカーテンを頭に被り、恥ずかしそうにはにかんで。

 その光景に、英雄の心臓はドクンを跳ね上げた。


「――――…………ぁ」


「む、何か言ったらどうだ?」


 彼女は少し不機嫌そうに口を尖らせて、英雄は目が離せない。


(これが――)


 窓から差し込む日の光に、レースとその下の金髪が輝いて。

 ルージュを引いていないのに、真っ赤な唇から目を反らせない。

 英雄を見つめる青い瞳に、吸い込まれそうになって。


(――――お嫁さん)


 何故だろうか、今、狂おしい程に感情が暴れて。


(フィリアは、僕の)


 衝動のままに奪い尽くしたい、けれど、この神聖な存在を汚してはならない。


(違う、違うんだ)


 衝動のままに全てを差し出したい、訳もなく許しを請いたい。


(今までだって好きだった、愛してる、けどそれ以上の……)


 愛と言う炎で、好きという感情を煮詰め。

 余分なモノを蒸発させて残った、塊。

 熱く堅く大きな、何よりも純粋な、塊。


 心臓がドキドキバクバク、体全身が紅潮してくらくらして。

 英雄はふらついた足取りで。


「英雄?」


「好きだフィリア、愛してる、何より綺麗だ」


「ふふっ、そんな真っ直ぐに言われると照れくさいな」


 言わなければいけない、今この場で、確かに言葉にしなければならない。

 英雄は熱に浮かされた様にフィリアの両手を掴む。

 彼女の瞳に、彼の姿が写って。


「どうか聞いて欲しい、這寄フィリアさん」


「な、なんだそんな真剣に……」


「僕の目を見て、反らさないで」


「あ、ああ……」


「何より大切な事を忘れていたよ、一番最初に君に言わなければならなかった事」


「……うん、聞かせてくれ英雄」


 脇部英雄は、恭しく彼女の右の手の甲にキスをして。


「どうか、僕と結婚してください。僕に、這寄フィリアという存在と一生を共にし、愛し合う権利をください」


 フィリアは、一瞬目を丸くした後。

 涙を流し微笑んで。


「喜んで差し出す。だからその代わりに、私に脇部英雄を愛し愛され、生涯に渡って側に居る権利をくれ」


 紡がれた言の葉に、英雄は己の頬に熱い何かが伝うのを感じた。

 そして、二人は自然にお互いの涙を舐めて。

 両手の指を絡め、顔が少づつ近づいて。

 後は、太陽だけが祝福するように見ていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る