5‐3 起動実験
ドクンッ―
いきなり、心臓が飛び跳ねた。唐突に痛みが襲ってきて、胸を押さえながらかがみ込む。見えない手で、鷲づかみにされているようだった。
「何が起きたんですか」とミオコに聞く。だが、キリキリと絞られる喉では、蚊のような声しか出なかった。
やがて見えない手は、心だけでなく全身をむしばみ始めた。四肢が痺れ、手が震える。とっくに過呼吸になっているし、目もかすんできた。けれどもう一度立ち上がろうと、壁に手をつく。
そうだとも。こんなところで、へこたれてるわけにはいかない。こんな時だからこそ、僕は僕を戒めなければならない。この苦しみを、痛みを、辛さを味わえ。でなければ、でなければ……
「チハル、チハルっ」
ミオコさんが、僕を呼んだ。はっと周りの世界が見えた気がした。ここはヴァロの操縦室で、実験のために乗っていて―
ドクンッ
さらに鋭い痛みが走る。背中を丸めて歯を食いしばった。同時にふと、このまま死んでしまうんじゃないだろうかと、思えてきた。
抜け出せそうもない闇に、包まれて、絡みつかれている。耐えしのいだ先に、何があるのだろうか。耐えしのぐよりも、このまま死んでしまった方が……
突如、照明が落ちた。どうしたんだと思う間もなく、
ドクンッ
「うぐっ」
思わず呻きを上げる。頭にカーっと光が散って、熱くなった。そしてなぜだか、さっきまでさんざんしていた耳鳴りが、ぴたりと止まる。慣れとか、そういった類のことだろうか。チハルには予想することしかできない。
なんなんだ、何が起こってるんだ。謎が謎を呼ぶ。もう、訳が分からない。
こわいよ、たすけて。
今、心から願うこと。ずっと言いたかった言葉。けれどそれだけは、言えなかった。
「ヴァロ三号機、停止しません」
上ずった声で伝える、女性職員。
「なぜなの。原因は」
ミオコが駆け寄る。
「分かりません。どうやっても、こちら側の操作が効かないんです」
「それってつまり、制御不能?」
「残念ながら、認めざるを得ないわね」
「そんな―」
まさか、こんな事態になるなんて。
「ちょっと止めて」
カオリが、切り替わり続けるモニターをにらんで言う。そこには、ヴァロの全体像が映し出されていた。
「また何かあるんですか」
「どうも、ヴァロの動きが気になってね。よく見て」
モニターに一歩近づき、じっと目を凝らす。
胸部に当てられた手、壁にもたれかかるような背中、上下する肩。
「まるで、人間のような動きですね。でも人とシンクロしていますから、別になんてことないのでは?」
「考えてみなさい。ヴァロは意図して操ろうと思わないと、動かないの。なのに今は非常事態であるにもかかわらず、体中の動きが事細かに伝達されている。肩の上下、つまり呼吸の動きでさえ」
「司令官、シンクロ率が90%を超えましたっ」
「そんな、90%⁉」
さすがのカオリも、肝を潰したその時。
スピーカーから、大音響が流れた。反射的にモニターを見る。
「拘束機具が壊されたか」
ヴァロが一歩踏み出した途端に、引きちぎられるようにして、いくつもの機材から火花が散る。足元では粉塵が舞い、爆発事故が起きたかのようになっていた。
「第七ロック、断絶」
「第二十一ロック、落下」
「第十五ロックは、なんとか持ちこたえています」
いち早く、アナウンスが流れる。
「作業員の怪我は」
「今のところ大丈夫そうです」
「一応各部署に確認を取って、あとで報告してちょうだい」
「了解」
「でも、どうして動いたりなんか」
「おそらく、シンクロ率が高くなりすぎたのよ。連絡も取れない有様だし、チハル君本人でさえ気付いていないかもしれない。暴走、でしょうね」
暴走。猛々しく重苦しい言葉だった。
「もう一度動き出す可能性があるわ。これ以上、被害を出せない。早急なシンクロのカットと、拘束機具の仮復旧を命じます。念のため、管理施設を無人にして」
「了解。作業員および連絡員は、シェルターに退避」
「私を、管理施設に行かせてください。もう、スピーカーなんか使い物にならないでしょう。直接言って、指示します」
監視室の扉に、手をかける。
「危険よ、離れていないと―」
「チハルだけ危ない目に、合わせてられませんよ」
それ以上は聞いていなかった。ミオコは部屋を飛び出す。一刻も早く、助けてあげなくちゃ。ただその一心で、走っていた。
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