シチリアン・ゴースト2

 コーヒーをすする。

 ブラックのままだが、苦いとは感じない。砂糖とミルクを入れたとしても甘いとは感じないだろう。だから、何も入れない。

 アシュティーン・シリングスにとって、コーヒーは目を覚ますための飲み物でしかない。彼女がコーヒーを飲むのは決して美味しいからというわけではない。

 アシュティーンはカフェの店内を見回した。

 テーブル席もカウンター席も全て埋まっている。どの席でも男たちがトランプで賭けをしており、勝った者は笑い負けた者は舌打ちをする。まるで田舎のカジノだ。

 隣の席で一人の男が大きく負けたらしく、ばんとテーブルをたたく音が聞こえた。反射的にその方向に視線をやると、男と目が合ってしまった。

 すぐに視線を逸らしたが、時既に遅しだった。男はアシュティーンが一人で座るテーブル席にずかずかと近付いていった。


「なあ、お嬢ちゃん、俺とポーカーしようぜ」


「私、ルールを知らないわ」


「知らなくてもいい。やってみればわかるさ。ルール自体は簡単だからな」


「はぁ……一回だけよ」


 面倒だが、この男をどこかにやるにはポーカーに付き合うのが手っ取り早い。アシュティーンは配られた五枚のカードを手にしてじっと見つめた。

 ポーカーのルールを知らないアシュティーンにとって、この五枚のカードはなんの意味もなさない。記号の羅列と同じだ。


「数字か絵柄がより多く揃っている方を勝ちにしよう。カードを交換したければするといい」


 アシュティーンは手札を改めて見下ろした。

 数字は一枚も揃っていないが、絵柄は三枚揃っている。絵柄を揃えにいった方が勝つ確率としては高いだろう。

 アシュティーンは絵柄の揃っていない二枚のカードをテーブルに滑らせ、山札から二枚のカードを引いた。

 残念ながら絵柄は全て揃わなかった。が、スペードが四枚揃った。

 男はカードを交換することもなく手札を明かした。


「フルハウスだ。お嬢ちゃんは?」


「スペードが四枚。どっちが勝ちなの?」


「俺だよ。はははっ、ノーペアじゃどの役にも勝てないぜ」


「そう。もう終わったわ。どこかに行ってくれない?」


「おいおい、言い忘れていたが今のは金がかかっていたんだぜ?」


「聞いてないわ」


「言い忘れていたからな。俺は有り金全部を賭けていた。お嬢ちゃんもな」


「コーヒー代が払えなくなるわ」


「知ったことか。それがギャンブルだからな」


 アシュティーンは溜め息を吐いた。

 面倒事を避けるつもりが、面倒事に巻き込まれてしまった。付き合ってしまったのが運の尽きか。

 男が立ち去る気配はなかった。金を払わなければ立ち去るつもりはないようだった。

 アシュティーンは困り果てた。

 金がなくなるとここに滞在することができなくなる。食事を取ることはおろか、ホテルではなく路地裏で一夜を明かすことになってしまう。


「さあ、有り金全部出してもらおうか。金が払えなければ身体で払ってもいいんだぜ?」


 下卑た笑みに、アシュティーンは眉をひそめた。

 いっそのこと逃げてやろうかしら。でも、ここは待ち合わせ場所だし――


「いけないな。ルールも知らない女の子相手にイカサマとは」


 考えあぐねていると、カウンター席からそんな声がした。

 男は振り返り、わずかに表情を曇らせた。


「誘いを受けた時点で賭けは成立している。それがここのルールだ。余所者は口出しするな」


 カウンター席に座っていた少年は椅子から下り、アシュティーンの隣に腰かけた。

 少年はアシュティーンよりも年下だったが、ひどく大人びていた。丈の長いトレンチコート、混じり気のない金髪、絢爛な赤い瞳。そのどれもが年に見合わないはずなのに、彼が醸し出す印象はどれも成熟していた。


「あんたの言う通り賭けは成立している。イカサマだろうがなんだろうが負けは負けだ」


「それなら――」


「俺と賭けをしよう。あんたが勝てば俺の有り金全部を、俺が勝てばこの娘の負けをなしにしてもらおう」


「いいだろう。後悔するなよ」


 男はカードを五枚ずつ配った。少年はカードをちらりと見てふんと鼻を鳴らした。

 もし男がイカサマをしているのなら少年に勝ち目はない。一体どういうつもりなのだろう。何か策でもあるのだろうか。

 少年と男はカードを一枚も交換しなかった。互いに手札に自信があるような顔付きだった。

 先に手札を明かしたのは男の方だった。


「またフルハウスだ。悪いな、俺の――」


「俺の、なんだって? ロイヤルストレートフラッシュだ」


「なっ……てめぇ、イカサマしやがったな!」


「あんたと同じことをしただけだ。これはギャンブルでもありイカサマ勝負でもあった。イカサマだろうがなんだろうが負けは負けだ。それがルールだ」


「ちっ、ふざけやがって……」


 男が元いたテーブル席に戻り、少年は向かい側の椅子に座り直した。


「危ないところだったな。ルールを知りもしないのにポーカーに付き合うものじゃない。いいカモだ」


「痛感したわ。でも、助けなんていらなかったのに。あなたも無闇に救いの手を差し伸べない方がいいわよ。いつか痛い目に遭うわ」


「普段なら助けていないさ。君が可愛娘ちゃんじゃなかったら助けていない」


「何、ナンパするために助けたの? それならどこかに行ってちょうだい」


「まあまあ。こうして出会ったのも何かの縁だ、自己紹介くらいいいだろう」


「結構よ。一人にしてちょうだい。私、待ち合わせをしているの」


「奇遇だな。俺も待ち合わせをしている」


「えっ……」


 嫌な予感がした。

 アシュティーンが待ち合わせをしているのは〈Rellik〉という機関のメンバーたちとだった。そのうちの誰ともまだ面識はなかった。

 もしかしたら、この少年が〈Rellik〉のメンバーの一人かもしれない。そうだとすると嫌でも自己紹介をしなければならない。


「えっと……あなたは誰を待っているの?」


 怖る怖るそう尋ねると、少年は首を傾げた。


「誰だろうな。会ったことはないからな」


「……どうやら予感的中みたいね。あなたが待っているのは私よ」


 少年は状況を察したらしく、手を差し出した。


「俺はヨハネス・グレイ。ドイツから来た」


 鼻から息を吐き出し、アシュティーンはヨハネスの手を握った。


「私はアシュティーン・シリングス。アメリカから来たわ」


「アシュティーン? 変わった名前だ」


「変?」


「いや、いい名前だ。君みたいな可愛娘ちゃんがメンバーにいるとは驚きだよ。〈Rellik〉にはギャングやマフィアだったやつらが多いと聞いていたから」


「私も意外に思っているわ。あなたみたいな子供がメンバーにいるなんて」


「もう大人だ。ドイツでもここでも酒が飲める」


「でも、アメリカではまだ飲めないでしょう?」


「……まあな」


 ばつが悪そうに視線を下げるヨハネス。容姿は大人びているが、やはり仕草の一つ一つには子供っぽいところが残っている。

 悪い子ではなさそうね。年下に可愛娘ちゃん呼ばわりされるのは気に食わないけど。


「ところで、あと三人集まる予定よね? 少し遅くないかしら。あなた、何か知らない?」


「さあね。まあ、もう少しすれば全員集まるだろうさ。それまで俺とデートでも――」


「結構よ。お得意のイカサマでポーカーでもしてきたら? 私は静かにティータイムを過ごしたいの」


「じゃあ、君のことを聞かせてくれ。過去に恋人がいたことは?」


「はぁ……」


 メンバーの一人がこの調子なら他のメンバーもこんな感じなのかしら。先が思いやられるわ。

 アシュティーンはすっかり冷めたコーヒーを呷った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アメリカン・アンド・ロシアン・ルーレット 姐三 @ane_san

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ