Ne.29『まったくもってビフィズス菌のチカラではないのだが』
佐原「ちくしょう! これもダメだ!」
根岸「佐原……」
佐原「何度やったってダメなのかよ! 理想のパンは焼けないのかよ!」
根岸「佐原、一旦落ち着こう。そんなんじゃ焼けるパンも焼けなくなる」
佐原「こんな……、こんな今だから俺は! 俺は!」
根岸「落ち着けってば!」
佐原「根岸に何がわかるんだよ! 俺は、俺はパン屋だぞ!」
根岸「わかんないよ、俺はただのサラリーマンだから、パン屋の苦悩はわかんないよ。わかんないけど、いい仕事ができる状態かどうかってのは見ればわかるよ」
佐原「……」
根岸「久々に会ってみたらなんだよ、荒れて暴れて……、そんなのがお前のなりたかったパン屋なのかよ」
佐原「違う……。俺は、パンでみんなを笑顔にしたかったんだ……」
根岸「小学校の頃からの夢、叶えたんだな。それだけでもすごいよ。俺なんてどこにでもいるうだつの上がらないサラリーマンだぜ?」
佐原「たしかにうだつ上がらなそう」
根岸「ぐぬ、まあうん、自分でもそう思うけど言われると傷つくな」
佐原「仕事できなそうだもんな、部下にいらない顔ランキングの上位独占だわ」
根岸「ちょっと、言い過ぎじゃない?」
佐原「それと比べたら俺とか、自分の店っていう、一国一城の主だもんな。根岸とは人生の格が違うよ格が。この下民が」
根岸「おい泣くぞ」
佐原「泣けば? その涙も誰の心も動かすこともなく乾くけどな?」
根岸「おまっ、ちょっとひどすぎるぞ。さすがに傷つく」
佐原「根岸なんてどうせ小学生の頃の夢とか、ビフィズス菌だろ? 他人の腸内環境を整えたいです、とか文集に書いてたっけ、懐かしいなあ」
根岸「書いてないし、他人の腸内環境にさほど興味もない」
佐原「夢ってのはさぁ、自分で叶えるもんなんだよ。わかる? お前はなれなかったんじゃない、ならなかったんだよ。ビフィズス菌に」
根岸「いやだから腸内環境への情熱はそもそも持ったことがない」
佐原「漠然とぼんやりだらだらとビフィズス菌を夢見ながら、何もしなかった。だから今のお前がそんななんだ。このビチグソが。ビフィズス菌になってればきれいな一本グソになれて便通もよかったのにな!」
根岸「口が悪い!」
佐原「ああそうさ、口が悪いのも腸内環境が悪いせいだよ。わかってんの? このビフィズス菌のなりそこないさんがよぉ!」
根岸「落ち着けって!」
佐原「急になんだよ抱きつくな……よ……?」
根岸「落ち着け、落ち着けって。どーどー」
佐原「……不思議と落ち着いてきた……」
根岸「なんかわかんないけど、理想のパンが焼けなくて荒れるのはわかるけど、とりあえず落ち着け、よしよし」
佐原「……おう」
根岸「落ち着いた?」
佐原「ビフィズス菌……」
根岸「根岸だ」
佐原「おお! 根岸か、びっくりしたビフィズス菌かと思ったぜ」
根岸「こんな巨大なビフィズス菌はいない」
佐原「たしかに、ヤクルトに入らないもんなこんなデカいの」
根岸「うん。……うん?」
佐原「ちょっと俺、自分を見失ってたみたいだ。ありがとうビフィズス菌。すごいぞビフィズス菌。俺の腸内環境もほっこりしたみたいだ」
根岸「まったくもってビフィズス菌のチカラではないのだがまあいいか」
佐原「……ふー、しかしなかなか、理想のパンってのは焼けないんだな」
根岸「どういうパンが焼きたいんだ。って俺が聞いてもわかるかどうかわからんけど」
佐原「んー、順序立てて話すと……。実はさ、俺の将来の夢さ、パン屋じゃないんだよ。パン屋が一番近道だと思ったからパン屋になったけど」
根岸「パン屋じゃないのか」
佐原「まあ根岸がヤクルトレディになるのとちょっと同じ感じだな。ビフィズス菌にかかわる仕事がしたかった、そうだろ」
根岸「違うね、ヤクルトレディになった記憶はないね」
佐原「今さ、なんか新型の感染病で世界が大変じゃん?」
根岸「ああ、かなり大変だな」
佐原「だからさ、俺のパンでみんなを笑顔にしたいんだよ。そのためのパンが焼きたい」
根岸「……すごいな。立派だよお前……」
佐原「でもなかなかな……、毎日こうやってああでもないこうでもないって、パン焼き続けてる」
根岸「すごいよ。……俺、今の自分の仕事にそこまでの情熱持ったことないよ。なんか、恥ずかしいよ自分が」
佐原「はは、よせよ、あんまり褒めるな。俺まで恥ずかしい」
根岸「みんなが笑顔になるパンか……、いい夢だな」
佐原「作ってみせるさ――」
根岸「ああ、お前ならできるよ、きっと」
佐原「――アンパンマン」
根岸「ああ、……うん?」
佐原「アンパンマン、作るんだ。夢なんだよ小学校の頃からの」
根岸「……んー? うん?」
佐原「新型の感染症なんてアンパンチでバイバイキンだぜ!」
根岸「なんか感動したのが恥ずかしくなってきたぞ」
佐原「夢ってそういうものだろ、本気だからこそ、ちょっと恥ずかしいんだ」
根岸「いやうん……、いや、えぇ……、なに? アンパンマンつくるの?」
佐原「ああ、小学校の頃からの夢なんだ! アンパンマンつくる!」
根岸「恥ずかしげもなく!」
佐原「何度焼いても、なかなか動かないし喋らないんだよ……」
根岸「そりゃまあそうだろうとしか……」
佐原「ま、根岸だってビフィズス菌になれたんだ。俺だってやれるさ」
根岸「だからビフィズス菌ではない」
佐原「まかせとけって、俺の焼いたアンパンマンが、世界、救うからな!」
根岸「お、おう……」
佐原「よーしまたやる気出てきた! ってなわけでまた忙しくなるから! アンパンマンが世界救ったら飲みにでもいこうぜ!」
根岸「お、おー……」
佐原「バイバイ菌!」
閉幕
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。