9ー4 生と死

「チハル」

どこからともなく流れてきた、静かな、しかし地の底から這い出るような声に、思わず息を止める。レンだった。

「チハル、逃げるな。ちゃんと真実に向き合って、考えてくれ」

「嫌だよっ。なんでそんなことしなくちゃいけないんだよ。向き合っても、ただ、苦しいだけなのに」

「後悔してほしくないからだ。俺が親父を亡くした時、ショックで何も考えられなくてさ。知らぬ間に葬式は終わって、何の供養もしてあげられなかった。今でも悔やんでる。代わりってわけじゃねぇけど、俺は親父の熱意を、ヴァロ運用計画成功に向けた努力を継いだつもりだ。もう、そうすることしかできなかったんだ。

チハルには、みじめな思いをしてほしくない。だから今、しっかりと考ええるんだよ。すべてを知った上で、どう思ったのか。考え抜いてほしい……」

そこで突然、スピーカーの向こうから、くもぐもった声が流れてきた。

「どうしたの、レン」

と、心配して声かける。液晶画面を見るが、機材しか映ってない。不安は高まる。

「なんでもないって言いたいけど、かなりヤバい状態だ。機体もマスクも壊れて、瘴気ダダ漏れ。喉と胸が、痛くてたまらねぇ……」

「瘴気?瘴気を直接、吸いこんでるのかっ」

「まあ、そういうことだ」

弱々しくうめくレン。見えないけれど、もがき苦しんでいるのが伝わってきた。大切な仲間が、命の危険にさらされている。

ああ、どうすればいいんだ。今、何をすべきなんだ。己の姿も、仲間の命も、家族の真実も、完全に理解したわけではないのに。受け止め切れたわけではないのに。でも、今ここで留まることは、許されない。何か、動かねば。

「どうすればいいんだ」

知らず知らずのうちにチハルは、誰ということもなく、ただ必死に助けを求めていた。ミオコが答える。

「考えるのよ。生きたいのか、死にたいのか。あなたの判断一つでで、この先の動きがすべて変わってくるわ。

この際、今まで貫き通したことも、人に言われてきたことも、全部忘れなさい。この瞬間にチハルが感じていることを、あなた自身に、正直に話してみて」

戒めを無視しろと、信念を忘れろと、そうして、生きていることを味わえと。ミオコさんは、そう言うんですね。

彼女が正しいのかどうかは分からない。とっさに思ったことだけで、この後を決めてもいいのか。戸惑うことは、否めなかった。

ただ、ごちゃごちゃしたデータを全部取っ払って、まっさらな気持ちになりたい。その思いは、事実だった。

改めて、自分自身に尋ねる。

生きたい?それとも死にたい?

答えは、あっけないほど簡単に出た。

「生きたい。僕はまだ、死にたくなんかない」

それに、すべての感情を抑え込んでいるより、すべてをさらけ出した方が、絶対に楽しいに決まってる。

生を封じていた罪悪感さえ、生きることの一部。死ぬことは、生きるよりもはるかに難しかったのだ。僕の生半可な気持ちでは、そんなことできないし、したくない。

ふと、目頭が熱くなっているのに気付く。まっさらになれたのが嬉しいのか、ただただ感傷的になっただけのか。あるいは、どちらも相まっているのか。どうであれ、行くべき道がはっきりしたのは確かだった。

いやまだ、行く末が開けたわけでは、ないのかもしれない。これが本当に正しいのか、生きてみねばわからないのだ。だからこそ、生きよう。死にたくなるまで。今は、ここに立っていることを、全身で感じたい。

覚悟は、決まった。

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