7-1 灰色

ベッド生活三日目の朝。チハルは寮にできた新しい部屋へ、移動することになった。

暇つぶしに読んでいた本を片手に、薄暗い廊下を歩く。窓を見れば一面の黒い雲。チハルの回復に対する祝福なんてものを無視した、あいにくの曇天だった。

「チハルっ」

後ろから声がかかった。レンとアズサが、駆け寄ってくる。

「ようやく動けるようになったのか。ミオコが今さっき出てったって言うから、急いで」

「カオリが病室に入れてくれなかったんだもん、お見舞いできなかったのよ。本当はもっと早く、顔見たかったのにさ」

チハルは笑顔で返す。

「別に心配なんかいらないよ。普通に元気だったし」

「ああ、そうだったんだ。ならいいけどよ」

言うことがなくなった。しかし、じゃあねとはならなかった。

「なんか、用でもあった?」

 アズサがコクコクとうなずきながら、

「あ、うん、それで……」

と、レンを見上げた。つられるように、視線を向ける。

「一つ、言っておきたいことがあるんだ。

ミオコだけに、親の話をしただろ。あれ実は、俺らも聞いてたんだ、ごめん」

レンが頭を下げて謝る。チハルは「いや大丈夫だから」と慌てた。

「口挟まれるの、迷惑だったんだなって。俺、知らなくて、もっと考えとけばよかった。だから、申し訳ないなと思って」

「私も―」

アズサも、足元に視線を落として話し始める。

「自殺志願者だって知った時から、偏見みたいに避けてたの、正直な話。だからあの時、ちゃんと向き合おうって駆け付けたんだけど……逆効果だったみたいね」

一息ついて、レンがはっきりと言う。

「だからチハルが、仮に死を望んでいたとしても、もう気にしない。考えて決めたんだ」

「だって信念なんだもん。心の奥にある核みたいなものを、周りからは変えられないよ」

ミオコさんも、似たようなことを言っていた。変えないって思ったら、他人がどうもがこうが変わらない。二人も、そう思っているんだ。

「なんだか気を遣わせちゃったね。でも、そうしてくれると嬉しい。ありがとう」

さっと光が差し込む。雲の切れ間から、太陽が顔をのぞかせたようだ。

「ドラマチックだな。嫌いじゃないぜ」

目を細めて、外を見る。口の端で笑っているレンだったが、アズサの天然発言は容赦なかった。

「でも太陽の光じゃ光量が弱すぎて、瘴気を消せないんでしょ。役立たずだと思わない?」

「ズバッというなよ。珍しく自然を愛でてたってのに」

レンが不満をこぼす。しかしアズサ節は、とどまるところを知らない。

「ってかチハル!本持ってるじゃん、見せてよ」

「え、これ?」

手にしていた本を差し出す。題名を見るなり唖然としてつぶやく。

「……マジでこれ、読んでんの」

「なんか変なとこあったっけ」

思春期の青少年には、きついシーンなんかが?という意味合いなのだが、むろん口には出さない。

「私も読んでたんだっ。アニメ原作でしょ、これ」

そういうことか。もしやと思った僕が、恥ずかしいじゃないか。咳ばらいを一つして、質問に答えることにする。

「いや。放送の数年前には刊行されてたから、小説がアニメ化した方だと思うよ」

「ウソ、知らなかった。悲しい~」

アズサが悔しがる声を聞き流しながら、チハルは確かに楽しんでいた。信念とかそんなことは関係なく、純粋にこの会話を、空気を、楽しんでいた。

曇天の隙間から、細々と筋を作っていただけの光はやがて、三人の姿を包みこんでいった。


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