第59話 ネーミング



 愛する者の変化の予兆を、英雄は見て見ぬ振りをした。

 それを突き詰めて、あらぬ事をしてしまえば。

 己自身も取り返しの付かない沼に、ズブズブと入り込むというもの。


 ならば掃除に没頭するしかない、筈なのだが。

 ジャージ姿の英雄に対し、フィリアは白いセーターにチェックのミニスカート姿。

 どう考えても掃除をする格好では無く。


「ひーでーおー」


「ここも綺麗、ああ、ここも綺麗だね。うーん? どこを掃除すれば良いのかな?」


「なあ、英雄? 聞いているか?」


「窓のサッシも完璧に掃除されてるなぁ……、本の整理……は必要ないしなぁ。流石は未来さんだ、僕らが大掃除する必要がないぐらいに掃除してくれてる……いくらお仕事って言っても、これは感謝しないと」


「ひーでお? なあ、愛しの彼女が構って欲しいと言っているぞ?」


「………………一つ言いたいんだけどさ」


「ああ、何でも言ってくれ!」


「最近のフィリアの鉄面皮はドコに行ったのっ!? 僕ちょっと寂しいよ! というか、大掃除するんじゃなかったの!? さっきから僕の背中にくっついてばかりじゃないかっ!?」


「ふむ、――こっちの方が君の好みか?」


「うわーお、即座に切り替えたね。器用過ぎじゃない、僕の可愛い彼女さん?」


 デレデレふにゃっと、だらしない顔をしていたフィリアは。

 その瞬間、仏頂面に戻って。

 英雄としては、瞬きして驚くしかない。


「一つと言ったのに、三つも……と言いたいがそこは愛の力で許そう」


「わざわざ許される事だったかな? まあいいや続けて」


「では大掃除の件だ、これは君も直面した通り。我々に掃除する所など――無い。考えてみれば当たり前だな、我々が普段学校に行っている時、未来が隅々まで掃除をしているのだ」


「だよね、今度一緒に感謝の贈り物でもしようか」


「そうだな。では続けて二つ目。私の表情についてだ」


「かなり興味深いね、理由は?」


「幸せすぎて、表情が緩み続けていただけだ」


「…………なるほど? つまり僕は、鉄面皮を崩した男として誇るべきなんだね!」


「そういう事だ! 父や母、姉にも出来なかった事だ! 誇ると良い!」


「フィリアの家族にも無理だったんだね! それを聞いてちょっと家庭環境が不安になって来たんだけど? というか姉? お姉さん居たの?」


「そうだ。…………記憶からさっぱり消していたが、私には姉が居るのだ…………居るのだ。なあ英雄? 大晦日に帰るの中止にしないか?」


「フィリアとお姉さんって何かあったの?」


「いや何も? あんちくしょうな姉は何も無い、ああ、何も! 無い!」


「分かった、深くは聞かない」


「英雄、そう言う癖に目がキラキラしているが?」


「あ、バレちゃった? いやぁ、楽しみだなぁ!! フィリアが嫌がるお姉さん! きっと楽しい人物なんだろうな!!」


 フィリアにしては珍しく、心底嫌そうな顔をして。

 おまけに舌打ち付きで、鋭く虚空を睨みつける。

 本当に、彼女とその姉に何があったのだろうか。


「…………まあ良い、では気を取り直して三つ目だ」


「待ってました! 実はそれが一番気になってたんだ!」


「おい、私の表情の事は二番目か?」


「うん、だって幸せにトロけてるフィリアも可愛いからね、気になってはいたけど。これはこれでオッケーだったっていうか」


「ふふ、世界一美しく可愛い女の子を幸せにした気分はどうだ?」


「最高だね、男としての充実感ばっちりだ……! 愛する人を幸せにしてる……これ程までに嬉しい事は無いね!!」


「ではそこで三つ目の理由だ。――大掃除をする時間が空いたから、私はとても、とてもイチャイチャしたい!」


 ふふん、と誇らしげに英雄の胸に飛び込むフィリア。

 彼女の金糸の豪奢なポニーテールを、彼は優しい手つきで梳きながら。


「じゃあゲームでもする? それとも映画でも見る? そういえば芸人のコント大会の番組、録画したけどまだ見てなかったよね」


「それも良いが……どうだろうか? 座って将来の話でもしないか?」


「なるほど? じゃあ僕と君の座布団を用意して」


「いや、私のは良い。君の膝に横抱きで座りたい」


「ははあ、フィリアの腕を僕の首に回して。お姫様抱っこで座りたい? イイネ! 最高にイチャイチャしてるって感じだよ!」


「では早速」


「どうぞ、僕のお姫様。……お后様の方が良い?」


「お姫様だ、女の子は何時だってお姫様が良い。――結婚してもだぞ」


「了解、心に刻んでおくよ。それで? 将来の話って何を話すの?」


 ちゅっちゅと、フィリアが頬に何度もキスするを堪能しながら。

 英雄は英雄で、彼女の柔らかな体と心地よい重さに幸せを感じて。


「実はな……君に婚姻届を貰ってから。ある事が悩みの種なのだ」


「悩み? そんな風には見えなかったけど?」


「それはそうだろう。何せ――子供の名前を悩んでいたのだからな!」


「…………………………つかぬ事を聞くけど、妊娠してる?」


「ばーか、君がきちんと避妊しているだろう?」


「不満そうな顔も可愛いけど駄目だよ、高校生だものケジメはつけないとね」


「ばーか、好きだ」


「フィリアの『ばーか』ってやつ、実は僕好きなんだ秘密だよ?」


「ふふ、実は秘密なのだが。君が正論で諭してくれるのが好きなんだ。もどかしいが同時に、私の愛に正面から向き合ってくれる感じがするからな」


「それは嬉しいね、じゃあフィリア? 子供の名前を考えるのは気が早いにも程があると思うんだけど。さしあたって、どんな名前にするの?」


「気になるか?」


「ああ、だって責任と権利の半分は僕にあるよね? なら僕も考えなきゃ」


「ふふ、そうこなくてはな」


 するとフィリアは、ミニスカートのポケットからスマホを取り出してメモ帳アプリをタップ。


「いつ見てもフィリアの指って綺麗だねぇ」


「煽てても、夜にコスプレするぐらいしか出来ないぞ? 取りあえず君の為に手入れを欠かさない指ではなく、このリストを読んでくれ」


「何々? 第一候補、男の子・フィオ、女の子フィオナ……」


「フィリアの『フィ』と英雄の『お』を組み合わせてみた」


「王道だね、第二候補、男の子・英雄二世、女の子・フィリアーナ。………………ちょっと雑になってない?」


「そこなのだ、どうも君と私の名前の組み合わせに拘ってしまってな。英雄の意見が聞きたい」


「ふーむ、これは難題だね」


 英雄は想像を巡らせてみた。

 男の子でも、女の子でも、フィリアの特徴が色濃くでて欲しい。

 金髪で、肌は白くて、目は青くて、それで、それで。


「…………困ったな、新たな問題が浮上したよ?」


「ふむ、興味深い。言ってくれ」


「二人の子を想像してみたんだけどさ、男の子だろうが女の子だろうが。フィリア似の姿しか思いつかないんだ」


「それは困った、私はどちらも英雄似の子が良いんだ」


「それは困ったね」「ああ困ったな」


 二人は微笑んで。


「じゃあこうしよう、男の子は僕似で女の子はフィリア似って事で考えない?」


「いやいや、男の子は私に似て。女の子は英雄似が良い」


「うーん困った」「とても困った」


 幸せに意見が合わない。

 となれば。


「じゃあさ、どっちに似てるかは置いておいて。名前を決めるにあたって、もう一つ重要な事を考えよう」


「と言うと?」


「何人産む? こればっかりはフィリア次第って気もするけど」


「では同時に答えてみよう」


「二人」「五人」


「…………待て、少し多いのではないか!?」


「ちょっと少なくない? 僕、大家族に憧れてるんだけど」


「子供の数は多ければ多いほど良い、と言う事は無い。適正人数というモノがあるだろう」


「そう? まあ子供は授かり物だって言うし、出産が多いと君にも大きな負担がかかるもんね。それはそれとして希望は言うけど」


「…………英雄、何を考えている?」


「大学生になったフィリアは、今よりもっと綺麗になてるだろうし、三十路になったら魅力が更に増してると思うんだ」


「つまり?」


「僕は男として、君を毎年孕ませずにいられないんじゃないかなぁと」


「けだもの」


「返す言葉もないなぁ」


「なら、避妊しない方が希望人数に近づくのではないか?」


「魅力的な提案だけど、それは駄目だね。高校生は高校生らしくいかなきゃ」


 とても真面目に語る英雄の瞳の奥に、頑張って隠そうとしている獣欲を見抜いたフィリアは。


「――ふむ、私とした事が。もっと大切な事を忘れていたぞ?」


「うん? もっと大切な事?」


「そうだ、…………子供はどちらに似るか分からない、そして何人産むことになるか分からない」


「道理だね」


「ならば、だ。――子供を作る所から始めなければならないと思わないか?」


「なるほど? それはとても魅力的な提案だね」


「私とて英雄のの意志を尊重するつもりだ。だから本番に備えて練習して、まずは二人の愛を育むのはどうだろうか」


 仏頂面でもっともらしく言うフィリアに、英雄もまた真面目な顔で頷いて。


「ちょっとコンビニ行ってきて良いかい?」


「ああ、よければ晩ご飯もついでに買ってくると良いかもしれないぞ?」


「…………ねえフィリア? 今日は最初から大掃除するつもりなんてないから、お洒落してた? 朝から僕を誘惑してた?」


「さて、その答えはコンビニから帰ってからゆっくり聞く権利をやろう」


「んじゃあ、ひとっ走り行ってくるよ。僕のファムファタール」


「運命か破滅か、どちらだ?」


「それはコンビニから帰ってから、ゆっくりと聞き出す権利をあげるよ」


 そう笑って英雄はコンビニに行って。

 詳細は割愛するがその夜、畳の染みに気づいて大慌てで染み抜きする二人の姿があった事は確かだった。

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